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NVNニュース 第17号(平成26年3月21日発行)
日蓮宗ビハーラ・ネットワーク
Nichiren-syu Vihara Network
NVN事務局 香川県丸亀市南条町9番地1 宗泉寺内
〒763-0046 Tel 070-5680-3447 Fax 020-4664-6973
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NVN被災地支援活動 & 第10回「心といのちの講座」 in 大槌
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平成25年11月18日(月)〜19日(火)、NVN被災地支援活動&第10回「心といのちの講座」in大槌が行われました。NVN(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク)と日蓮宗生命倫理研究会(日生研)が共催し、被災地支援活動と第10回「心といのちの講座」を併せて大槌町に於いて行われたもので、NVN会員15名、全国日蓮宗女性教師の会(全日女)会員2名、寺族1名、檀信徒1名の方々が参加されました。また、参加は出来ないけれども多くのNVN会員の方々から被災地支援活動への支援金を頂きました。
NVN被災地支援活動& 第10回「心といのちの講座」in大槌 日程 |
11月18日(月) |
14:00 | 釜石駅集合 バスにて移動 |
| 釜石市内被災地状況視察 |
14:30 | 仙寿院訪問 慰霊法要・法話 |
15:30 | 仙寿院出発 大槌町被災状況視察 |
16:30 | 「三陸花ホテルはまぎく」到着 |
17:00 | 第10回「心といのちの講座」Part1 |
18:30 | 夕食懇親会 |
11月19日(火) |
6:10 | 浪板海岸慰霊法要 |
8:30 | 蓮乗寺訪問 慰霊法要・法話 |
9:00 | 蓮乗寺出発〜赤浜公民館 |
| 大槌町被災地区 唱題行脚 |
10:00 | 第10回「心といのちの講座」Part2 |
12:00 | 片付け・公民館出発 |
13:00 | 釜石にて昼食反省会 |
14:20 | 釜石駅にて解散 |
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11月18日(月)13:40全国各地より釜石駅に集合した一行は、NVN世話人近澤雅昭師が用意したバスにて釜石駅を出発、道中、釜石市内の被災状況を視察しながら、被災直後から数百人の被災者の避難場所として本堂を開放し現在も継続して復興支援活動を行っている仙寿院に向かい、仙寿院に於いて慰霊法要と法話を行いました。その後、道中、大槌町被災状況を視察しながら「三陸花ホテルはまぎく」へと移動し、災害後岩手県立大槌病院仮設診療所に赴き内科医として診療にあたる宮村通典師(NVN会員)・洋子ご夫妻を講師に「被災地で共に生きる〜医師として僧侶として〜」と題して、第10回「心といのちの講座」Part1を開催しました。その後、同ホテルにて夕食懇親会を行いました。
翌19日(火)は、朝6時過ぎより、浪板海岸にて慰霊法要を行い、朝食後、蓮乗寺を訪問し、慰霊法要と法話を行った後、蓮乗寺を起点に赤浜まで大槌町被災地区を唱題行脚しました。そして赤浜公民館に於いて被災住民50名以上が来られている中、「法話とお茶の会」と題して第10回「心といのちの講座」Part2を開催し、講話、座談会、傾聴を行うとともに、医師・看護師の資格を持つNVN会員による血圧測定、健康相談などが行われました。
12時に終了後片付けを行い、公民館を出発、釜石にて昼食を取りながら反省会を行い、14時過ぎに釜石駅にて解散となりました。
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11月18日、NVN代表今田忠彰師、日生研代表渡部公容師、NVN会員ら総勢19名にて、岩手県釜石市仙寿院(芝ア惠應住職)を訪ね、津波で犠牲になった被災者への慰霊法要を行った。
仙寿院は、震災当日、建物内に576名、境内に183名が避難をし、同年8月8日までの計151日間避難所として開放されました。その間被災者と町の復興計画について話し合い、どこよりも早く復興計画図を市担当者に提出した。
法要後、実際に津波の映像を見せて頂いたが、大きな波がドーンと1回来て全てを襲ったのではなく、津波は何度も何度も押し寄せていて、しかも第2波第3波の方が波が高い。またその都度引き波によって被害が更に拡大していく。
震災直後を振り返り、芝ア住職は「神も仏も無いもんか。ここに逃げてきた方の言葉です。私はその言葉を否定できませんでした。それでも神仏はいると言える人は、よほど立派な人か、偽善者のどちらかだと思います。私もその通りだと思ってしまいましたが、後から考えると、神仏の守護はあった。ただし気付かない人の方が多かった。気付いていた人は確実に助かっている。不思議なことも沢山あったし、神仏の守護はあるんだな。神も仏もないんじゃ無いんだな。と、後になって良く分かりました。」と話された。更に避難所の運営については「非常に疲れる。しかし給仕第一と言われ幼い頃から教わってきたことを自然とやっていると、避難者に対し、給仕・仕えることが当たり前だと思ってやることができた。しかし普段手も合わせない、「いただきます」も言わない人に何か出来たかというと、何もできなかった。僅かな食料を分け与えよう、お掃除をしようといってもただ見ているだけ。普段の行いが、いざという時にはそのままが出る。普段から自然と手を合わせる習慣のあった方たちは、困ってはいるけれども、前向きに生活することができていた。手を合わせましょう。あいさつをしましょう。これからも言い伝え続けなければいけないですね。」
現在、芝ア住職は、各宗派各団体からの依頼があれば、全国からの支援のお礼を込め、どこでも自費での講演を行っている。また住職自ら事務局となって「釜石に桜を植える会」を設立し、悲惨な地を安心の場所に変えるというスローガンのもと、一般市民に声をかけ、平成27年に桜を植樹することを目指している。
仙寿院から「三陸花ホテルはまぎく」への移動中、大槌町被災状況の視察(上)、 神戸市の「117希望の灯り」から分灯された「希望の灯り」(右)
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「被災地で共に生きる〜医師として僧侶としてから」
| 宮村通典師・洋子夫妻 |
第10回目となる今回の講座は、一日目の受講者は、各地より参加した19名と釜石、大槌など地元からの参加者を招いた形で行われた。
講師の宮村上人は、日蓮宗僧侶であり、現在は県立大槌病院の医師である。内科、心療内科の医師であり、53歳で出家し数年間医師の仕事を休んで身延などで修行した。長崎県大村市の病院で副院長を務めていたが、震災の年の9月に親戚のお見舞いに大槌を訪れ、現地の惨状を目の当たりにし、被災者の心に寄り添いたいと1年8か月前に大槌町に移住した。動機として、岩手出身の宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ」から、行きなさい。行動しなさい。と啓示を感じ、大槌町に移住して継続して医療に携わることを決意したという。
震災で大槌町の約10人に1人が亡くなった。スライドで津波発生時、発生後の様子、医療活動の様子を観ながら説明を受けた。2階建て木造家屋はすべて流出し瓦礫化。鉄筋コンクリート・鉄骨造りの建物は撤去された。大槌町の医療機関はほとんど全壊した。
次にテレビで放映された宮村上人のドキュメント番組を鑑賞した。「いのち。伝えたい医師として僧侶として〜被災地医療のいま〜」
宮村上人は、仮設のプレハブで診療を行っている県立大槌病院の他、週1日県立釜石病院でも心療内科の診察をしている。窮屈な仮設住宅での生活が長引き、眠れない、急に悲しみが襲ってくる、涙が出ると訴える患者が増えている。時間をかけて聴いてあげることが大事だが、自分がまず病気である、心の病であるという認識がない。震災から時間が経ち、長期化する仮設住宅での生活のストレスの過重から疲れやすくなったり、うつになったり、ずっと我慢してきたことが
表面に出始め身体的にも、精神的にもいろいろなひずみが出てきている。震災のいろいろなものを引きずっている方が結構おり、海の匂いや海を見ただけで動悸がしてくるなどPTSD(心的外傷後ストレス障害)の方もいる。被災者の心のケアの重要性を強く感じているという。仮設住宅を訪れ、ストレス回避のためのストレッチ体操の指導や、傾聴の活動もしている。
また、宮村上人は、寺院の存在は亡くなった方の魂を鎮めるだけではなく、残された人々の心の拠り所となると考え、津波の後に発生した火災で全壊した町内の蓮乗寺再建にも力を注ぐ決意をしている。蓮乗寺が、ご自身の心の拠り所となっているという。
震災で亡くなられた方を供養することがこちらへ来たことのもう一つの理由である。僧侶であることを活かし、みなさんの心に寄り添って心の救済をして行きたい。自分自身で納得が行くまで頑張っていく決意である。奥様の洋子さんもしっかりと上人を支えると共に、看護師の資格を持ち医療従事者であった経験から、社協の調査などボランティア活動を通して被災者の傾聴や、東北岩手沿岸地域の長期的な健康調査などに携わっている。
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11月19日、雨の降る早朝6:00より、宿泊した「三陸花ホテルはまぎく」(旧浪板観光ホテル)屋外テラスに於いて、浪板海岸にて津波により亡くなられた大勢の犠牲者に対し浜供養を行った。
「三陸花ホテルはまぎく」は、震災当時20mもの津波に襲われほぼ全壊したが、当時宿泊客だった43名は従業員の誘導のもと高台へと逃れて全員が無事だった。しかし社長の山崎龍太郎さん、女将の緑莉さんは、1分1秒でも早く宿泊客を館内へ戻してあげたいという思いのもと、安全確認の為にいったんホテルへ戻ったところを、第2波の大津波に呑みこまれて犠牲となり、未だに行方不明のままである。
建物は社長不在のまま1年半以上ほぼ手つかずの状態だったが、「ホテルをこのままにしておけない」と決意したのが龍太郎さんの弟で、ホテルの常務だった山崎茂さん。現在茂さんが代表取締役を務め、従業員43名で業務にあたっている。そのうちの15名は復職した従業員で「町の復興はまだまだ進まない。しかし私達にとってホテルの再開は1つの大きな復興です。」と力強く語っている。浪板地区では社長・女将以外にも、遭難者を救助中の消防団員をはじめとする約30名が犠牲になったが、現在遺体が確認できているのはたったの6名である。
法要後には会員が一心にお題目を写経した散華と紙塔婆を海へ流し、大勢の犠牲者に向けて心からの供養を行った。
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蓮乗寺(木藤養顕住職)は震災後に発生した大津波により、流された家屋がプロパンガスに衝突して火災が発生し、その火が燃え移り全焼した。その為現在はプレハブの仮設本堂において、日々の勤行などの法務を行っている。
蓮乗寺御住職導師のもと、NVN会員と蓮乗寺檀信徒の皆さんとともに、震災犠牲者の追悼法要並びに復興祈願の法要が営まれた。
読経とお題目に合わせ、檀信徒の方々が打ち鳴らすうちわ太鼓の音がプレハブの本堂に響いた。
法要後、木藤住職は震災当時を振り返り「当時は法要中で、過去にない大きな揺れに燈明も倒れ、尋常ではないと思った。すぐに外に出て街を見渡すと、海岸から迫りくる大津波にも街の人々が気付いておらず、とにかくお寺まで上がってくるよう何度も声を嗄らして叫び続けた」と言う。
ちなみに蓮乗寺は過去幾度の津波が押し寄せても、高台にあり津波は到達しないと言われてきた。しかし、話をしている住職の背丈くらいまで津波が押し寄せたという。
震災後、津波により火災が発生し、本堂は全焼したが、避難してきた方たちの手を借り、火が回る前に祖師像や位牌などの貴重品だけはなんとか持ち出して無事だった。
現在震災から2年半が経過したが、状況は変わらない。しかし来年度から2メートルのかさ上げ工事が行われ、その後本堂の再建も計画中だという。
しかしこの長引くこの状況に慣れてしまい、気持ちの維持が大変であるともいう。檀家さんも、地域の人々も、何かが変わらないと気持ちが切れそうになると。今は本堂の再建が皆の何よりの希望となっている。
最後に木藤住職は「私たちが今求めることは、こうして訪ねて来てくださった方々が、この状況を知ってそれぞれの地にお帰りになり、そこでまた皆にお伝えいただくこと。そして何かの折に声を掛け、何年かに1度でも訪ねて来て頂くこと。それが今の私たちにとって何よりの励みに繋がります」と。
私たち僧侶がすべきこと。それは被災地を忘れず、常に継続して被災者の皆さんの心に寄り添うこと。この事に尽きるのではないだろうか。
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11月19日、大槌町蓮乗寺(木藤養顕住職)より赤浜海岸までの3.2キロを、蓮乗寺檀信徒、岩手県地元青年会、NVN会員を合わせた約20名にて一心に唱題行脚し、犠牲者の霊を慰めた。
震災から2年8ヶ月が経過をし、現在瓦礫の撤去はほぼ終わっており、何も無くなった場所には至る所に献花が供えられている。途中、津波により町長をはじめ約40名の職員が犠牲になった旧大槌町役場前で自我偈を一読し、犠牲者への追善供養を行った。
この辺りには町役場以外にも、図書館、消防署などの行政機関が集中し、町の中心部としてJR山田線の大槌駅をはじめ家々が立錐の余地なく立ち並んでいた場所だった。しかし今は鉄骨の建物の骨組みが僅かに残る無残な姿に変わってしまった。その横をダンプカーだけが忙しく走り回っている。
大槌町の死者、行方不明者はおよそ1400名。この数は大槌町の人口の1割弱にあたる。今なお無数の涙、悲しみや絶望が至る所から聞こえてくる。それらを慰め、穏やかにと一心に願い、赤浜海岸までの3.2キロを、ただひたすらお題目を唱え行脚した。
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第10回「心といのちの講座」Part2 〜慰霊と祈り〜 「法話とお茶の会」
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11月19日、大槌町、赤浜公民館に於いて、〜慰霊と祈り〜「法話とお茶の会」と題し、渡部公容上人(長久寺住職)柴田寛彦上人(本澄寺住職)宮村通典上人の講話に引き続き、被災者に対し、当会員による傾聴活動・血圧測定・健康相談などを行った。
「私たちは僧侶の会です。お茶を飲みながらお話しませんか。宗派を問わずお気軽にお越しください」と書いた案内状を配ったところ、50名以上の方が集まり、全国の会員より寄せられた各地の銘菓とお茶を頂きながら、和やかな雰囲気の中、座談会形式にて行われた。
渡部公容上人 柴田寛彦上人 宮村通典上人 3名による講話は、ユーモアを交えながらも心に響く、大変解りやすいお話だった。仮設住宅や地域から参加した方に加え、蓮乗寺の檀信徒の皆さんも集まり、50名以上の参加者が熱心に聴聞した。
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渡部公容師(日生研代表) 法話内容 |
東京に長く住まわれている上人は、広島出身である。冗談を交えながら、出生以前にご両親が経験した原爆体験のお話をされた。原爆投下の折に、原爆の爆心地から1.5キロの所にあった寺の本堂でお勤め中だった師父が奇跡的に助かったこと、その際、境内にいた母と7歳の姉は熱風に吹き飛ばされて、母は一生消えない火傷を負い、頭を打ったのか姉は翌日亡くなった。
しかし、母は敵であるアメリカを憎んだり、恨んだりすることは無かった。自分が助かったことは、神仏の加護があり生かされたことと感謝し、手を合わせた。父は、苦しみに立ち向かい、どんなに苦しいことがあっても、前向きに生きていくことを教えてくれた。
苦しい時には、お題目を唱えて、神仏に手を合わせる。合掌する姿は仏さまの姿、合掌をして、姿だけでも仏様に近づきたい。自分自身が神仏に感謝していきたい。
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柴田寛彦師(NVN前代表) 法話内容 |
宮沢賢治が24歳で亡くなった妹の死後に書いた手紙の中に書いた童話を紹介した。
物語に登場するチュンセという兄とポーゼという妹の話で、かわいい幼い妹が亡くなったが、その後、蛙が飛び出し石を投げつけ傷つけた後、夢の中に妹が出てきて「どうして私のおべべを引き裂くの?」と言われる。蛙は妹の生まれ変わりだったのかもしれない。
亡くなった妹のために何ができるか。賢治は大変悩んだ末、この手紙を書いた。すべての命は繋がっていると考え、他の命のために尽くしていくこと。近所の方、周りの方のためにすることが、実は大事な先祖や亡くなった家族のためになるということを解りやすくお話になった。
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宮村通典師(心療内科医、NVN会員) 法話内容 |
心療内科で心の話をしている上人は、「背伸びをしてリラックスして話を聞いてください。」とストレッチ体操から始められ、こころの中にある十界の話を解りやすくお話された。地獄とはどこにあるのか。無財の七施。煩悩のこと。また宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節を用いて、震災から時間が経って、心にストレスを抱える被災地の皆さんに、どのような心持で生活すればストレスを回避し、心の病から自分を守ることができるのかということを、仏教の教えを照らし合わせて、「参考になさってください。」と呼びかけられた。
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被災地支援活動を振り返って・・・ |
参加者のほとんどが、不幸にして津波で家を無くし、現在仮設住宅に仮住まいをしている被災者である。「仮設の部屋はせまくてねぇ」「早く自分の家で暮らしたいよ」話を聴いているうちに、やはりほとんどの方が今の暮らしに不満を抱いている様子が伺えた。
更に、家族や大切な仲間を亡くした悩みや苦しみ、あるいは行方不明者に対し僅かな希望の光を持ってひたすら待ち続けている。そういった疲労やストレス、緊張で夜も眠れず、今なお平常を保つのがやっとだという。
そこに我々が寄り添い話を聴き、心の緊張をほぐしてあげることが今回の大きなテーマなのだが、皆思った以上に元気よく話をしてくれた。しかし一瞬目をそらした時に見せる寂しげな顔が、実は本当の姿であり、津波で受けた心の傷跡の大きさを改めて痛感させられた。
柴田上人、宮村上人による血圧測定を兼ねた健康相談には多くの方が並ばれ「是非また来てください」という大勢の期待の声も寄せられ、次回開催に繋がる有意義な活動となった。
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「東日本大震災被災地支援活動」に参加して
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愛知県妙法結社教導 都築友潤(NVN会員)
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去る11月18、19日(一泊二日)で日蓮宗ビハーラネットワーク主催による「第十回心といのちの講座」として岩手県釜石市と大槌町の被災地支援活動に参加しました。そこで感動したことをお伝えします。
ハードなスケジュールと遠方の為、体調を心配しましたが思い切って参加して、現地に足を踏み入れることで2年8ヶ月経過しましたが、現地の人々はいまだ痛みをかかえ、一生懸命生きている姿を拝見できました。
支援の目的は現状視察、被害寺院二ヶ寺の御見舞と復興祈願、浜供養、撃鼓行脚、現地の人々との交流会です。
第一日目は釜石駅にて全国からの参加者20人全員が集合して仙寿院住職芝ア恵應上人のお出迎えを受け、栃木県妙唱寺近澤雅昭上人所有のマイクロバスに乗車して現地被災地の海岸を案内していただき現状を視察しました。土地が1.5メートル沈下して満潮時には海水が地下から湧き出てくる状況で、とても元に戻すことは不可能に近いと感じました。
その後高台にある仙寿院をお尋ねし、当時の状況をDVDで映写され、当時の被災状況と当山の避難所として受けた状況等についてご当山の大震災活動記録についてお話を聞きました。
「釜石市の死者・行方不明者1041名、当山避難者受け入れ759名、期間8月8日迄151日」とのこと、映画「遺体」のモデルにもなった和尚様で安置所、火葬の回向43日間されたとのことをDVDで観て、想像できない未曾有の恐ろしい津波であったことを改めて確認しました。
夕方、大槌町を通って三陸花ホテル「はまぎく」に到着しました。当ホテルは、平成九年に天皇皇后両陛下が宿泊されたと云う立派なホテルです。浪板海岸のすぐそばに建立されていて平常でも波の音が高く、寝るにも気になるほどでした。このホテルも震災当時ホテルの上高さ20メートルの津波が襲って、当時宿泊客43人をゆかた姿で従業員の誘導で高地へ逃れて全員無事であったが、しかしホテルを守ろうと残ったホテル社長(山崎龍太郎氏)とおかみさんは津波に呑み込まれ今も見つかっていません。このホテルにも「逆境に立ち向かう」という花ことばに従って多くの困難を乗り越え、本年8月にやっと営業再開されたとのこと。
夜、ホテルにて日蓮宗の僧侶として、又医師としてでもあられる宮村通典・洋子ご夫妻から「被災地に共に生きる」と題して講演がDVDを利用して行われました。ご夫妻は被災地の被害の大きさに衝撃を受け、花巻の宮沢賢治の墓参りをしました。「雨ニモ負ケズ」の詩句からデクノボーとして「行きなさい」と背中を押されて、郷里の長崎病院の副院長の職を辞し、婦人と共に岩手県立大槌病院(プレハブの病院)にやって来たとのことでした。現在、献身的な診療に当たっています。平成28年に病院の再建と全焼した蓮乗寺の復興を目標に頑張っているとのことで、まさに人の為に世の為に尽くす菩薩行の姿、デクノボーと云われた平成の宮沢賢治の姿を連想しました。
その折、宮村先生からお土産として”わかめ”と「生存者」(3・11大槌町津波てんでんこ)の御本を全員戴いた。後で読んでみますと生と死の分れ道は紙一重であることが、又巨大な津波に呑み込まれながら生存を勝ち得た人達は生への執念が強かったことが理解できます。
第二日日は、早朝6時にホテル内の岸辺にて仮祭壇をつくり、日の出を拝みながら小雨の中、宮村通典ご夫妻も参加され、20名全員で海難、及び津波等の犠牲者の霊位に追悼法要を致し、散華を撒き、五百枚程の写経を高波を被りながら海に散いてお題目によって少しでも安らかな旅路を祈りました。
朝食後、全焼した大槌町の蓮乗寺へお参りをしました。当山は地震には耐えましたが近辺の瓦礫のプロパンの発火により、あたりは火の海となり類焼して全焼しました。その時持ち出したのはご本尊と日蓮聖人像と檀信徒の位牌の一部だけでした。今、プレハブの本堂で犠牲となった檀信徒162名と引取り手のない白い骨箱が並ぶなか、追善供養と本堂復興の為に逆境にも負けず頑張っている木藤養顕上人の姿は立派でした。お上人のご両親が別れるとき見送って下され、「余生をゆっくり過ごしたいと思っていたがこんな大変なことになるとは思ってもいなかった。」と未来を心配しながら淋しそうに語っていました。
その後、お寺を出発して大槌町被災地区を約一時間かかって赤浜公民館まで唱題行脚しました。心配していた雨もすっかり止み、岩手県日蓮宗青年会の先導に蓮乗寺檀信徒と共に力強く団扇タイコを撃ち被災地を眺めながら行進しました。途中破壊された町の庁舎にて当時の町長初め職員が対策会議をしていた40名程全員が津波で犠牲になった人々の為に追善供養をしました。
更に赤浜海岸にて井上ひさしの「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった有名な蓬菜島を眺めながら読経回向しました。今は太陽の光にギラギラと照らされて光り輝く静かな海ですが、ひとつ間違えると魔物のように襲って来る自然の恐ろしさ、陰と陽の二面の姿を感じながらひと時を過ごしました。少し疲れながらやっと赤浜公民館に到着し、やれやれほっと一息つきました。高台に立っていた赤浜小学校も津波にやられ跡形もなくただ赤浜小学校と書かれた門柱二本だけ立っていました。震災前の赤浜は297戸、1411名の人が住んでいましたが今は何も残っていません。先祖代々培って来た家屋敷、すべてが流失し豊かでのどかな故郷がすべて消え去りました。これは千年に一度の超大地震であったことを改めて覚えました。赤浜公民館(元小学校の体育館)にて五十人程の現地(仮設住宅の人々)と法話とお茶の会を開催しました。最初三人の講師より心柔らかな楽しい笑いのあるお話があり、その後皆様の席にそれぞれ分担して座り気楽にお茶やコーヒーを飲みながら相互に語り合いました。また一方ではお医者であり僧侶でもある方達により血圧測定や健康相談、心のケアまでされ、とても明るい雰囲気の場が持たれました。
最後にお土産やお守りの観音様を皆さんに差し上げ、皆様大変に喜んで帰られました。公民館の館長さんも大変喜ばれ、お別れに大槌町災難記録の御本を数冊戴きお別れしました。
以上をもって支援活動の全スケジュールを無事に終え、釜石駅にて解散しました。これひとえに参加者全員がそれぞれ役割分担をして一致協力できたこと、役員の皆様の事前準備が充分されていたお陰とありがたく感謝しております。
私も当日無事自坊に夜九時半に帰り着くことができました。碧南市に帰って改めて今置かれている環境がいかに恵まれているか、被災地と比較して改めて自覚しました。
我々は同じ日本人です。大切なことは土地は離れていても苦しみや悲しみを共有して被災地のことを忘れないこと、二年たっても風化させないこと。
仏は涅槃経に「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」、日蓮聖人は「日蓮云く一切衆生一切の苦しみを受くる事は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」と申しておられます。日蓮聖人の御魂、御精神、御慈悲は全て南無妙法蓮華経に含まれています。だから南無妙法蓮華経と唱えることは私共の心の中にある石のような、氷のような塊が融けて日蓮聖人の御智恵の光と御慈悲の朝日に温められ、仏の御心の中に私共が溶け込んで地涌の菩薩として異体同心になって、被災地復興の為に今後さらに支援を続けて参りましょう。
| 平成25年12月10日記す |
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「被災地の現状を目の辺りにして」
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川崎市高津区在住 中谷親一郎(NVN会員)
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傾聴ボランティアの体験は、介護職として、ビハーラ活動をする者として、大いに意義深く、課題を残すものとなった。
ある老婆の仮設団地でのいじめの問題を聴いた。
老婆曰く、なんの言われもなく急に、団地の住人(皆、後期高齢者)に、泥棒呼ばわりされ、白眼視されているとか。
私は、老人介護を生業としている手前、老人特有の被害妄想的なものかと、始めはうなずく程度で聞いていた。
しかし、話を聴くうち、同じ赤浜地区であっても、住まいの場所・町並は元より、住人はごちゃ混ぜに住まわされているらしいことがわかってきた。つまり、以前と同じ“ご近所”ではないのだ。
高齢者は、“変化”が苦手だ。特に、一瞬にして、家族を、住まいを失った人には、それだけで甚大な“変化(=ストレス)”であるのに、その上の、いつ終わるとも知れない長期の苦しみが、仮設暮らしなのだ。そのストレスが、いじめを誘発し、根深く、冷たく、長期化させている。
私は、ご近所トラブルの解決を、住民たちとのいくつかの歩み寄りの方法と、縁故先への転居、町役場や民生委員への相談、無職の同居息子の働きかけに求めてみたが、いずれも満足いただける回答にはならないようだった。
「前と同様にぃ、赤浜に住みだい!」
この一言により、一連の“変化”が、震災のその時より、全く解決できていないことなのだと、痛感した。いじめる側・いじめられる側双方のストレスの具合は、相当のものだと推測できた。
と、ここまでのやり取りで時間となってしまった。
老婆は「スッキリしました!」と、話せたこと、聴いてもらえたことに、一応の笑顔を見せた。まるで、私が救われたようだった。
人にとって、“変化“は必要だ。しかし、それが過度であることは、心身に決してよくはない。
まして、酷すぎる“変化”が、そこで生まれ育ち、そこから出たことのない老人に、突きつけられ続けている。一般的には、高齢者の生活で、あまりに“変化“がないことは、認知症を助長することになる、という。
“心地よいくらいな変化“(単調ではない生活。ワクワクするような生活)が、何より心身の健康増進に効果的なのだ、という。
さて、被災高齢者が、仮設暮らしを円滑なものとするには、どうすればよいか?やはり、一般的な長生きの秘訣と同様、前述の“心地よいくらいな変化”と、“適度な運動と食生活”、そして、“心のよりどころをもつこと”だと、改めて確信する。
まだまだ先ではあるが、町は復興に向けて動いている。物資は足りている。仙寿院様から、「あとは、被災者一人一人の“復興していこうという勇気”が必要だ。」という、メッセージをいただいた。
私たちNVNは、特に“心のよりどころをもつこと”の支援を、今回の傾聴ボランティアでよくよくできたか?
例え、上記が出来ていたとしても、一時の支援に過ぎないのではないか?
もとの生活に完全には戻せない以上、“復興への勇気”を奮い起こさせる、そして“癒し”という、メンタル面での支援を、一回限りではなく、長く長く続けていかなければならないことを、今回殊に強く意識した。どんなに強靭な心身の持ち主でも、“変化”の長期化には、挫けてしまう。その心身の支えとなるべく、NVNの方法での援助が、デリケート且つ繰り返し求められていることを、非常に認識する。
次回は、健康相談・メンタルケア・茶話会・体操教室・そのほか趣味のコーナーなど、もう少し被災者に選択の余地を設け、少数、あるいは、個別支援に重点をおき、より深化したケアができればと考える。開催日時・場所も、時間帯・曜日により高齢者以外の世代(子供から社会人。女性限定もよい)も来やすく、都市部・沿岸部に分けての催しなども企画して、幅広い世代・地域に活動の場を広げたい。そのためには、ボランティア参加者一人一人に、事前に、被災地・被災者の現状を多角的にしっかりと、調査・検討会があるべきだ。そして十分に彼らを理解した上で、現場に臨まなければならないはずである。今回は、被災者に実際にお会いするまで、仙寿院様・蓮乗寺様・宮村通典師の法話・講義があっても、被災者の心情の細部(歓ぶ話、タブーなど)までは、いまいち掴め切れず、その傾聴は、ある意味での試練ではあった。
更なる組織力をもって、継続的に速やかに次回以降の開催を求める。
今回の“行”、今回の経験により、ビハーラ活動の盛んなることを、被災者・NVN会員のみならず、世界中の人々に、仏の慈悲による幸福のあらんことを、切に祈念する。
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沢山のご支援ありがとうございました。
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収支報告書 |
参加費 @\20,000×18名 | 360,000 |
災害活動支援金(NVN)
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100,000
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活動費(日生研より「心といのちの講座」)
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106,300
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支援金(会員、全日女5万円・全社教3万円)
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434,000
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収入合計
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1,000,300
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宿泊費・懇親会費 @\12,600×19名
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239,400
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懇親会参加費
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25,200
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懇親会飲物代
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24,090
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講師謝礼 「心といのちの講座」
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100,000
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講師交通費
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10,000
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バス代(諸経費、運転手謝礼含む)
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70,000
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御宝前(仙寿院、蓮乗院)
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100,000
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19日昼食 @\920×21名
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19,320
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慰霊法要費用
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20,000
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赤浜茶話会(お菓子、飲み物代)
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57,257
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こぞうくんのタオルハンカチ(配布)
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21,840
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灯油代(赤松公民館へ)
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3,000
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現地支援金(赤松公民館気付)
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50,000
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会場使用料(赤浜小学校体育館)
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530
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雑費
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6,780
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支出合計
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747,417
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被災地支援活動へのご支援のお願いに、沢山のご支援を頂きました。報告共々、御礼申し上げます。
収入合計1,000,300円−支出合計747,417円=252,883円
収支差額は、NVN「被災地支援活動基金」とし、次回以降の被災地支援活動の資金と致します。
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平成26年5月23日(金)、朗子会館(大田区池上、日蓮宗宗務院隣り)に於いて、平成26年度NVN(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク)の総会が開催されます。
平成26年度NVN総会
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日 時: | 平成26年5月23日(金) 12:30 受付
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13:00〜 総会 14:00〜 記念講演
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会 場: | 朗子会館 (大田区池上、宗務院隣り)
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記念講演として、NVN被災地支援活動&第10回「心といのちの講座」in大槌でお世話になりました、岩手県立大槌病院仮設診療所心療内科医宮村通典師と洋子夫人にお越し頂き、「被災者の心に寄り添う」と題して講演して頂きます。
講演は一般公開致しますので、聴講希望の方はNVN事務局までご連絡下さい。
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ビハーラグッズ
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¥1,000
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お見舞いセット
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カードお守り、タオル、
パンフレット
「ビハーラ活動のすすめ」
「健康への祈り」(表)/
「いのちの尊厳を求めて」(裏)
冊子『み仏のはからい』、「黙唱行」
お題目写経用紙(3枚)、筆ペン
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こぞうくんのタオルハンカチ
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ピンク
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こぞうくん!
初のコラボレーション
NVN
×
こぞうくん !
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ブルー
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綿100%日本製 約25cm×25cm
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定価¥350 NVN会員特別価格 ¥300
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NVNニュース第17号をお届け致します。
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今回は、NVN被災地支援活動&第10回「心といのちの講座」in大槌について報告しました。
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