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夫と娘の面倒をみてほしかった。何もしてほしくなかった。わかったような態度。
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人と電話をするのもつらかった頃、ハガキをくれて「返事はいらないからね」と書いてあった。さりげなく気にかけていてくれるということを知らせてくれるのが嬉しかった。子供の冥福を祈ってくれることが、自分をなぐさめるより嬉しかった。
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自由に悲しみ淋しさを味わわせてほしかった。
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やはり亡き息子と私たち遺族のために祈って欲しいし黙して共に悲しんでほしい。
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何年たっても亡くなった子どもは帰ってこないというこの悲しみを共感してほしかった。
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何もしてほしくありません。子どもを亡くしたことのない人の慰めや考えなど、まだまだ受け入れることができません。だから、黙って受け止めていてくれるだけで良いのです。
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一人にしてほしかった。家事のこと家族の食事などを作ってほしかった。しかし、実際に体験しないとその人の気持ちは理解できないと思う。
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何も言わずに手を撫でるとか肩をさするとか、とにかく黙っていてほしかった。手紙は有難かったです。都合のいい時間に読むことができるからです。また、直後だけではなく継続して数ヶ月に一度ぐらいの形でお便りをくださることは、ずっと心にかけてくださるのだ・・と心の支えになりました。
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私の泣きさけぶ話をきいてほしい。私はどうしたらよかったのだ。
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全面的に私の悲嘆、絶望、痛恨を等身大に受け止めてほしかった。
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なくなった子どものよい点を話してほしかったし、だまって私の話しを聞いてほしかった。私の決定したことを認めてほしかった。
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息子をいつまでも憶えていてほしい。丸ごと理解し、受け入れてほしかった。
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震災後に生まれた子どもに対して、「生まれかわり」を主張されること。学校の教師が生徒にむりやり書かせたかわいそうな母親あての激励の手紙の束。まだ若いじゃない、やりなおせる、と言われたこと。
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いやだった言葉は「がんばってね」「一日も早く忘れて」・・そんなことできるわけがない。年賀状に子どもの写真付きを震災後も毎年送ってくる人が数人いる。
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枠のなかにとじこめてほしくなかった。例えば、あの時からもう1年または2年経つのだから「元気になっている」と強制されること。私はいつも回りの人々が要求する顔をして生活していたように思う。日本という国は苦しみや悲しみの中にいる人を健康で幸福な人々が自分の勝手な好ましい姿になってほしいと強制する社会のように思われた。
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「もう1人の子どもが残っているでしょう」とか「もう何年もの歳月が過ぎたから元気になったでしょう」などという言葉。両親の亡くなった孫をすぐに忘れてしまったような態度。
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がんばって、早く元気になってなどというはげまし。
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家に入っていろいろ世話をしてくれたこと。
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私の前で大泣きされたり、泣きながら抱きつかれたりするのは困りました。頭の中は混乱して、平静を装っているのが精一杯の時期に、次々たたみかける様にいろいろな言葉を浴びせられるのは本当につらかった。「がんばってね」(今でも精一杯がんばっている)。「早く乗り越えてね、早く元気になってね」(とても乗り越えられない、とても元気になれない)「ご主人も息子さんたちもいるんだから・・」(亡くなった子どものことで精一杯・・)形だけの言葉がけは必要ありませんでした。
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「立ち直り」や「悲嘆にはプロセスがある」などと言って「あなたは、今は何年も経つのだからこのような状態でしょ・・」と、おしつけがましく私の状態を解明しようとする人々の話。1人1人の感情をひとまとめにしてしまうような考え。
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理屈で説明しようとすること。すべてをあいまいにしようとする話。
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次男が生まれたら、ある人が「悪縁を切る子どもが生まれてよかったですね」と言われた。亡くなった子どもが私たちのとって悪縁をもたらしたように考えられているかと思うとゾッとした。
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娘を息子の生まれ変わりと言われること。息子は息子で誰にもかわってほしくないし、そうではありません。
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娘を出産する時、息子の生まれ変わりと言われたこと。
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娘が誕生したら息子の生まれ変わりという言葉。あの子はあの子でいつも生き続けているのに。日本の社会では家族に不幸なことがおこると因果応報的に考えられ、先祖か私たち両親に悪い行いがあったためと責められているように思ったし、そのため長い間人前に出ることができなかった。因果応報の考えで人の不幸を見ないでほしい。
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