「被災地支援のために僧侶に何が出来るのか」
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報告 NVN世話人代表 柴田寛彦
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去る5月21日、日蓮宗ビハーラネットワーク(NVN)の総会において、「被災地支援のために僧侶に何が出来るのか」をテーマにしたパネルディスカッションが開催された。東日本大震災発生以来、宗門内の様々な個人・団体が被災地支援の活動を行ってきたが、これまでの活動を振り返りながら、僧侶として今後どのような活動を行っていくべきかについて意見交換を行い、真に被災地、被災者の声に耳を傾けた支援活動を継続することの重要性が指摘された。
NVNではこれまで、ハンドタオルの贈呈等の物資支援、傾聴ボランティアなどの心のケアに関する現地活動、研修会の開催等に取り組んできた。震災一年半を経た今日、被災地の状況や被災者の環境が次第に変化する中で、これまでの活動について振り返り、今後の活動に向けた展望について話し合ったものである。
私たちはこれまで、@震災犠牲者への心をこめた供養、A被災された方々の心に寄り添う傾聴活動、B原発事故を含めた震災被害の早期解決と復興への支援と祈り、C原発対応や瓦礫処理、安全安心な生活の復興に向けた取り組みに関する政府行政への提言、等々を念頭に置きながら活動を行ってきた。
パネルディスカッションに先立ってアンケート調査を行ったところ、慰霊や傾聴等、僧侶としての活動がある程度評価されたと同時に、「僧侶が被災地で行う活動に対しては、本当に心から救ってくれているとは思っていないのではないか」「支援の押し売りになってはならない」等の問題点が指摘されると共に、「物質的支援だけでは癒えない心の傷に寄り添うためには、息の長い継続的な取り組みが必要」といった指摘がなされていた。こうした結果を踏まえながら、意見交換を行った。
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パネルディスカッション
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パネリスト 渡部公容 東京都港区 長久寺住職
林 妙和 愛知県 一偈結社教導
松森孝雄 和歌山県 龍光寺修徒
コーディネータ 柴田寛彦 秋田県 本澄寺住職
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パネリスト発言渡部公容
「被災地における傾聴ボランティア活動報告」
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1、これまで行ってきた被災地支援活動の内容
これまで私が行ってきた被災地支援活動の内容は、自坊での募金活動、物資の提供(東京都南部宗務所経由)、東京教化伝道センター主催「被災地支援活動」(平成23年11月、宮城県七ヶ浜仮設住宅訪問)、NVN主催「グリーフフケア講習会」の開催(平成23年11月、仙台市)、全国日蓮宗青年会主催「親を亡くした子どもたちへの支援活動」(平成23年12月、池上本門寺)、浅草仏教会主催「傾聴活動の心得」講演(平成24年2月21日)、自坊での「春季彼岸会一周忌法要」の塔婆代を義援金として送金、東京教化伝道センター主催「被災地支援活動」(平成24年4月26日〜27日、宮城県七ヶ浜、女川町)、等々であった。
2、活動の成果、評価すべき点
活動としては、間接的支援と直接的支援がある。間接的支援活動としては、勧募活動、現地支援者への協力、必要とされるスタッフの手配、支援活動の紹介や協力依頼、支援活動関連の勉強会への協力など、さまざまな形での支援が考えられた。一方、直接的支援活動としては、自身では2回、被災地を訪ね直接被災者と接することができたが、この活動がどのような成果をあげたのか、またどのように評価されるのかについては、被災者(被災地)に委ねるべきであり自身では結論は出せない。
これまで2回、現地で傾聴活動を行った。1回目は40人体制での活動であったが、時期的に支援物資の搬入にウエイトがおかれ、支援内容が盛りだくさんとなり、結果としてメインになるはずの傾聴活動はあまり充分には行えなかった。2回目は20人体制での活動でまとまりのある行動ができ、また時期的にも被災地の状況が変化しており、ある程度の傾聴活動を行うことができた。
核となる活動組織の存在が重要である。前記2回の現地支援活動は、いずれも「東京教化伝道センター」という組織が中心となっており、その組織の活動により自分が参加できたという現実がある。そう考えると核となる活動組織があること、またそれへの支援も重要であると思われる。
3、反省点、問題点
事前の準備の重要性:現地とのコンタクト(意思疎通)が充分にない場合には、活動に支障が生じる。特に人間関係(=信頼関係)は不可欠であり、これなくして支援活動は展開できないといってもよい。
想定外の出来事:事前準備が入念にあった場合でも、想定外のことは必ず生じるので、その時の臨機応変の判断力、行動力が問われる。その時こそチームの質が問われることとなる。
4、被災地支援のために僧侶に何ができるのか
被災地支援のために僧侶が行うべきことの基本は「寄り添う」ことである。「寄り添う」ことには広い意味があり、たとえ現地に行かれなくても「離れていても思いを寄せる人がいる」、時間が経っても「あなたのことを忘れてはいない」というメッセージを発信し続けることが重要である。1年を経て、現地ボランティアは激減している(当初の10分の1とも)状況の中で被災者は「さみしさ」を口にしている。直接現地に入れなくても「忘れてはいない」ということを、なんらかの方法で伝えることが大切ではないか。これこそが、人とのつながりであり「絆」というキーワードであろう。
「傾聴活動」は、なによりも大切なことである。これは一過性のものではなく、被災者に接する時の基本的な心構えであるといってよい。もちろん月日の経過で、その直後と1年後、3年後では心の状態は異なるが、やはり「傾聴」は支援活動の基本といえるだろう。
現地では「法話」の要望も多い。東北地方の人々の信仰心は保守的であり、信心深い(これは一般的なご先祖供養も含むが)傾向にある。そう考えると「法話」も、また私たちだからこそできる一つの大きな支援活動になると考えられる。しかし、僧侶の中には「法話」に力を注ぐことによって、それが一方的な、上から目線的な「お説教」、あるいは一方的な「励まし」に陥る危険性もあるので充分に注意しなければならない。それらは支援活動どころか被災者に「二次被害」を与えることにもなるからである。
被災地の僧侶に対する支援、被災寺院への支援、復興支援が重要である。今後は、被災寺院の僧侶、あるいは被災地近隣の寺院(地元)、僧侶の意見、要望等を充分に聞きながら、活動内容を時間的経緯の中で考えていく必要がある。また現地の正しい情報やニーズを得ることが有効な支援活動へとつながると考える。
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パネリスト発言林 妙和
「女性の視点からの被災者支援」
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私は今回の大震災に際して、「被災地に行きたい、すぐに飛んでいきたい」という想いだけでは、個人として手段が解らないため、悶々と過ごしていた。「49日は何としても現地で慰霊をしたい」という想いが通じ、中部国際空港から仙台空港への復興第一便が4月27日に運航されるとの情報を得た。そこで、仙台の友人を通じて、宮城県の亘理町の保健・福祉課を窓口に被災地支援の道筋をつけて頂き、その縁で被災地支援の第一歩が4月27日から5月3日まで始まった。
主な活動は、亘理高校の避難所(避難者は483名)を紹介され、看護職のベースがあって、かつ僧侶でもあることから、心のケアに係わりたいという希望を受け容れて頂いた。先ずは避難所の中の救護室を拠点にして、避難所内を巡回して、体と心の状態をチェックしながら、傾聴と必要なケアをさせて頂いた。本当に想像を絶するような状況だった。私は女性の視点から避難所における生活の様子を見守らせて頂いたが、布団1枚のスペースが生活の場において、様々な厳しい現実があり、マスコミの報道からは見えない問題が起きていることが伺えた。私は公民館に泊めて頂いたので、ライフラインの状況や生活環境の実態も把握できた。最初は声をかけても「私より他の人をどうぞ」と遠慮されていたが、2日、3日と巡回して行くうちに顔なじみになると救護室にそっと来て想いを話すようになり、女性特有の悩みにも寄り添ってケアをさせて頂いた。
第2回目は5月末から6月3日までNVN会員の塚本上人と2人で避難所の体育館に泊めて頂きながら、巡回と声かけ、傾聴を中心に活動した。特徴としては、こども達に震災の状況や、命の尊さを、どう伝えるかに視点をおいて、単に義捐金や物資支援で終わらないよう、心が繋がり、そしてこども達に参加を実感できるための活動を計画した。私は、壇家さんや子供によるお題目を書いた千羽鶴や絵本、メッセージを裏に書いた折り紙を預かって行って、避難所の子どもと読んだり、折ったりしながら交流した。一方、塚本上人は千葉県多古町の小学生のメッセージや絵を描いた折り紙1000枚を預かり、2人で教育委員会を窓口に、被災された荒浜小学校の移転先に持って行った。学校では、授業の一環として教室で、生徒と交流会の場を持った。子どものメッセージなので、本当に微笑ましいものから、キャラクターの登場や胸を打たれるメッセージまで様々であった。クラス全員がメッセージを交換して読み終わってから、授業でそれを自由創作に使っていた。後日、校長先生から作品の写真と手紙を頂き、メッセージを書いた地元の子供達にそれを届け、私たちが被災地の現状を伝えることにより、より理解を深めるために役立ったのではないかと思う。この取り組みを2回行った。
4回目は渡部先生の報告にあった東京教化伝道センター主催の傾聴ボランティアに、NVNとして七ヶ浜、石巻、女川に同行した。私は主に戸別訪問、傾聴を担当して、特に女性や子供の下着、靴下など豊富な種類から楽しく選択できるようにした。
このような内容で、現地を7回訪問したが、その間、刻々と被災地や人々の状況は変化していた。例えば、継続支援の中で、避難所から仮設住宅に移り、自宅の倉庫を改修して事業を興す女性に、ミシンや中古のパソコンが必要とのことで、その斡旋や義捐金等でバックアップした。また、こちらからの物資の支援ばかりでなく、フェアトレードを応援して、三陸の被災地の女性の手編みのブローチやブレスレットなどの購入や、産地の製品を購入するなど自立する女性の支援を活動のなかに入れた。
6回目は今年3月に継続した傾聴活動に加えて、東北福祉大学、看護連盟、亘理町を窓口にして、施設や病院に勤めていた職員から見た被災の状況や体験と、話せる範囲で今の想いを聴かせて頂いたが、とても重い内容で胸が詰まった。
7回目は今年5月に女性教師の会会長の大島上人と釜石の仙寿院さんを窓口に6月の被災地支援の事前調査を兼ねて、仮設住宅3か所を訪問した。釜石では現地事情がだいぶ変わってきていることを実感した。現地の被災寺院、仮設住宅運営センター、生活支援相談員、自治会の役員、ライオンズクラブ等、地元の皆様からご意見を聴かせて頂く中で、ニーズもこんなに変わっているのだなと思った。私たちは傾聴を中心に活動をしてきたが、釜石の仮設では「カフェしながらお話しを聴く以外には何をなさるのですか」と聞かれ、「現在、カフェは様々な団体がいろいろな形で、定期的に入っています。そこに出席するメンバーも固まってきています。話題も同じで、新しい人が集まりにくくなっています」との情報を得、カフェを傾聴のきっかけとする手段は、現地では目新しくないことに気づいた。
今後は、集会所に来られない方へ眼を向け、どう関わるか再検討の時期でもあると痛感した。
現地活動の結果・評価を整理すると、やはり私たちの活動の基本は寄り添い、傾聴する、共に祈ることが大切であると思う。継続的な支援活動により、細々であるが、経済的な自立に向けた支援につながったと思う。また、先方から見て「尼さんだから、地元の人でないから話せる」、その理由は、「同じ行政区の人には話せない悩み、苦しみもある」とのことであった。僧侶、女性として遠方から行くことも必要なのかなと思った。そして、共に祈ることができることも大切な支援、僧侶の使命であると思う。また、震災を通じて大切なことを伝えていく、メッセージの交流体験は子ども達の「こころといのちの教育」につながったのではないかと思う。風化させないために地元に帰って、現状や体験を伝えることも重要で、そのことが防災、減災意識の啓発にも繋がっていくのではないかと思う。また、支援活動を組織化していく中で、被災地支援活動連絡会が発足したことは一歩前進と言えるが、バラバラな活動でなく、統合する窓口とコーディネーターの育成も大事であると思う。
傾聴活動をしていく過程で、とても重い喪失を体験している人の心により添い、お話を伺うには、かなりのエネルギーが要る。そのことに深く入り込んでしまうと、二次被害を起こす恐れもある。専門家に委ねるタイミングも重要であり、そのシステムも必要である。また傾聴する私たち自身が燃え尽き症候群になったり、PTSDになり得ることも体験している。このような理由から、組織化のなかで、継続的に活動するにはバックアップ体制や、専門家にチームに参加して頂くことも必要ではないかと思う。
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パネリスト発言松森孝雄
「全日青の活動報告」
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全国日蓮宗青年会の活動報告をさせて頂く。
全日青では3月11日、当日よりアメーバというサイトで掲示板を開設し、被災状況や安否情報の情報交換が行われた。このサイトは、青年僧に限らず非常に多くの方がご利用になり、お上人方、寺族の方々の安否確認がなされ、また宗門もこれを利用し、有意義な情報交換の場となった。そこには被災状況を克明に現す画像などもアップされ、その凄惨な姿を目の当たりにし、遠くはなれた地の教師も「私にできる事はないか」という小さな動きが重なり、大きなうねりとなって行った。そういう意味で、電力供給のなされてない地域もあったが、インターネットの活用は非常に有意義であった。
しかし反面、公開掲示板という性格上、一般の方の閲覧や書き込みもあり、混乱する場面もあった。こういう有事の時のためのインフラ整備も急務であろうと思う。
また3月14日付けで、「東北関東大震災 義援金のお願い」と題し、全国各単位日青会に依頼状を送付させて頂いた。おかげさまで800万円を越える募金をお預かりするに至った。
もともと全日青には「災害対策委員長」がおり、青森の飛鳥玄龍上人がその任についており、飛鳥上人自身も少なからず被災していながらも、精力的に情報収集、情報発信をし、支援物資の中でも必要な物、不要な物を刻一刻と状況の変化する中で逐一指示していた。しかし、それでは負担が大きすぎるため、全日青の中で会長を本部長とする災害対策本部が設置された。すぐさま臨時の執行部会議が開催され、深夜日付が変わってもまだ終わらないような、皆それぞれが我が事として捉えた取り組みがなされた。全日青にはブロック長などからなる委員長、総務担当委員長や青少年教化担当委員長など執行部があるが、そこにさらに臨時で震災関連の委員を設け、「物資輸送支援委員」「避難所設立支援委員」「寺院復興支援委員」「物故者・慰霊担当委員」などの長を兼任することになり、それぞれの指示で各単位日青の協力を得た。
また特記すべき活動として、教宣担当委員長であった伊豆国日青会の土屋貫諦上人が単独で被災地入りし、炊き出しや泥かきなどの活動をして、地元の方やボランティア団体の方々とのネットワークを築き、そのネットワークを利用し、5月から月1回、全国日青で有志を募集し、被災地でボランティア活動、慰霊回向、復興祈願などを行ってきた。土葬されているグラウンドでの回向の時は、皆涙ながらの読経となり、人間の無力を痛感した。
仙台孝勝寺様の甚深のご厚意により、各地より参集した青年僧の宿泊所を提供くださり、仙台を発着点とし、石巻で活動を続けてきた。しかし10月から石巻市のボランティアの募集は縮小され、被災者の雇用確保を優先するとのことで、青年会の活動の場も、岩手陸前高田市に移して行われた。
12月は被災地が雪のため現地に行くのは困難であろうということで、被災地の子どもたち(震災孤児、震災遺児)を東京に呼んで、親子共に安らぎのひとときを過ごしてもらおうと、青少年教化担当委員長の三代上人の指示で計画が練られ、12月の末という忙しい時期ではあったが盛大に開催された。子どもたちを募集するにあたって、あしなが育英会などに協力を仰いだが、「宗教団体」ということで難色が示され、「日本こども支援協会」の協力のもと募集を行った。上野動物園、お台場、フジテレビ、ディズニーランドなどに行ったが、ディズニーランドの協力もあった。宿泊は朗峰会館をお借りしたが、朗峰会館使用の条件として、本門寺朝勤参拝があり、これも「宗教色が強い」として難色を示された経緯がある。また子どもたちの心情を考え、震災を思い出させる回向も控えてほしいという要望も出た。その活動報告を、本年二月発行の機関誌「全国日青」に寄稿させていただいた。
全日青では年一回、全国結集大会を開催しているが、昨年は岩手県で開催予定であったが、震災により開催困難となったため、執行部結集とし、6月14日池上本門寺にて開催された。そこでは「青年僧の祈り被災地に届け」と題し、葬儀、埋葬もままならない被災地の状況に思いを馳せ、当時犠牲者は3万人を超えるのではという報道から、自我偈三万巻、すなわち犠牲者1人に1巻のお自我偈をお供えしようということで、前もって単位日青に依頼し、2万巻をあげて頂き、残り1万巻を結集当日、本門寺において結集した青年僧300人で完結した。その模様はインターネット上のユーストリームで生中継され、300人を越える閲覧があり、全国より共に慰霊のお題目を唱えさせて頂くことができた。
以上、全国日青の活動の大きな流れとして、掲示板立ち上げ、募金活動、災害対策本部設置、月1回の被災地ボランティア、12月の被災地の子どもたちを招待しての修養道場、全国結集大会で本門寺での慰霊復興祈願法要等を行ったことを報告させて頂いた。
意見交換
―現地のニーズにあった活動をしてきたか―
司会:アンケートの中で、「支援の押し売りになってはならない」「押し付けがましくなってはならない」「僧侶の活動が心の救いになっているか疑問」といった意見もあったが、現地のニーズに合った活動をしてきていたのだろうか。
松森:現地とのネットワークを活用して、何が必要なのかを把握して、物資に関しては需要と供給という面においては細心の注意を払い行っていたと思う。
司会:被災者でもあるAさん、いかがですか。
A:壊れたものは仕方がないので、どうやって復興しようかということ、どうやって復興資金をつくろうかということで頭がいっぱいだった。宗門から資金援助があったのはお盆を過ぎてからだったが、とても有り難かった。
司会:被災地の寺院を通じて、被災地の支援をしていくというのが一つの方法ではないかと思うが、被災地の拠点として、どういう支援をしてもらえれば助かるか。
A:お寺を復興させたい、復興させることによって災害に立ち向かうことを表現したいと思う。現地にはいろいろな要望があり、その時、その時で変わってくる。現地の人達も目の前の生活が不安なので、経済が回ってこないとどうしようもない。一方、震災バブルという状態になると哀しくなる。
渡部:支援活動がどう受け入れられたのかは、自分たちではなかなか評価できない。傾聴ボランティアはどうだったのか。
A:癒やしとしては良いし、救われている人も居ると思う。お坊さんがそういうことをしてくれたというのは評価している。多くは救えなくても、一人の人が助かったと言ってくれれば、それだけでいい活動であると思う。
渡部:今回は、作務衣で活動するとか結構お坊さんカラーを出したが、そのことについてはどうか。
A:震災後は我々も作務衣を着ていることが多かった。その方が良いのでは。
渡部:林さんは、尼さんという立場を出して活動したことがよかったか。
林:はい。剃髪で被災地に行った時もあるので。ニーズという点から、11月のNVNから参加した女川での傾聴ボランティア活動で経験した例ですが、予め、「日蓮宗の僧侶です。お茶を飲みながらお話ししませんか」と仮設住宅全戸に案内のチラシを配った。そのチラシを読んだ方から、「お坊さんに相談したい。眠れない・ラップ音が聞こえる。主人にお経をあげてほしい」と希望されたので、お部屋に伺って傾聴とご供養をさせて頂いた。それをきっかけに、電話やお手紙の交流も含めて現在も僧侶として関わっている方もある。
司会:傾聴のあり方について、僧侶として傾聴を続けて行くことに意味があるだろうと思うが、傾聴も個別の問題に深く入っていこうとすれば専門的な知識が必要になるし、専門的なアドバイスが必要になってくる。しかし、そこまで入っていくのは、単発的なボランティアでは難しい。しかし一方、カフェをしながら広く話を聞くことも意義があり、両方の側面がある。
林:被災地の仮設住宅では委託されたNPOの生活支援相談員による安否伺いや、さまざまな団体によるカフェ形式の傾聴ボランティアが増えて来た。集会所では定期的にカフェが開かれているので、住民からは「カフェはもういいよ」「それもまた楽しい」と、両意見があった。また、釜石の事前調査では住民から「カフェよりカラオケで発散したい。皆は飲みに行ったり、カラオケを歌ったりするが、私たちはあれから1度も歌っていない」という声があった。行政の方は「カラオケは騒音問題があるので」、自治会の方は「いやいや、音楽が鳴れば皆が集まるからいい」など、日常性を取り戻す取り組みにも様々な意見がある。集会所における「カフェしようか」という傾聴のきっかけづくりのカフェと、個別に向き合い、その方の心に添って真の救いに繋げるため継続する傾聴は違うのかな、という想いがあり、難しさを感じている。
B:良かれと思ってやっていることが、そうではないことが多い。気持ちのやりとりをする現場を僧侶はもっと持たなければならないと思う。現地の方々とよく話をしたり食事をしたり酒を飲んだりすることによってコミュニケーションを図ることが大切だと思う。
司会:C氏、現地のニーズに合っているかどうかという点について、先生のお考えは。
C:「僧侶に何が出来るのか」という問いを、私は「心理職に何が出来ないのか」と自身に問いかけている。医師、看護師は活動されているが、心理職に何が出来るのか、と。
パネリストの3人に共通することは、日蓮宗の組織力の凄さである。これを活用しない手はないと思う。支援の中身については、「僧侶に何が出来るのか」という問いを「心理職に何が出来ないのか」と置き換えてみると、「何でこんな目に遭うんだ」という被災者の問いに心理職は答えきれない。心理職には法話は出来ないし、意味を問われたときに答えられない。そのことを語り、もっともっと伝えて行くことが、僧侶だから出来る事なのではないか。
宗教色を出すことについては、布教活動ではないのだからそれほど気にすべきことではなく、良否は対象者が決めることだと思う。本当に必要な人が何を必要としているのかに思いを致す必要がある。むしろ被災者の方々は我々を気遣っている。思った以上に繊細でデリケートである。
司会:同業の者同士では思い浮かばないとても貴重なコメントだったと思う。
―被災者支援のために僧侶に何ができるのか―
司会:残りの時間で「被災者支援のために僧侶に何ができるのか」についてご意見を。
D:現地の正確な情報を多くの人が共有できるよう、日蓮宗として情報収集方法を構築すべきである。常日頃から、何らかの連絡方法を作っておく必要があるのではないか。
E:林上人と一緒に活動させて頂いた。剃髪もしているので、僧侶という気持ちでよりも、自然体で接することができればと思っていた。話をしながら、少しずつお友達になっていければ、という思いで。
F:ボランティアに行きたかったけれども行けなかった。
G:女性教師や寺庭婦人には、女性だから出来る事(女性だから聞ける話)がある。
H:個人的には努力したつもりだが、全く出来ていなかったと思う。これからの需要に応じていきたい。
I:既に忘れかけていることもある。忘れないように話をしていくことが必要。
J:復興支援が一段落したところで、災害対策として寺としてどう動いたのか、災害に対する危機管理をどうしたらいいのか、そういう纏めが必要なのではないか。
K:支援物資はすべて渡し尽くした。3月11日を絶対忘れないようにしていかなければならない。
L:精神的な面で何をすれば良いというのは答えが出るものではないであろう。
M:被災者に対して何が出来るのか疑問に持ちながら常に問いかけている。既に忘れかけている部分がある。まだご回向をするの?という空気が見える。被災者を忘れない活動というのが出来るのではないか。
N:「タクティールケア」に今後も継続して取り組んでいきたい。
―まとめ―
司会:最後にパネリストの3人、及びC氏に一言ずつお願いしたい。
渡部:やはり情報収集が必要である。また、活動するための組織が重要である。既存のいろいろな団体との横のネットワークを考えていくべきである。地元の寺院等を柱にして、格好(袈裟、衣、服装)に拘らなくてもよいので、試行錯誤しながら、いろいろな活動をしていくことが大事だと思う。
林:僧侶としてさまざまな関わり方があるのではないかと思っている。被災地の方が「相手を被災者と限定しないで下さい。家は壊れていなくても、いろいろな意味で喪失をしているのです。被災地全体を想って下さい。そして人間対人間として支え合っていくことが必要ですね」と言っていた。私たちは微力だが、どのような支え方であっても、その人にとって必要であればそれが支援となり得る。これが正しいというより、常に被災地のことを忘れないで関わっていく。
基本的にはその人に心を向けてより添い、傾聴し、共に祈るという姿勢を持ちながら行動する。そして共に前に歩んでいけば、必ず明るい光が差すのではないかと思う。
松森:渡部先生のアドバイスに、子供達は演技をする、被災者がボランティアをしている人に演技をするということが印象的であった。見かけだけで心の中を判断することは出来ない。遺族を傷つける言葉を発しても気づかないでいることがある。一歩振り返って自分の行動を反省してみる機会も必要かなと思っている。
C:2点共有させて頂きたい。1つは、誰が一番大切かというと、言うまでもなく当事者自身である。当事者ベースで物事を考えるべきであり、その方がどう受け取ったか、その方が決めることであるということ。2つ目は、宗教の持っている凄さである。こちらからは間口を広めていろいろなことを提供する。困っている方がその中から必要なものを選べれば良い。宗教、信仰も大切なツールであって、決して布教のためにしていることではないと胸を張ってツールを提供し、決めるのは相手であるというスタンスを持っていればよいのでは。
司会:C氏のアドバイスの1つにとても考えさせられた。仲間内で物事を考えていると、組織力が足りない、会員が足りない、資金が足りない、無い無いと考えがちになるが、実はとても良いものを既に持っている、与えられているのである。既にあるものをどう活用していくかが我々の課題である。NVNは200人ちょっとの組織であるが、200人の日蓮宗教師がこういう情報を共有し、力を合わせていけば、大きな活動が出来るはずだという、大きなエネルギーを得た気がする。ビハーラ活動の更なる活性化を期したい。
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以上
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