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NVNニュース 第10号

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NVNニュース 第10号(平成21年3月20日発行)
日蓮宗ビハーラ・ネットワーク
Nichiren-syu Vihara Network
NVN事務局 栃木県栃木市嘉右衛門町11-21 妙唱寺 〒328-0072  Tel 0282-22-3720 Fax 0282-23-6733

 平成20年度ビハーラ活動実践講座

 平成20年度ビハーラ活動実践講座 
講義 「仏教経典に見るビハーラ精神」
古河良晧師(目黒区常圓寺住職)
講義 「日蓮聖人のビハーラ精神」
山口裕光師(台東区妙経寺住職)
講義 「ビハーラ活動の歴史と現状」
奥田正叡師(京都市常照寺住職)
講義 「ビハーラ活動とカウンセリング」
渡部公容師(港区長久寺住職)
実習 「ロールプレーイング」
渡部公容師(港区長久寺住職)
補助:NVN世話人・NVN事務局員
講義 「終末期に於ける医療と宗教」
村瀬正光師(愛知県大光寺修徒)
講義 「お見舞い・千代見草」
柴田寛彦師(秋田県本澄寺住職)
講義 「ビハーラ活動の実際」
今田忠彰師(大田区妙徳教会担任)
実習 「看護・介護の実践」
林 妙和師(愛知県道心寺修徒)
講義 「グリーフケア」
藤塚義誠師(長野県大法寺住職)
 平成21年1月22日(木)・23日(金)、日蓮宗宗務院4階第3・4研修室(並びに5階講堂)に於いて、平成20年度ビハーラ活動実践講座が開催されました。
 これは、平成20年9月3日(水)・4日(木)に日蓮宗宗務院に於いて開催された社会教化事業講習会での「社会教化活動の紹介」の中で、京都市常照寺住職(NVN世話人)奥田正叡師が「ビハーラ活動」の紹介を行いましたが、それを受けて、ビハーラ活動の実践編としての講習会となるものです。
 今回の講習も、伝道部よりNVN(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク)に運営が任されました。一昨年度、昨年度は、1日だけ(日帰り)の講習会でしたが、今年度は、一度 今までの講習会で行ってきたものをまとめてやってみたいということで、沢山の講義を1泊2日に詰め込んで、30名に限って行うことにしました。
 教師25名、寺族5名の合計30名の定員丁度の応募を頂き、当日1名欠席されましたが、29名の参加者で無事に終了することができました。
 平成8年度に日蓮宗現代宗教研究所所管として行われました「ビハーラ講座」が、平成15年度から伝道部所管に変わり「ビハーラ活動講習会」となり、平成18年度からは「ビハーラ活動実践講座」となりましたが、今回で通算13回目となります。今回の講座は、今までの講座の集大成になっていると思います。
開 講 式
齋藤憲一伝道部長
齋藤憲一
伝道部長
 最初に玄題三唱の後、齋藤憲一伝道部長より「ビハーラ活動とは、生老病死の苦しみの直中にある人々に優しく寄り添い、お題目によって抜苦与楽を実現しようとする、まさに宗門運動の基本目標を具現化する活動であると言ってよいだろうと思います。」と、御挨拶を頂きました。
柴田寛彦NVN代表
柴田寛彦代表
 続いて、NVN代表柴田寛彦師より、「1泊2日でみっちりとやらないと、基本的なことから応用的なことまでお伝えすることが出来ないということで、今回のような形にさせて頂いております。内容的に非常に密度の濃い内容になっておりますので、受講する方々にとっては非常にきつい内容かなとも思うのですけれども、是非とも1泊2日きっちりと受講して頂いて、それを持ち帰って、各御自坊、各地域での活動に取り組んで頂ければと思っております。」と挨拶がありました。
 この後、講義に入るのですが、今回は、講義を担当されました各先生方に講義概要を書いて頂きましたので、それを掲載させて頂きます。
 「仏教とビハーラ−仏教経典に見るビハーラ精神−」   
東京都常圓寺住職 古河良晧師
古河良晧師
古河良晧師
 仏教にもとづくビハーラ活動の起源は、仏陀釈尊の時代にまで遡ります。そこで、この講義では仏教の諸経典からビハーラ精神を探り、それらを学んで仏教徒としてのビハーラ活動を理解することを目的とします。まず、ビハーラの用語を解説し、次いで仏教諸経典の中から原始仏教経典のスッタニパータやジャータカなどを引用してビハーラ活動の精神を学びます。また釈尊入滅前後の模様を描いた大パリニッバーナ経から、釈尊と弟子との間で交わされた看取りのあり方、残された者への癒やしなどに関する経文を引用し、今日にも参考とすべき大切な示唆を学びます。
 次に、維摩経や勝鬘経、華厳経などの大乗諸経典を引用して、そこに脈打つビハーラ精神を学び、以上の仏教諸経典から仏教に説くビハーラ活動の理念をまとめ、さらに法華経に説くビハーラ活動の理念を解説します。
 最後に、仏教の基本的な生命観、法華経に見る生命観を概観して、生老病死の四苦からのがれ安穏な境地に導くところのビハーラ活動実践の原点としての「いのち」を考えます。
 「日蓮聖人のビハーラ精神」   
東京都妙経寺住職 山口裕光師
山口裕光師
山口裕光師
 御遺文は宝の山の如く、また如意宝珠の如くです。今ならドラえもんのポケットと言えるでしょうか。全てのことに対応する教えを説いて頂いていますが、このビハーラ活動の指針においても同様です。ことに書状類には病気の方や家族に安否を尋ね、病苦の克服方法を教示し、そして信心を励ます内容が多く見られます。また良医を紹介するなどの行いは、宗教者と医師が連携して身心両方の苦痛を和らげようとする、典型的なビハーラ活動といえるでしょう。
 講義内容は二段階に分け、一つはご遺文を@よろこび Aはげまし Bやすらぎ C安心をそれぞれ差し上げられる四つに分類し、活動を志す方々が引用し易いように努めました。また二つ目は日蓮聖人の外護者であると共に、病気がちのため、ことあるごとに励まされた富木尼への教導をまとめてみました。お見舞いや、手紙、文章仏道等に活用して頂きたいと思います。
 なお私の反省点としては、四つの分類以外の分け方もあるのではないか。短時間なので理解し易い法華経、ご遺文に絞って解説すべきであった。南条時光関係のご遺文も富木尼あてのように、まとめられるのではないか等です。基本的なジャンルなので大きな転換はできないように思いますが、以上の内容を加えて工風する必要があると感じております。
 「ビハーラ活動の歴史と現状」   
京都府常照寺住職 奥田正叡師
奥田正叡師
奥田正叡師
はじめに
 古代インドの祇園精舎には聖人病院や仏示病院がありアショカ王は当初から医療活動を実践していた。霊鷲山のあるインドのビハール州の語源は「ビハーラ」である。
T ビハーラ活動の歴史
1、飛鳥時代
 538年、百済から仏教が伝来し同時に多くの先進文化が伝えられた。僧侶たちの多くは仏教の教えを説きながら慈悲の精神により救療活動を行った。
 ・聖徳太子(574〜622年)四天王寺を建立し、四箇院を併設した。
 四箇院とは、施薬院・ 療病院・悲田院・敬田院
 つまり「寺院・薬局・病院・福祉施設の一体化」が日本における寺院形態の原型だった。
2、奈良時代
 国の事業の大部分が仏教的色彩を帯びるようになり、国毎に国分寺・国分尼寺が建てられ、寺院のに多くに施薬院や療病院が設けられるようになった。寺院はさながら救療事業のセンタ−的役割を果たすようになっていった。
 行基・鑑真など
3、平安時代前期
 世の中が平穏無事で文化も栄えた。この時代の仏教は最澄、空海により日本的なものとなったが貴族中心の仏教で民衆には十分浸透しなかった。
 最澄・空海など
4、平安時代後期
 仏教の退廃的兆が見えはじめ、仏教看護の崇高な精神も薄れ報酬のみを目的とする僧侶も出てきた。この頃天然痘、疫痢、肺結核など伝染病が流行り迷信的な加持祈祷では治らず、結局医学は仏教と分離する方向へ進んだ。また、現世利益を説く密教は人心から離れ末法到来の思想が深く民衆に浸透した。その結果、現世の利益よりも未来の浄土を求める極楽往生安楽国の信仰が興り浄土思想が流行するに至った。
5、鎌倉時代
 浄土宗の流行以来、戒律を軽視し修行を怠る仏教界の現状に失望した人々は律宗に注目し、もう一度戒律の実践によって規律ある仏教界を再興しようとした。それを契機に禅宗や法華宗など鎌倉新仏教各宗派が次々と誕生した。
 この時代公の医療制度は特に規定されなかったが、それにもかかわらず民間看護史上黄金時代といわれるほど多くの医療施設や看護事業が僧侶達によって実践された。
 源信・重源・法然・栄西・良忠・叡尊・忍性・日蓮など
6、南北朝から室町桃山時代
 武士の中から治療に特殊技能を持つ者が現れ、この軍医を「金創医」と呼んだ。室町末期には金瘡(創傷外科)・女科(産婦人科)・児科(小児科)・眼科・口中科(口腔外科、歯科)などの専門医が現れるようになった。
 この時代末期、曲直瀬道三が出て『啓迪集』八巻を著した。この書は医学を仏教から独立させるきっかけをつくり、我が国における近代医学のはじめを飾った。
7、江戸時代
 幕府の政策により檀家制度が用いられるようになった。その結果寺院の経済が安定し、僧侶の伝道活動が以前より弱くなり、それに従って僧侶の看護活動も一部を除いては全体的に衰退していった。この時期、医学が学問として初めて独立するに及んで、ますます拍車がかかった。
8、明治以後
 明治維新と同時に西洋医学が流入するとわが国医療の主流となりますます仏教と医療が分離していった。
U ビハーラ活動の先駆者
1、宮沢賢治
2、綱脇龍妙
V ビハーラ活動の現状
1、「ビハーラ本願寺」の紹介
 「ビハーラ活動とカウンセリング」   
東京都長久寺住職 渡部公容師
渡部公容師
渡部公容師
1、「傾聴すること」の難しさ
 一般に、学校の先生と僧侶は人の話を聴かない人が多いといわれるが、カウンセリングで最も重要なことは「傾聴」であるといってよい。特に僧侶がカウンセリングを行う時、その難しさとしては、一つには、これまでの僧侶の役割として「死者供養」に比重がかかり過ぎていたために、多くの人が僧侶に対してカウンセリング的な役割を期待していないことがあげられる。またもう一つとして、相談に訪れる人の中には「答えを教えて欲しい」という態度も多く、結果としてカウンセリングではなく、僧侶が一方的に「指導」したり「指示」するという、いわば「お説教カウンセリング」になってしまうことである。
2、遺された人への対応
 配偶者を亡くした時、どのような関わりが大切かということについて、次の3点があげられる。
(1)気持ちを表現してもらい、そのよい聴き役になること。
(2)無理に明るくしようとする必要はない。
(3)饒舌になるよりも、話に耳を傾けること。
(資料 東京都老人総合研究所)
3、人の話がうまく聴けない時に
(1)その人のことをもっと知りたいという気持ちがあるか?
(2)相手に対して尊敬の念があるか?
 なお、いくつかの事例からも、相手に対する「共感的な理解」と、その人の気持ちを受け止める「受容」と、そして「傾聴」がなにより重要であることが指摘される。
 「ロールプレーイング実習」   
東京都長久寺住職 渡部公容師
ロールプレーイングの様子
ロールプレーイングの様子
 ロールプレーイングとは「話を聴くこと」の訓練であり、カウンセリングの実践的な学習法のひとつである。
 この実習では、受講者2〜3名で1グループを構成し、お互いが「カウンセラー役」、「クライアント役」、そして「オブザーバー役」という異なる立場を体験した。
 実習後のディスカッションでは、あらためて人の話を「聴くこと」の難しさを、短時間ではあったがそれぞれの体験を通して実感したようであった。
 「終末期に於ける医療と宗教」   
愛知県大光寺修徒 村瀬正光師
村瀬正光師
村瀬正光師
 始めに宗教者が実際に活動している医療現場を紹介。長岡市の長岡西ビハーラ病棟は全国で9番目に認可された緩和ケア病棟で、病棟内に仏堂があり、常勤の僧侶と約60名の超宗派のボランティア僧侶が医療現場で様々な活動をしている。宗教行事としては朝夕の勤行や彼岸会、盂蘭盆会などをしており、写真を中心に実際の活動を紹介。次に「医療現場での僧侶の評価」、「医療と宗教に関するアンケート」、「国民の終末期医療への意識」等を紹介。
 病院は治療するだけの場所と考えられているが、現実には8割以上の方が亡くなっている看取りの場でもある。しかし、医療現場では「死にゆく者の看取り」と「死別の悲嘆」に対して取り扱いかねている。また、価値観の多様化によって、「良き死」を共通化することが困難になっており、そのため「個人の自己決定にまかす他ない」状況になっているが、実際には家族が多くのことを決定している。宗教的視点から「良き死」「看取り」「悲嘆」等について考え、より広い層に訴えかけるような言葉と行動を宗教サイドに要請されているように感じる。多くの文献やアンケートの結果からは、終末期に於ける宗教家の関わりを医療者も国民(檀信徒)も期待していると思われるが、ビハーラ活動を知らないという意見が多く、まずは啓蒙活動が重要と思われる。
 「お見舞い・千代見草」   
秋田県本澄寺住職 柴田寛彦師
柴田寛彦師
柴田寛彦師
 私が今回の講義でお伝えしたいことは二つありました。
 一つは、ビハーラ活動の中で、日蓮宗「教師」が何をするのかということももちろん重要ですが、病気や障害、老化に悩む本人自身が何をすればよいのか、「苦しみの中にある本人が自身を磨くために何をすればよいのか」という観点からの提案をしたいことです。
 二つ目は、日本で日本人の感性に対応するだけでなく、「世界的視野ですべての人々に普遍的なお題目のあり方を考える」という観点が必要だということです。
 昨年11月に開催された世界仏教徒会議に参加して、私が受け取った重要なキーワードが2つありました。第1は、仏教の「行」としてのmeditation(瞑想)の重要性です。meditation(瞑想)は、「禅定」にいたる修行形態として仏教の核心にある普遍的なものです。私たちは「唱題」によってこの境地に至ると考えているわけで、唱題行がイコール瞑想行であるといっていいだろうと思います。決して「禅宗」の専売特許ではありません。唱題こそが瞑想の極地であり、そのことをもっとアピールする必要があります。第二は、菩薩行の重要性です。日蓮聖人は、自己中心の禅宗の考えや死後往生を願う浄土宗の考えを批判して、地涌の菩薩として現実娑婆世界で法華菩薩行を実践しなければならないことを私たちに教示されましたが、最近は禅宗も浄土(真)宗もみんな菩薩行の大切さを言い出しており、日蓮宗の母屋が乗っ取られそうになってきています。さまざまな社会問題の解決には、正法たるお題目でなければならないことをもっと訴えなければならないと思います。
 以上のことを念頭に置きながら、終末期医療においては「臨終正念」の観点が必要であることを「千代見草」等を参考にしながら講義し、一緒に考えさせていただきました。
 「ビハーラ活動の実践を通して」   
東京都妙徳教会担任 今田忠彰師
今田忠彰師
今田忠彰師
 ビハーラ活動を始めるきっかけとなった出来事を説明し、現実的な(採算が取れる)対応を研究し、妙徳ビハーラを設立、グループホームを立ち上げた経緯を説明されました。
 在宅看護の問題点を挙げ、在宅看護の現場並びにグループホームの現場から、現状を報告され、お見舞いの心得について説明し、「あなたも明日からビハーラ活動をして下さい」と話されました。
 まとめとして、社会性の無い仏教はいずれ滅びる−社会的貢献の重要性について説明され、私たちの一番の社会的貢献は、法華経・お題目を社会に弘めることであり、ビハーラ活動との「両輪の輪」としての活動であるべきである。真剣に取り組む姿勢が、檀信徒の共感を呼び、社会の賛同を得る。日蓮宗僧侶の活動は、すべて宗祖の願行である「立正安国」を顕現するための活動につながるとの自覚が必要である、と話されました。
[注:編集者がまとめました。]
 「看護・介護の実践」―事例と実習を通して支援を考える―   
愛知県道心寺修徒 林 妙和師
林 妙和師
林 妙和師
 介護の社会化が叫ばれて久しいが、まだ正しく理解されていないニュースも後を絶たない現実があります。ビハーラ活動の実践においては高齢者に限らず「むき合うその方法」を理解することから始まります。
 今回は介護の現場(家庭や施設)における実例を紹介し、ケアのあり方がその方の自立や生命の質(QOL)にまた家族との関わりなどがどのような影響を及ぼすか画像を通して紹介。
介護技術のワンポイント・補助
介護技術のワンポイント
食事補助
 また介護技術のワンポインでは、昼食の弁当を使って実際に食べさせてもらう側、食べさせる側から実習。相手の思いと介助側とのズレなどを実感するのと、立ち上がりや移乗など安全な介護のポイントを体験して頂いた。
介護補助
介護補助
 次いで高齢者疑似体験では、装具による体験と、認知症の方をバーチャル体験することにより、加齢によるからだと心の変化の特徴と日常生活上で何が困ることなのか、不安や戸惑いなどを知り、その人らしく、イキイキ最後まで安心して暮らせるよう、どんな支援が必要か、生活者としての看まもりもケアの心と技であることを理解して頂いた。
 実例と体験学習を通して、特別構えた活動でなく、身近な場にビハーラ活動の糸口がある事とその活動の意義をお分かりいただけたと思います。
 また直接介護をしなくても正しい知識を持つことによって、高齢社会を「共に生きる」人として僧侶・寺庭婦人として必要な連携を持ち、地域住民への啓発やビハーラ活動の一助なれば幸いです。
 「グリーフケア」   
長野県大法寺住職
藤塚義誠師
藤塚義誠師
 グリーフとは、愛し依存する対象を失って生ずる悲しみの感情をいいます。その悲しみを受け入れ新しい生き方に気づき、再出発するまでに必要な作業をグリーフワーク(喪の作業)と称し、これを周囲が援助することをグリーフケア(悲嘆援助)と呼んでいます。ケアとは深い意味でその人の成長(自己表現)を助けることです。
 悲しみの過程は@喪失の事実の受容 A悲嘆の苦痛を克服 B死者の居ない環境に適応 C社会復帰という段階を通ります。この間には怒り、孤独、憂うつ、虚脱感、罪責感、引きこもりなどの複雑な心情を繰り返します。
 遺族は亡くなったことを頭で理解できても、心が追いつかないのです。
 葬儀、法要に関わる僧侶にとってグリーフワークの理解とケアの実践はきわめて重要です。しかし「僧侶はグリーフの外にいる」という厳しい批判があり、私たちは儀礼執行のみで事足れりとしていないだろうか、大切な人を亡くした悲しみと嘆きをどこまで受け止めているだろうか省みたいと思います。
 グリーフワークの基本姿勢は受容と共感です。批判や叱責を避け、また価値観や人生観を押し付けません。また、安心して泣くことが許され、泣くことができる場を必要とします。悲しみをあるがままに表現することが大事です。
 日蓮聖人は、上野殿母尼御前御返事などの御消息文を拝読すると、悲しみに寄り添う伴走者であったことがうなづけます。
閉 講 式
 受講者には、NVN柴田寛彦代表から修了証が渡されました。この講習会は、社会教化事業講習会に位置づけられており、各管区の宗務所長と社会教化事業協会会長の推薦により社会教導師に任命されることが出来ます。
 最後に、柴田代表が「地元で御活躍下さい」と挨拶されました。
私にもできるカウンセリングまる8
〜相談する部屋は?〜
渡部公容  
 相談を受ける時、まず考えなければならないのは「相談室(カウンセリングルーム)」です。相談室にはいくつかの条件がありますが、その一つは、静かで落ち着いて話ができる部屋であることです。もし相談中に襖一つ隔てた隣の部屋からテレビの音や話し声、あるいは電話の呼び出し音が聞こえてくるようであれば、とても落ち着いて話はできないでしょう。少なくとも相談時間の間は電話に呼び出されることもなく、静かな時間を確保したいものです。
 また、相談室はいつも同じ部屋を使うようにしたほうがよいでしょう。その時々のお寺の都合で来談のたびに異なる部屋に通されるのでは、来談者は落ち着きません。いつも同じ部屋であるということは、その人を安心させ、その人にとっての「居場所」を作ってあげるということにも関係してきます。
 サラリーマン川柳に「土地もある、家もあるのに、居場所なし」という句がありますが、身も心も「ここが自分の居場所である。ここに座ると心が落ち着く。安心する」ということは重要なことですから、その人の「指定席」を用意してあげることは大事なことと思われます。
応接セットイラスト
 なお、最近のお寺の建物にも椅子が導入されることが一般的になってきましたが、なかには古い客間などを使ってお話を聴くこともあります。しかし座布団に座ってのカウンセリングはお互いにとって大変かもしれません。自分はいくら正座に慣れているからといっても相手にとっては長時間の正座はかなりの負担となるでしょう。相談時には椅子(できれば簡単な応接セット)が用意されているとよいでしょう。また座る時に、テーブルを挟んで対峙する形になると、まるで警察の取調室のような感じになってしまいますので、真正面に座ることは避けたほうがよいでしょう。
(次回につづく)
ビハーラグッズ
お見舞い用タオル
カードサイズお守り
お見舞い用タオル カードサイズお守り (赤)





単価220円、タオルは50部より注文可能

  編集後記 
NVNニュース第10号をお届け致します。年2回発行することができ、嬉しく思います。
NVNウェブサイト(http://www.nvn.cc/)に、資料等を掲載しております。どうぞ、ご活用下さい。
ご意見、ご感想をお待ちしております。
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