NVN(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク)では、平成16年度から、日蓮宗生命倫理研究会(日生研)主催による『心といのちの講座』に協賛をしてきました。
昨年度は、『NVN被災地支援活動&第10回「心といのちの講座」in大槌』として、平成25年11月18日・19日に行われました。18日には、Part1として、岩手県立大槌病院仮設診療所心療内科医の宮村通典師と洋子夫人に「被災地で共に生きる〜医師として僧侶として〜」と題して講演して頂きました。19日には、Part2として、現地の方々をお招きして、被災地支援活動に参加された方々による「〜慰霊と祈り〜『法話とお茶の会』」が開催されしました。
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本年度は、日蓮宗の檀徒でもある淑徳大学名誉教授金子保先生をお迎えし、「仏教とこころの深層〜物語の心理臨床的意味〜」をテーマとし、2回に渡って講演して頂きました。
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仏教とこころの深層
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〜物語の心理臨床的意味〜
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淑徳大学名誉教授 金子 保 先生
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Part1 | 「鬼子母神の物語」
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| 平成26年11月18日(火)
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| 日蓮宗宗務院4階第4研修室
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Part2 | 「キサー・ゴータミー尼の物語」
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| 平成27年 1月30日(金)
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| 日蓮宗宗務院5階講堂
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←金子先生の著書
『仏教心理学への道』
(発行:クオリティケア、2012)
「鬼子母神コンプレックス」、「キサーゴータミー尼の物語:仏教カウンセリングの原型」、が収められています。
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「鬼子母神の物語」の柱立て
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1.はじめに
思い出される「鬼子母大善神」の石柱、『国語辞典』で調べる、他
2.研究資料
「鬼子母神物語」『仏教説話文学全集1』
3.「鬼子母神物語」の概要
鬼子母の誕生、異変、結婚、王舎城の災厄、釈尊介入、他
4.考察
物語の構成、青鬼の性格、母性の発達、鬼子母コンプレックス、他
5.むすび
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Case study は、case story である
河合隼雄は、「ケーススタディというのは、ほんとうはケースストーリィではないか」(『物語と人間の科学』岩波書店)と書いている。当初、クライアントは途方に暮れ、茫然自失、やがてカウンセリングの進行につれて「自己の物語」が話せるようになる。
子どもは、物語を喜び、感動しやすい。子ども時代の感動の体験は、人格の深層部分に取り込まれて、大人になっても想起されやすい。しかも、物語は、人格の深層部分に届きやすい。
「鬼子母神物語」の概要
鬼子母神の父は、サタという名の夜叉であった。サタ夜叉は、古代インドのマガダ国の、王舎城の郊外の竹林精舎に近い山中に暮らしていた。
マガダ国は、パトナやブッダガヤーを中心都市とする古代国家で、首都はラージャグリハ、漢訳「王舎城」である。マガダ国のビンビサーラ王は釈尊に帰依し、当時、仏教の盛んな大国として知られていた。
マガダ国のサタとハラナ国のハンシャラの二鬼神が肝胆相照らして一見旧知のように深く交わりを結ぶようになった。互いに生まれる子どもを、いい名づけにする約束を固く結んで、右と左に帰って行った。
マガダ国のサタ夜叉夫妻に女児が誕生した。誕生した赤ん坊は、自然に歓喜の情が湧き起るほどに美貌で、多数の夜叉が喜び合ったので、その名を「カンキ(歓喜)」と名付けた。ハラナ国のハンシャラ夜叉夫婦にも男児が生まれ「ハンシカ」と名付けられた。一年後サタ夜叉夫婦に男の子が生まれ「サタセン」と名付けられた。カンキに婚期が近づき、サタセンも成年に達した年、サタ夜叉は「かりそめの病」がもとで突然に死んでしまい、サタセンが父夜叉の跡目を継ぎ、マガダ国の夜叉としてマガダ国の守護の役目を果たすことになった。
思春期を迎えたある日、姉のカンキ夜叉に「異変」が生じた。「弟よ、王舎城へ行って城下の子どもを掠奪して食べようと思うのだが、どうだろう?」弟のサタセン夜叉に掠奪殺害の計画を打ち明けたのである。姉の悪心をねんごろにさとし、いましめるサタセン。「姉よ、あなたは気でも狂ったのですか?」見れば、角が生えて、立派な女夜叉の姿となっている。その後も再三再四の姉夜叉の邪悪な「願望」を聞かされたサタセン夜叉は、自分の力では如何ともしがたく思われ諫めるのを断念し、ハラナ国のハンシャラ夜叉に、カンキとハンシカとの婚姻を進めてほしい旨の書簡を送り、ハンシカとカンキは結婚した。
結婚した二人が、庭園を歩いているとき、「わたしの生国の王舎城へ帰って、城下の子どもを殺して食べようと思います」と、新婦カンキはハンシカに打ち明ける。「そのようなことを、かりそめにも、いうものではありません」と、新郎ハンシカはたしなめた。
カンキとハンシカは仲睦まじく、歓喜夜叉は499人の子どもの母となり、「カンキボ(歓喜母)」とよばれた。500人目の子どもが生まれた時、その名前を「アイジ(愛児)」と名付けた。
カンキは前に起こした悪心を実行しようと再び夫に相談したが、「断じてならぬ」とハンシカはたしなめた。しかし、カンキはそれを聞き入れず、如何に諫めても悪心を立ち切ることが出来ないのを知って、ハンシカは何も言わなくなった。夫の黙っているのを幸い、カンキは宿願を達するために王舎城へ行った。
王舎城では、毎日毎夜、子どもが何者かにさらわれていく事件が頻発し、子どもを失った親たちは「子どもがさらわれた!」「私の子どもを返してぇ!」悲嘆にくれ狂気のようになって子どもの行方を捜した。
国中の人々が心を痛めているとき、王舎城の守護神が人々の夢に現れて、「お前たちの子どもは、みな、夜叉鬼子母に食い殺されたのである。」と告げ、「お前たちがこの災厄を除こうと願うなら、お釈迦さまのところに行って懇願するがよい。お釈迦さまは、必ずお前たちの苦しみを取り除いてくださるにちがいない。」と、告げた。一同は、夢のお告げに従い、竹林精舎の釈尊のもとに出向き、わが子の鬼子母夜叉による掠奪殺害事件について、この苦悩を無くしてくれるように必死になって懇願した。すると、意外なことに釈尊は彼らの哀願を受諾せられたのである。
何と、釈尊は、単身で鬼子母夜叉の棲家に出向いたのだ。鬼子母夜叉は留守であった。釈尊は、鬼子母夜叉の500番目の末っ子の可愛い盛りのアイジを、遊んでいた二人の兄弟の目の前で、鉢に隠し、連れ去ったのである。
帰宅した鬼子母夜叉は愛児が居ないのに気付き、「アイジよ、アイジよ」と大声で泣き叫びながら、村々を捜し歩き、四方の山々、海に至るまで探し求めたが、アイジの行方は知れない。死体を見つけ出すこともできない。探しつかれ、悩みつかれ、鬼子母夜叉は髪を振り乱して裸のまま地上を転げるように、肘や膝で歩いては休み、休んではまた起きて、いざり歩き、ついに、天上界の帝釈天王の善見城に辿り着いた。鬼子母夜叉は、疲労困憊して、大石の上にどっと倒れ伏し、悲しく泣き叫びながら、多聞将軍(多聞天)に哀願した。多聞将軍から鬼子母夜叉は、「そんなに泣き悲しまずにあなたの家に誰が来たのか考えてみるがよい」と言われ、はっとして、「僧の喬曇摩」が来たことを思い出すのであった。
喬曇摩とは、ゴータマ、釈尊のことである。
遠くから「仏の姿」を見ただけで、鬼子母の心中に「たえて久しい善心」が突如として生じた。その直後に、釈尊の教戒が始まる。そこに仏教カウンセリングの原型を見ることができる。
「いかがいたした?」「世尊よ、アイジを何者かに盗まれました。どうか、お助けください。」「それは、気の毒なことだ。ところで、お前には何人の子があるのか?」「五百人の子どもがございます。」「五百という大勢の子どもの中で、わずか一子を失ったとて、そう苦悩するにも及ぶまい。」「いくら大勢の子がありましても、子はみな平等に可愛いものでございます。」「大勢の中で一子を失ってすら、それほどお前は泣き悲しむのに、一人二人の子を持つ他人の子をなぜに盗み取って食ったのか?子を持つ親の心は誰も同様なのだ。なぜに他人の子を食ったのか?」「何とも相済みません。悪いことをいたしました。」「悪いことがわかったか?愛する者と離別する苦痛を体験したであろう。」「これもわたしの愚痴なためでございます。なにとぞ改心いたしましたから、ご教示を願います。」「前非を悔い改めたならば、王舎城の人々に、おそれのない徳を施すという誓約を立てて、それを実行するならば、アイジを与えようが、実行できるか?」「お諭しのように、誓約いたしますので、どうかアイジに会わせてください。」
夜叉が過を改めて善に向かった心が、顔に現れたのを看破せられた仏は、鉄の鉢の中に隠し置いたアイジを出して、夜叉に見せた。鬼子母は、喜ぶこと限りなく、仏の教戒のごとく、五戒をよく守り、城中の人々に安楽を与えることを誓った。
悔い改めたとはいえ、500人の子どもを養うことは、並大抵のことではない。キシモは釈尊に、「わたしおよび子どもたちは、何を食べ物としたらよろしいでしょうか?」と、口調も改まって尋ねた。「食事時になったら、食盤に食べ物を盛って、おまえの名を呼ぶほどに、心配は無用である。以後、昼夜にわたり精舎の守護に励むがよい。」と釈尊は述べられた。
鬼子母夜叉変貌の「臨床場面」を目の当たりにした「仏弟子」を代表して、「阿難」が釈尊に尋ねる。釈尊による、いわば「臨床講義」が始まる。それは、「牛飼いの妻の物語」であった。事例研究(case study)のプレゼンと言えよう。
牛飼いの妻の物語、それは「鬼子母神の前世譚」であった。それでは、牛飼いの妻の、時間を遡った「前世の物語」とは何を意味するものであろうか?臨床心理学の視座からは、「深層意識」の物語を意味する。仏教心理学(唯識論・大乗起信論)の「細麁」の細、それは普通の人には意識が困難な深層の物語である。
むかし、王舎城に牛飼い人がいた。その妻は結婚後まもなく懐妊した。あるとき、王舎城で大設会が開催され・・・。牛飼いの妻は懐妊していることも忘れ、目をあげ、眉をあげ、手足を振って舞い踊った。臨月に近い体を急激に運動させたため堕胎してしまった。倒れ苦しんでいる牛飼いの妻を見捨てて、500人の連中は、残酷にも王舎城の大設会に行ってしまった。
一人見捨てられ、路上に倒れ伏して、苦しんでいる牛飼いの妻に憎悪・怨恨の情がむくむくと湧き起る。その傍らを、たまたま果物売りが通りかかった。牛飼いの妻は、牛乳を元手にマンゴーの実500個を入手した。
次に、牛飼いの妻は路上に威儀堂々たる覚者をみた。その覚者に、マンゴーの実500個を供養した。覚者は供養のお礼として、教法を説くべきであるのに、神通力を現して利益を与えようと考えて、「不思議な神変」をみせた。牛飼いの妻は大樹が地上に崩れ落ちるように心を奪われてしまい、その身を大地にひれ伏し、「わたしはこの覚者にマンゴーの実を供養した功徳によって、来世にはこの王舎城に生まれて城下の住民が生んだ子女をみな取り殺して食う」という恐ろしい悪い願をかけた。この路上において、恐るべき悪行の願望を起こした牛飼いの妻というのが、今ここに来ている、かの訶梨底夜叉の前身である。黒業(悪業)には悪い報いがあり、雑業には雑な報いがあり、白業(善業)には善い報いがある。ゆえに、白業を修行して、黒や雑の業をはなれねばならない。・・・と、釈尊はねんごろにさとされた。
考察1 物語の臨床心理学的構成
物語は、釈尊の初転法輪に出て参ります「四聖諦」、すなわち苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦滅道聖諦の4つの柱から構成されているように考えられます。それは臨床心理学、というより医学における、症状、診断、病理、治療の4つのカテゴリーに対応していると考えられます。次に、佛教大学の安藤治教授の『心理療法としての仏教』(法蔵館)を参考にして、順次、考えてみたい。
考察1−1 症状;苦聖諦
○苦とは何か? 四苦八苦を弁えるべし。
○クライアント(患者)は、鬼子母夜叉と、わが子を掠奪殺害された父母で、主訴は「愛別離苦」にある。不安と恐怖でパニックに陥った王舎城の人々に対しても、手当てが必要であろう。
○釈尊介入による鬼子母の苦悩と、鬼子母の子ども掠奪殺害事件に起因する王舎城の人々の苦悩と、恐慌・混乱状態に陥った王舎城の収拾。
考察1−2 診断;苦集聖諦
○査定診断→鬼子母は、アイジ捜索に疲れ果て、上界で多聞天の見立て(=診断)によって、竹林精舎の釈尊のもとに、いわば紹介される。
○王舎城の守護神が夢に現れ、査定診断の結果(原因)が人々に告知される。人々もまた竹林精舎の釈尊のもとに紹介される。
○原因は渇愛・煩悩(貪瞋痴)にある。
考察1−3 病理;苦滅聖諦
○鬼子母の病理は、「過去世」の「悪行願望」にある。個人的怨恨から、悪行願望が成立して、これが世代を超えて継承蓄積され、人格の最深奥の無意識世界(阿頼耶識)に内蔵される。(→鬼子母コンプレックス)
○鬼子母の「異変」をサタセンも、ハンシカも受け止められない。それは、「前世において、この邪悪の願を起こし」、「習慣性が強かったため」で、情意的な深層意識の迷いである「修惑」のためと考えられる。なお、理知的な表層意識の迷いである「見惑」は論理的思考で断ぜられる。
考察1−4 治療;苦滅道聖諦
○釈尊介入。言わば、法的介入が実施される。
○鬼子母は、多聞天の見立てで釈尊のもとに赴き、教戒を受け、八正道を実践するとともに、謝罪・贖罪の道に入り、鬼子母大善神となる。
○王舎城の人々に対しては、佛の弟子たちが個々に相談指導にあたり、教戒を授け、城中総出で厳粛に供養が営まれたはずである。
考察2 鬼子母神(=青鬼)の性格
『泣いた赤鬼』(浜田廣介)という物語がある。「心の優しい赤鬼が、村人たちと仲良く暮らしたいと思っていた。友達の青鬼は、なんとか、その願いをかなえてやろうと悪者のまねをして、赤鬼に花を持たせる。」という物語。
考察2−1 鬼子母神は「青鬼」である
『泣いた赤鬼』の物語によれば、青鬼と赤鬼は親友である。青鬼は赤鬼の心(内部)の世界に関心がある。一方、赤鬼の願いは、人間(外部)の世界に親しむことにある。内向的な性格の青鬼は、思考に思考を重ね、悪役を申し出て、赤鬼の願いを叶える。鬼子母神の配偶神・半支迦大将は赤鬼として描かれている。赤鬼の性格特徴は「同調性気質」にあり、青鬼は「内閉性気質」にある。赤鬼は情動的(こころ・肚)で、青鬼は理知的(あたま・頭)である。赤鬼と青鬼は、それぞれ「一つの半分」である。トムとジェリー、シルベスターとトゥイーティ、アンパンマンとバイキンマン、森永太一郎と松崎半三郎、・・・妻と夫、女と男、母性と父性・・・。二者の関係をユング心理学では、補償関係という。
考察2−2 頭光と身光:あたま(頭)とはら(肚)
解剖学者・三木茂夫は、仏像の光背に注目している。頭光(ずこう)と身光(しんこう)は、大脳と内臓に対応している。また、中枢神経系(大脳)と自律神経系(内臓)に対応していて、理知的な表層意識と、情意的な深層意識に対応している。さらに、「あたま」と「こころ」に対応していて、それぞれ「一つの半分」であるが、どちらかというと、「こころ」が重要だというのである。物語の赤鬼には青鬼の心の深層がわからない。鬼子母は心の内に思いの及ばない赤鬼に、イライラしていたに違いない。
考察3 鬼子母の発達段階
1.鬼子母「歓喜」の段階
2.「異変」出現の段階
3.鬼子母「鬼形」の段階
4.鬼子母「善神」の段階
考察3−1 鬼子母「歓喜」の段階
赤ん坊のケア(care)は、歓喜をもたらす。そうしたケアをもたらす機能を発達心理学ではコンピテンス(competence)という。 後年、人に災厄をもたらす鬼子母であっても、歓喜をもたらす赤ん坊として生まれてきた点は注目すべきである。また、鬼子母という恐ろしい境涯を潜り抜けることで、鬼子母大善神となった点も重要であろう。
考察3−2 「異変」出現の段階
思春期に入り、生理的異変が生じる。カンキは夜叉の娘であるから、角が生えてきたのである。しかも、王舎城の子どもを喰らいたいという欲求が自覚されるようになる。その欲求は、カンキ夜叉の心の奥底から湧き上がってきたものである。この事態に対し、弟夜叉も、夫夜叉も、ともにただ驚くばかりで、適切に対処できていない。異変の奇怪さに驚くばかりで、諭すのが精いっぱい。
考察3−3 鬼子母「鬼形」の段階
人の子を喰らう鬼子母には、わが命に替えても惜しくない「わが子アイジ」がいた。アイジを求めてさすらう「鬼形」の鬼子母は、「母性」の肯定的側面が、非常に激しく登場してきた物語として解釈できる。咆哮する「阿形狛犬像」に対し、口を閉じた「吽形狛犬像」の姿は、母性に潜む、激しく強く執拗な「魂」(阿頼耶識)の働きである。
考察3−4 鬼子母「善神」の段階
ユング心理学では、母性と父性は補償関係にあると説く。両極端の心性の統合を、自己実現(selfrealization)という。鬼子母「善神」には、母性でも父性でもない「第三の道」、自己実現の仏教的意味を伺うことができる。 阿部志郎師は、「弱さを抱えた強さこそ21世紀のパラダイムでなければならない」と説く。淑徳大学を創立した長谷川良信は、社会事業を「社会的母性」の具現化と呼んでいる。
考察3−5 母性とは何か?
ユングは、母性の表象が普遍的無意識内に人類に共通の「元型」として存在すると仮定し、これをグレート・マザー(太母)と命名した。農耕民族の地母神信仰で、「地母神は生の神であると同時に死の神である。イザナミの神は、すべてのものを生み出す母なる神であるが、後には黄泉の国に下って、死の国をおさめる死の神となっている。」母性は肯定、否定、の両面を有している。「仏教の説話に出てくる鬼子母の話は、母性の二面性を見事に示している。はじめ、子どもを食うので恐れられていた鬼子母が、仏様の教えを受けて、子どもの守護者として訶利帝母となる。」(このような母性は)「現代の女性の心の深層にも存在するものである。」(河合隼雄・藤田統・小嶋謙四郎『母なるもの』)
考察4 鬼子母の「異変」の根源
「王舎城の城下の子どもを掠奪して食べようと思うのだが、どうだろう?」と弟のサタセンに掠奪殺害計画を打ち明ける姉夜叉カンキのこころの奥底には、「牛飼いの妻の怨恨」の炎が、むくむくと噴き上がって来た。この「牛飼いの妻の願望」こそが異変の根源と考えられる。これを鬼子母コンプレックスと呼びたい。
「あなたは気でも狂ったのですか?そのようなことを、かりそめにも言うものではありません。」という弟サタセンと新郎ハンシカの心配、それはカンキ自身の戸惑いであり、苦悩であった。カンキの心中には「牛飼いの妻の怨恨」の炎が、むくむくと噴き上がって来たのである。繰り返し深層意識の奥底からコンプレックスは表層意識に立ちあがってくる。これを鬼子母コンプレックスと呼びたい。
考察4−1 コンプレックスと日本語の「こころ」
コンプレックス(complex)の定義は「無意識内に存在し、何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まりを、ユングはコンプレックスと名付けた。」(河合隼雄『ユング心理学入門』培風館68頁)とある。
こころ(心・情・意)の語源は「コル(凝)の義を強めてコの音を重ねた語ココルのルをロに転じ名詞化した語〔国語の語根とその分類=大島正健〕」(『日本国語大辞典第4巻』)とある。
日本の国生み神話では、日本列島はオノコロジマと呼ばれている。「海の潮が自ずと凝り固まってできた島だというので、この島を自凝島と申します。」(楠山正雄『日本の神話と十大昔話』講談社学術文庫)
こころは、中枢神経系(大脳)ではなく、内臓系(心臓など)の働きである。無意識(深層意識)は、「頭」ではなく「肚」の働きである。
考察5 どうして鬼子母に「たえて久しき善心が突然として起こった」のか?
大乗起信論では、「心真如」(A領域)と「心生滅」(B領域)との関係を「風と水の比喩」で説明する。風が「動性」であれば、水は「湿性」を意味する。水は本質的には「湿」であるが、「第二次的・偶有的様態」がある。それは「動」である。したがって、風がやむとき、水の「動相」(波浪)は消えるが、水の本性的様態である「湿相」は絶対に消えない。鬼子母の心性は本質的に善である。
考察5−1 鬼子母の発心
アリヤ識(M領域)は、二岐分離的で、双面的である。M領域からB領域に向かっては、生滅・流転の道であって、迷妄心が渦巻く「衆生心」に至る。一転、M領域からA領域に向かっては、向上・還滅の道であって、仏心に至る。(井筒俊彦『大乗起信論の哲学』)
考察5−2 鬼子母の贖罪
「殺された人を生き返らせる方法はない。」「与えた苦しみを帳消しにする道はない。」「贖罪は、過去に与えた苦痛や損害への弁償ではなく、こちら側の道徳的向上にある。」(戸川行男『意識心理学』)
MからBに向かって意味分節の構造化の道を進み、生涯のある時点で一転して、MからAに向かって進み始める。後者が悟りへの道で、「回心」とか「発心」とか言われる。
井筒俊彦は、悟りはただ一回の事件ではないと書いている。「不覚から覚へ、覚から不覚へ、・・・」(井筒俊彦『大乗起信論の哲学』)
むすび 倫理とは何か?
「人間にとって倫理とは何かとの問いは、多くは自己の悪の自覚から生まれるのであり、善とは避けることの至難な悪からの彼岸への憧れに由来する。」(戸川行男1981『善の心理学』)
「彼岸への憧れ」とは、悪の自覚に基づく「願望としての倫理的意志」(戸川行男『意識心理学への道』)を意味するものではないか。
鬼子母神は求児・安産・子育ての祈願者を守護しようとする、無上に強い倫理的意志のシンボルではないか。
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「キサー・ゴータミー尼の物語」の柱立て
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1.はじめに
2.研究資料
木津無庵(編)1976『新訳仏教聖典』(改訂新版)大法輪閣
3.「キサー・ゴータミー尼の物語」の概要
長者の嘆き、キサーの悲しみ、対機説法、覚り出家 ほか
4.考察
愛対機説法、キサーの回復過程、両界曼荼羅 ほか
5.むすび
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科学と物語:説明と解釈
「自然科学では、個人と現象を切り離して研究がなされます。これに対して、この人は、個人と現象とのかかわりについて答えを要求しています。」(河合隼雄『ユング心理学と仏教』)
「僕は自分の人生というのを『僕の物語を生きているのだ』と思っているわけです。皆、それぞれの物語を生きている。」(河合隼雄『深層意識への道』)
「個々の人間がいかに自分の人生を生きるか」という臨床心理学的な問いに答える物語は、仏教経典にも、多数見出すことができる。
「キサー・ゴータミー尼の物語」の概要<>BR>
舎衛城には、波斯匿王が特に尼達のために建てた王寺という寺があった。吉舎喬答弥(キサー・ゴータミー)も、そこに住む尼の一人であった。彼の女は、舎衛城の貧しい家の娘で、痩せ細っているために、人々は吉舎喬答弥(痩せたゴータミー)と呼んだが、前の世の善根(さちのたね)によって、福徳(さいわい)に恵まれた女であった。そのころ、舎衛城に住む名高い長者で、かつ慳(お)しみの強いことで知られた或る長者に、ふとした機会に見いだされ、その長男の嫁に迎えられることとなった。
それは、その長者が大事に蔵っておいた黄金(こがね)の延棒が、ある日調べて見ると、いつの間にかただの炭にかわっているので1)、大いに驚いて、「これはひとえに、自分の福運(さちのめぐり)のないしるしであろう、もしこの炭を、福運の多い人が見出せば、或はもとの黄金にかえるかも知れない」、そう考えて諦めのなかに、執着(こころがかり)の思いから、その炭を籠に納めて、近くの市場にさらしておいた。
【解釈1】 下線部1)の解釈
経済的に裕福になった長者の家では、だれ一人、炭の真価が分からなくなっていた。長者は、嘆きに嘆いていたのではあるまいか。
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すると一日、その前を通り過ぎたのが彼の女であったが、拙(つまら)ぬ籠に盛られた一杯の黄金が、店頭にさらしてあるのに驚いて、思わず「まあ、何という沢山な黄金であろう」と呟(つぶや)いた2)。これをものかげで聞いていた長者は、喜びのあまりに踊り出して3)、のぞいて見れば果たして炭はもとの黄金に立ちかえってきらきらと輝いて居る。長者はかつ驚き、かつその女の福運に憬れて、さては強いて請うて、ついにその長男の嫁とするに至ったのである。
【解釈2】 下線部2)の解釈
長者の嘆きに耳を貸す者はだれ一人いない。新たに、家族の一員として、炭の真価の分かる人を求めるしかない。キサーは長者の眼鏡にかなった女性であったわけである。長者はいわばリクルートに成功し、嘆きは喜びに変わった。「喜びのあまり踊り出た」というのであるから、悲嘆が歓喜に変貌したのである。
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【解釈3】 下線部3)の解釈
1935年、フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフが街角を流していたとき、その「歌声」は、高級クラブの経営者ルイ・ルプレによって、見い出された、といわれている。
同じように、貧しく痩せっぽちの娘、キサー・ゴータミーが、街角の店先の炭を見て、思わず放った「呟き声」は、舎衛城の長者によって見出されて、その長男の嫁に迎えられることとなったのである。
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こうした奇(く)しき縁に導かれて、一夜にして富家(ものもち)の室(つま)になった彼の女は、夫からも愛されて、まことに平和な楽しい家庭を結ぶこととなったが、そのうち、子供も出来て、家庭は益(ますます)その楽しさを増すこととなった。
ところが、こうした運(めぐり)のよい福運(しあわせ)な家庭(いえい)にも、いつも幸福(さいわい)の風のみは吹いて来なかった。可愛ゆいひとり子が、ようようにして這うようになり、立つようになったころ、ふとした病がもととなって、ついに還らぬ旅へさらわれてしまった。
冷たい骸を抱いて泣き叫び、はては家人の隙をねらって戸外(かど)に飛出し4)、戸毎(いえごと)を訪れ道行く人を止めて、可愛ゆい嬰児(あかご)の助かる道を聞くのであった。彼の女はもう正気(こころ)を失っているのである。
【解釈4】 下線部4)の解釈
わが子の亡骸を抱きしめて離さず、泣き叫ぶキサーに、夫は慰めたであろう。「子どもは死んでしまったのだよ」と涙ながらに話して聞かせたにちがいない。繰り返し、繰り返し、夫は言い聞かせたはずである。夫の涙声が聞こえる。しかし、その声もキサーには届かない。
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人々は憐れには思うが、既に息絶えたものを蘇らせる術(すべ)もないから、ただ同情(おもいやり)の涙を与えるより外なかった。それから幾日(いくひ)か、憐れに気の狂った彼の女の姿の、巷(まち)から巷へとさまようて行くのが、人々の眼を曇らせていた。
ある日のことである。熱心な仏の信者(よろこびて)である一人が、とうとう見るに見かねて、彼の女を呼びとめて教えた。「妹(いも)よ、その子の病は重い、どうして世間(よのなか)の医者(くすし)の手におえるものではない5)。ただ一人、ここにその病を癒したもう方がある、それはいま幸に、祇園精舎に滞在(みとまり)しておられる御仏であらせられる」。
【解釈5】 下線部5)の解釈
この子は「死んでいる」とか、「亡骸である」とか、「埋葬しなさい」とかいった助言や指図をしていない。「病は重い」と言っている。しかも、「世間の医者の手には負えない」と、つけ加えている。キサーの身になって、思わず発せられた、この一言は、キサーのこころ(機根)に対応した言葉であって、正気を失ったキサーのこころに届くものであった。
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彼の女はこれを聞いて、もう救われたように踊り上がり、直ちに祇園精舎に馳せつけて、世尊にお遇い申して、ひたすら愛児(めでしご)の病を救わせ給わんことを、お願い申し上げた。世尊は、静かに彼の女のいう所を聞かせられ、やがて優しく仰せられるよう。
【補足】 釈尊は、直ちに、しっかりと受容された。
臨床心理学では、これを受容、アクセプタンス(acceptance)と申しますが、私はホールディング(holding)と言っております。あくまでも優しく、しっかりと受け止めること、ホールディングが、仏教カウンセリングの、これも要件であり、カウンセラーとしての基本中の基本の心得と思う次第です。
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「女よ、この子の病は癒し易い、然しそれには、芥子の実を五六粒呑ませねばならない、急ぎ巷に出て、貰って来るがよい」。
彼の女は、余りに容易(ことやす)い仰せに、急ぎ立ち上がって巷へ駆(か)けようとした。世尊はそれを制(とど)めて、「然し女よ、その芥子の実は、まだ一度も葬式(とむらい)を出したことのない家、人の死んだことのないところに行って、求めて来ねばならない」と仰せになった。
彼の女には、その意味(わけ)はとくと呑みこみかねたが、いま愛児の危急(さしせまり)の場合に、そのことを深く考えて見るほどの余裕(ゆとり)はなかった。
仰せを受けて、急ぎ巷に出て、戸毎家毎(いえごとやごと)に、芥子の実を乞うのであった。けれども、奇(あや)しいことには、乞われて芥子の実をくれない家とてはただの一軒(ひとや)もなかったけれども、死人(しびと)があるかと聞かれて、一度も死人を出さないと答える家は、全城(まちじゅう)の隅々に求めてもついに得られなかった。彼の女は、最初は奇(く)しく思ったが、しかし次第に、その奇しげな意味が解けかけて来た6)。
【解釈6】 下線部6)の解釈
芥子の実は得られなかった。「最初は奇(く)しく思ったが、しかし次第に、その奇しげな意味が解けかけて来た。」人の話が聞けたこと、思い出して悲しみ苦しむ人に出会って、おもわずキサーは慰めの言葉をかけたことであろう。ともに泣いて過ごす体験を持ったかもしれない。この、聞く、泣く体験こそ、「奇しき意味」の解けかける体験であった。
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人、生まれて死なぬものはない。家に死別(しにわかれ)の悲しみの訪れぬものはない。愛しき妻、可愛ゆきわが子、大切な両親、頼り要の夫、いずこにも、人の世の悲哀(かなしみ)はつきせない。そして最後は、その無常(かわりごと)をわが身の上に受けねばならない。彼の女は、身に粟の生(お)ゆるような戦慄(おののき)を覚えた7)。
【解釈7】 下線部7)の解釈
「身に粟が生ゆる」という心の状態、それは何か?
キサーは、その瞬間、ハッと気づいたのである。直観的に分かったのである。正気に戻った瞬間を示している。抱きしめているのは、亡骸であることが分かったのである。どうすべきかもわかったのである。そこで、わが子を埋葬して、釈尊のもとに再度、訪れることになる。
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もう芥子粒を乞う愚かさを、続ける勇気(ちから)も消え失せた。仏の御語(みことば)を待ち受けないで、彼の女の心には、もう法(のり)の眼(まなこ)が開いているのである。そのまま、幾日かを抱き通して愛児の骸(むくろ)を墓場において、精舎(みてら)に急ぎ還って、世尊の御傍らに跪(ひざま)ずいた。世尊は、静かにこの有様を眺め給うて、次のように問い給うた。
「愛児(めでしご)はいかが致した、芥子の実は求められたか」と問い給うと、彼の女は、御方便(みてだて)によって夢から覚め出ることの出来た喜びを申し上げ、何とぞ今日より以後(のち)、御弟子の一人に加え給う様にとお願い申し上げた。
かくて、はからずも御弟子の列に加わった彼の女は、つとめつとめて、次第に覚(さとり)の日に近づいて行ったが、ある日、悪魔(まがかみ)は、彼の女を誘惑(かどわか)そうとして、彼の女の前に現れて、歌うよう。
悪魔勧誘の歌 8)
「愛し子に、
別れし汝よ、
泣きながら、
ただひとり、
などやいる。
森にとさまよい入るは、
よきつれを、
求むるならめ。」
【解釈8】 下線部8)の解釈
悪魔は歌う。それは、極めて甘く、心地よく、魅力的であって、修行の道を踏み外す危険に満ちている。
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キサーは悪魔の誘惑(かどわか)の歌に対して、決然として、歌をもって、歌い返したのである。
キサーの歌 9)
「愛し子に別れたる
母の日過ぎぬ
よきつれと
いうものも無し
悲しみはせじ
汝をば
恐るることもなし
なべて世の
仇し楽しみは
消え失せぬ
闇を破り
悪魔の戦に勝ちて
悩み無く
われ
静かに坐れり」
【解釈9】 下線部9)の解釈
シャンソン歌手ピアフは、16歳の時、出会った少年と同棲し長女マルセルが生まれるが、2歳で病没している。後年、ボクシングの世界チャンピオンで、ピアフの最愛の恋人セルダンが事故死した時、ピアフは亡きわが子マルセルの名を叫び続ける。恋人の名もマルセルだったのだ。それでも、舞台に出て、「愛の賛歌」を歌う。それは、入魂の歌声であって、人の魂に響くばかりか、悪魔を退ける力を生み出すものであった。
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考察1 「愛」とは何か?
愛(アイ/いつくしむ・したしむ)会意。聊(あい)と心とを組み合わせた形。後ろを顧みてたたずむ人であるの形である聊の胸のあたりに、心臓の形である心を加えた形。立ち去ろうとして後ろに心がひかれる人の姿であり、その心情を愛といい、「いつくしむ」の意味となる。(白川靜『常用字解』4頁) 『字通』によれば、聊は「旡」と「夊」を組み合わせた形。
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亡骸を抱いて離さなかったキサーの正気を失(なく)した行為は、わが子(=他)の病を治したい(=利)という、利他の物語であって、母性の肯定的側面を意味するものである。
考察2 対機説法とは何か?
正気の人は「人は死ぬ」という事実が真実として受け止められるが、正気を失ったキサーには、愛するわが子の死が信じられない。正気を失ったキサーの「機」に対応した言葉は、死ではなく「生」であろう。機とは、器(キ/うつわ)、素材、機根、器質の意味である。
プラトンの対話編によれば、プラトンの師ソクラテスは、大工には大工の言葉を使って対話したという。釈尊は「狂気のキサー」に対して「狂気の言葉」を使って語りかけたのである。また、出家したキサーは悪魔誘惑の「歌」に対して、悪魔退散の「歌」で返したのである。
「熱心な仏の信者」は、「病は重い」と言い、「世間の医者の手に負えるものではない」「その病を治したもう方が祇園精舎に滞在している」と確かな情報を伝えた。しかも、釈尊は「病は癒しやすい」と仰せられた。いずれも、キサーの心に届く言葉であった。
考察3 キサー回復の体験過程
1.苦悩の再体験(Re-experience);聞く
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2.苦悩からの解放(Release);泣く
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3.苦悩体験の再統合(Re-integration);ハッと気づく
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(西澤哲1994『子どもの虐待−子どもと家族への治療的アプローチ』)
考察4 ハッと気づくのは「肚」の働き
解剖学者・三木成夫は「精神を支える二本の柱」について書いている。「切れるあたま」と「温かいこころ」の二柱で、前者は「判断とか行為といった世界に君臨」し、後者は「感応とか共鳴といった心情の世界を形成」している。前者は「動物器官」が、また後者は「植物器官」が支配している。
動物器官は「体壁系」といって、外皮・神経・筋肉の機能を、また植物器官は「内臓系」といって、腸管・血管・腎管の機能を支配している。体壁系の中心は「大脳」で、内臓系の中心は「心臓」である。
体壁系「頭」より内臓系「肚」が重要で、「はらわた」にこそ「ほんとうの実感」がある。「肚の底からしみじみと感じること」が生きていく上で基本中の基本である。
(三木茂夫『内臓のはたらきと子どものこころ』)
| 東大寺の大仏 |
考察4−2 頭光と身光:あたま(頭)とはら(肚)
解剖学者・三木成夫は、仏像の光背に注目している。頭光(ずこう)と身光(しんこう)は、大脳と内臓に対応している。すなわち、中枢神経系(大脳)と自律神経系(内臓)に対応している。理知的な表層意識と、情意的な深層意識に対応していることになる。
さらに、「あたま」と「こころ」に対応していて、それぞれ「二つの半分」であるが、どちらかといと、「こころ」が重要だというのである。
考察5 「両界曼荼羅」の意味?
「曼荼羅とは、本質心髄を有しているもの」であって、「自己の象徴表現」であるとされ、「人間の心の内部にある全体性と統合性へ向かう働きの存在と、自己治癒の力の存在を感じずにはおれない」(河合隼雄『ユング心理学入門』)
「マンダラは(第一に)保守的な目的・・・に役立つ。(第二に)創造的な目的・・・に役立つ。第2の面はたぶん第1の面より、より重要であろう。」(C.G.ユングほか/河合隼雄監訳『人間の象徴(下)』)
キサーは、その瞬間、「身に粟の生ゆるような戦慄」を覚え、ハッと気づいた。それは、「ほんとうの実感」をともなった、直観的なわかり方であった。両界曼荼羅のうち、仏の慈悲力による救済の表現「胎蔵界曼荼羅」が、心理臨床の観点からは重要であろう。
むすび (金子先生作の詩文からの抜粋)
人は皆、それぞれの物語を生きている。
人は皆、意味志向的傾向をもって、生まれる。
・・・
末那識を越えた、心の中の心、奥深い心の心髄、…
それが、仏教カウンセリングへの道。
・・・
カウンセラーもカウンセリーも共に歩む菩薩への道。
それが、仏教カウンセリングへの道。
・・・
人は皆、意味志向的傾向をもって、生まれる。
人は皆、それぞれの物語を生かされている。
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以上
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NVNニュース第19号をお届け致します。今回は第11回「心といのちの講座」について報告しました。
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