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NVNニュース 第5号 (平成18年3月1日発行)
日蓮宗ビハーラ・ネットワーク
Nichiren-syu Vihara Network
NVN事務局 栃木県栃木市嘉右衛門町11-21 妙唱寺内
〒328-0072 Tel 0282-22-3720 Fax 0282-23-6733
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平成17年11月25日(金)午後1時半〜4時半、日蓮宗宗務院4階第4研修室に於いて、「心といのちの講座」の第2回目が開催されました。
第1回目の「心といのちの講座」は、平成16年11月26日(金)、身延山大学名誉教授岩田諦靜師に,「唯識における輪廻転生観について」という題名で講演をして頂きました。
| 佐古先生 |
第2回目となる今回は、駿河台大学現代文化学部教授佐古年穂先生に、「釈尊の弟子達はどのように輪廻を理論化したか−部派仏教の輪廻観−」という題名で講演をして頂きました。
佐古年穂先生は、昭和56年に東京大学文学部第T類インド哲学インド文学専修課程を卒業後、東京大学の修士課程、博士課程を修了、平成8年にコロンビア大学に於いて博士の学位を取得されました。現在、駿河台大学現代文化学部教授であり、立正大学法華経文化研究所の研究員をされています。また、長崎県大村市の本経寺の修徒で、本宗の教師でもあります。
今回の講座では、佐古先生に、専門のお話をして頂きました。
初めに、部派仏教(アビダルマ仏教とも呼ばれる)が、どういうものであるかという話を、その後、輪廻をどのように考えたのかということについて、それから、生命がどういうふうに生まれてきて死ぬのか、ということをアビダルマの中でどのように考えていたのかについて、アビダルマ倶舎論に基づいて、説明をして頂きました。
今回の第2回目となる「心といのちの講座」には、30数名の方が聴講に訪れ熱心に耳を傾けていらっしゃいました。また、講演の後の質疑応答でも沢山の質問がなされていました。
なお、この講演の記録は、現在テープ起こしを行っております。出来ましたらNVNウェブサイトに掲載する予定ですので、しばらくお待ち下さい。講演資料のPDFファイルは既に掲載しておりますので、ご利用下さい。
また、第1回目の「心といのちの講座」(岩田諦靜先生)の講演録をNVNウェブサイトに掲載しておりますので、併せてご利用下さい
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NVN会員の東京都K師から、活動報告が寄せられましたので、ご紹介致します。
本宗S師の紹介により、東京都大田区にあるT病院の院長先生から、T病院に入院している患者さんの話し相手をして欲しいという要望があり、東京在住のNVN会員K師とW師が病院に出向かれたということです。
院長先生の説明によれば、その患者さん(Aさん)は、末梢の筋肉が次第に萎縮し、その後、大きな筋肉にまでわたり、最後は呼吸器に至る難病で不治の病であるという、筋萎縮性側索硬化症で、平成15年に呼吸器がついて以降その世話になっており、家族が面倒を見られず、慢性疾患の為にK病院に入院。同年9月にT病院に転院。糖尿、高血圧もあるが、しばらくは問題なく、食事も自力で飲み込めるが、手は動かず介護が必要。現在は、呼吸器の管理と、寝たきり状態で、TVを見るだけ。
今年9月初旬より心不全が起き呼吸が苦しくなるのが中旬頃まで続き、苦しい状態が続いたため「殺してくれ」と言うようになった。
苦しい時は、麻酔、睡眠薬を用い、抗うつ剤を服用、現在は少し良くなったが、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)が悪く、食事がとれなくなった。意識は、ウトウトする時もあれば、ハッキリしている時もある。誰かと喋りたいかと尋ねたところ、喋りたいとの返事があったので、そうしたボランティアを探していたとのこと。
病室に入ってAさんの病床の近くに二人で座る。話しかけても、呼吸器が付いているので声にならない。50音の文字を記したボードを借りて、本人の話したいことをこちらが指さして文字を探すが、うまくいかなかった。意識はハッキリしているようだが、指も動かすことができないので、コミュニケーションがうまくとれず、本人もまどろっこしいようだった。しばらく続けたが、本人が疲れたというようなので、今回はこれで終わりにした。
今後、如何にコミュニケーションを取ることができるかが一番の問題である。「また来ます」という呼びかけに、うれしそうな様子を見せた。
次に、院長先生から隣りにいる患者さんにも話しかけて欲しい旨言われていたので、隣りのベッドに移動する。
この患者さん(Bさん)は、やはり気管を切開して呼吸器を付けているので、直接話すことはできない。しかし、手を動かすことはできるので、筆談をした。最初の言葉は、「心配」ということだった。病気の心配である。次に「手紙 全部 書く」と記し、「はげみになる」と続いた。
話しを聞いて、少し嬉しそうな表情をみせてくれた。「また、来ますから」と言って終了した。
面会を終了して、院長先生に挨拶に行き、次回訪問の打ち合わせをした。
今後、病院に連絡するときには、「ビハーラ活動のだれそれ」と名乗ればわかるように院長先生にお願いし、了承して頂いた。
訪問の際には、当日の朝に病院に電話を入れ、患者さんの様子を伺う。そして、状態が良ければ訪問することを知らせる。
午前中は診療があるため、訪問は午後が良い。
今後の課題として、次の2点を。
呼吸器を付けている患者さんの場合、如何に意思疎通がはかれるか、その方法を検討することが必要。
症例検討を行うこと。
その後の経過として、月1回の割合で二人で病院に伺っているが、Aさんは亡くなられたとのこと。今後も月1回、チームを組んで取り組んでいきたいということでした。
東京近郊にお住まいのNVN会員の皆様で、この活動に参加したいという方は、事務局まで、ご一報頂ければと思います。
よろしくお願い致します。
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先日、本宗の方が受けた相談について、NVNにお話がありました。
Aさんの従兄弟のBさんが自殺をされ、Bさんの母親Cさんが、自分を責めて思い詰めているとのこと。心のよりどころを求めているのですが、新興宗教の勧誘があり、Aさんは心配になり本宗の方に相談をされました。
Aさんは本宗の御檀家さんですが、菩提寺のご住職が御高齢と闘病中のため相談に行くことができない。Cさんの家は霊園墓地を購入し、定まった菩提寺はなく、72歳という年齢もあり、あまり遠距離の移動は難しい状態。Cさん家の近くの本宗寺院で仏への供養と修行的な指導に面倒をみて頂けそうなお寺を教えてください、とのことでした。
今回の場合、Aさんが、NVN会員Y師と関わりのある寺の御檀家さんということでしたので、Y師に連絡を取って頂くことになりました。
今後、全国各地でこのような相談が寄せられた時には、近くのNVN会員の方々にお声をかけさせて頂きたく思いますので、よろしくお願いいたします。
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平成18年2月6日(月)〜7日(火)、日蓮宗宗務院に於いて、平成17年度ビハーラ活動講習会(入門編)が開催されました。
「ビハーラ活動講習会」を入門編と上級編に分かれて開催するようになって3年目、今年度も入門編はビハーラの裾野を広げるべく、昨年度と同じような内容で実施されました。
開講式では、新しく伝道局長になられた、伊東隆司師御導師による法味言上、挨拶が行われました。
講義内容および講師は昨年と同様で、第1日目の第1講は、古河良晧師による「ビハーラとは何か−ビハーラ活動の理念−」と題しての講義が行われました。
第2講では、林妙和師による「ビハーラ活動の実習」と題して、老人保健施設アウンの3名の職員さんの協力の下、「高齢者疑似体験」が行われました。
続いての第3講は、今田忠彰師による「ビハーラの実践」と題して、実際のビハーラ活動についての講義が行われました。
その後、「上級編への誘い」の後、質疑応答が行われ、「延命治療とビハーラとの関係について」の質問がなされ、NVN柴田代表が「末期状態の時に延命治療をどうするかは難しい。無理な延命治療をすることはしたくないと思うが、いろいろな考え方がある。延命治療ということとビハーラ活動とは直接には関係がない。ビハーラ活動は如何にその人の人生を充実したものにできるかだと思う。」と回答されました。
第2日目は、渡部公容師による「カウンセリング入門」の講義の後、ロールプレーイングの説明、デモンストレーション・ロールプレーイングが行われ、その後、4〜5人ずつのグループに分かれ、各グループでのロールプレーイングが行われました。
最後に、閉講式が行われ、新しく伝道部長になられた、梶山寛潮師が挨拶されました。
今回の講習会は23名の方が受講され、6名の方がNVNに入会されました。
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ビハーラ活動講習会(入門編)を受講して
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宮崎・鹿児島・沖縄管区 智浄寺 片寄智雄
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今回のビハーラ活動講習会を受講するきっかけは、東京都南部宗務所が平成11年に発行しました『脳死と臓器移植』“脳死は人の死か、臓器提供は布施行・菩薩行か”を読みまして、一体僧侶として何をすべきか、お釈迦様の教えの根源に立ち返って考えてみたくなりました。
そうは言ってもホスピスとビハーラの違い(意味)も分からずに参加してるわけですから、そんな深い意味を持って来たわけではありません。ビハーラって何だろうという軽い気持ちでした。
受講してみて、僧侶として社会活動に誰でもが関わっていける事柄ではないかと実感しました。現代社会の中でお寺の役割が薄れていく。お寺離れを指摘されてから久しいですが、『身の病は医師にまかせ、心の病は仏にまかせて安心』の実践を今こそ積極的に行動に移すべきだと思います。
では、自分は何が出来るのだろう。高齢者疑似体験では、想像してることと実体験とはかなりのズレを感じました。相手の思いを察するには障害の度合いを自分のものとして捉える事の難しさを学びました。ロールプレイングでは、日頃相談事に回答を模索する自分がいて、傾聴というカウンセリングの基本の難しさを感じました。
頂いた資料を自分のものになるよう努力を重ね、今後自分の出来うる事を模索したいと思います。有り難うございました。
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ビハーラ活動講習会に参加して
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東京都東部管区 長栄寺修徒 光枝宗香
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ビハーラ活動について学びたいと心がけておりましたが、今回ようやく講習会に参加させていただくことが出来ました。
これまでに、自分なりに、精神的、身体的苦しみや、悩みをお持ちの方々や、様々な出来事に接し、共に苦しんだり、共に悲しんだり、共に喜んだりを繰り返して来た事柄が、いろいろと思い起こされて来ました。
一緒になってお題目を唱えて、安らかな末期を迎えて下さった方、長期にわたり悩み続ける方等々、人それぞれの人生のほんの一助としてお役に立てればとの思いでありました。
今回の講座でカウンセリングの基礎知識として学んだ「傾聴」「受容」「共感的理解」を常に心がけて、少しでも心が癒されるならば、少しでも励ましになるならば、の気持を忘れずに、相手の立場になってあげることが大切であることを改めて感じました。
また、高齢者介護上の課題や実例から、安全に、安心して、イキイキ暮らせることの大切さを学びました。
仏教とビハーラの講座の結びに、「まずは、お寺こそビハーラです」とありました。よろこびの場としての寺、励ましの場としての寺、やすらぎの場としての寺、安心の場としての寺であらねばならないと。
心が不安で孤立してしまった時、信頼出来る話し相手があったり、励ましがあれば、苦しみから切り抜けることも出来ます。
ホッと安らぐことの出来る場所、人と人との温かい触れ合いの場所、そして仏教の教えがある場所でありたいと思います。
与えられた命の大切さを伝え、人としてその人らしく生きる為のお手伝いの出来る僧侶に近づける様、益々努力しなければならないと感じました。
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ビハーラ活動講習会(入門編)を受講して
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石川県第二部管区 成連寺 法花堂正全
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かねてから受講したいと願っていた、「ビハーラ活動講習会(入門編)」でようやく勉強することができ大変嬉しく思っております。
二日にわたる講習会のなかでとりわけ学びたいと思っていたのは、カウンセリングについてです。理由は、これまで檀信徒から相談事を受ける際の心構えと接し方についてよくわからずにいたためです。そのため年輩の檀信徒などから何か尋ねられた時に「若輩者の私がどう助言をすればよいのだろうか」と、いつも戸惑いを感じていたのです、そこで、「カウンセリング入門」の講義を通じ、是非とも他者の話を聴くことについて初歩から勉強できればと願っていたのでした。
講義のなかで学んだ大切な事柄に「傾聴」があります。説明では、「聴く」という姿勢が、ことばを超えたカウンセラーの基本態度であり、心構えである、ということ。そして決して特別なことをしたわけではなく、ただじっくりと話を聴いてあげただけで、相談者の気持が楽になったり、気持が和らいだり、それによって前向きな生き方に繋がっていくのだと教わりました。このことは、相談を受けた場合、「相談者に対して何か助言をしなけれぱならないのでは?」という、私のこれまでの考え方と異なるものでした。
またカウンセラーは、自分の経験を深めることによって多くのことを共感できるようになっていく。そうしてゆくことが重要なことであると教わりました。
特に長年にわたり相談に関われる先生ご自身の経験として印象的な言棄であったのは、「昔も今も未だに100パーセント相談者の気持がわかるわけではない。ただ、なんとかその気持をわかろうというふうに努力はしています」ということでした。そして、ご自身の経験を踏まえながら、たとえ年齢や人生の経験、立場が違う相談者であっても、立場を越えて相手の考えや感情を感じとれるよう努力すれば、カウンセリングができるのですよとご教示下さいました。
このような渡部先生によるカウンセリングについて一つひとつの事柄を諭すような解説は、私のような若輩者が、自分より人生経験がある他者の問題や悩みを果たして聴くことができるのであろうか?という不安を和らげ希望を与えて下さるものでありました。
議義の後、ロール・プレイングによって疑似カウンセリングを体験学習しました。
この体験学習によって、これまで抱いていた不安が解消したり、様々なことに気づくことができました。
まず、何度も繰り返し体験した疑似カウンセリングを通じ、次回の相談に繋げる一連の相談の流れに少し慣れることで、体験学習前に抱いていた「相談を受けたらどうしたらよいのか」という漠然とした不安が少し解消されました。
つぎに、体験学習を通じて気づかされた事柄として、カウンセリングの基本である「傾聴」の難しさが挙げられます。なぜかといえば、私自身の課題として、「どうしたらよいのでしょう?」と尋ねられた場含、「こうしたらよいのでは」と自己のささやかな経験によって助言してしまう傾向があるためです。
また、大変難しい事柄であると実感したことは、相談者側に話をさせるなかで、相手のことばをまとめて整理したり、話のなかに潜んでいる問題を明らかにする作業やメッセージの読み取ることです。
さらに家庭問題や社会問題、医療問題などによって生じた問題や脳みを想定した疑似カウンセリングを体験学習して感じたことは、多岐にわたる相談に応じるための準備として様々な分野の勉強が必要ではないかということでした。新たな自分の課題ともいえます。
以上のように今回の講習会は、私に多くの知識と貴重な体験、そして新たな課題を与えてくれました。本当に参加できてよかったと思います。
最後になりますが、今回ご縁をいただき、講習会にて、ご教示ならびにお世語をいただきました講師ならびにコーディネーター、宗務院の皆様に衷心より御礼申し上げます。
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ビハーラ講座に参加して
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山口県管区 善行寺 大庭詳秀
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3年半前、自分自身が 脳梗塞を発症し、左半身麻痺となりました。幸いにリハビリや家族の協力によって麻痺は順調に回復し、お陰様で現在では日常生活にはほとんど不自由なく過ごすことができるようになりました。
受けた病気が大きければ大きいほど、発症からその病気を受け入れ、回復に希望を持ち、そして社会復帰してゆく。その過程には心の面で段階を踏んで行き、そして時間もかかります。
これは、病気の体験を通して学んだことですが、しかし檀信徒に対してのお見舞いにはそれが生かせず形式的なものになっていたのではないかと思います。
このたびの講座に参加して、ビハーラ活動の根本は、知識やテクニックより「共感」であると感じました。活動という立派なことはできないかもしれませんが、相手の痛み、苦しみを自分のものとし、少しでも和らげてあげられることができればと思っています。
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私にもできるカウンセリング
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〜なんでもカウンセリング??〜
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渡部公容
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カウンセリングというのは「相談」という意味ですが、その受け止め方は、人によってずいぶんと違いがあるようです。
最近では「○○カウンセラー」という名称をよく聞きますが、あるテレビ番組で「ガーデニング・カウンセラー」という肩書きの女性が登場していました。いったい何をする人かと思っていましたが、その内容は従来の園芸家といわれる庭木や草花の専門家とまったく変りがありませんでした。植木の手入れの「悩み相談」に応ずる‥という意味では、たしかにカウンセラーなのですが‥。
また、よく目にするのが「無料カウンセリング実施中」という広告です。これは「悩みごと」そのものに対するカウンセリングではなく、その人の悩みを解消するための「商品の販売」が最終の目標になっています。このような商品販売の目的のために行われる相談を、はたしてカウンセリングと呼んでよいのかはなはだ疑問です。この場合には、その人の悩みの解消が尊重されるのではなく、その商品がどれだけ売れたのかということが重要であり、その売れた量によってカウンセリングの成果が判定されることはいうまでもないことです。
このようにカウンセリングとかカウンセラーということばは、法律で細かく決められていることではないので、誰でも自由に名乗り、使ってもよいのです。つまり「誰でもできるカウンセリング」なのですが「何のためのカウンセリング」であるのかということを明確に持っていなければならないと思われます。
またその際、私たちの場合には「教える」とか「指導する」という態度ではなく、相手の持っている力を最大限に引き出すということが大切なことなのです。
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ビハーラグッズ
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お見舞い用タオル
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カードサイズお守り
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NVNニュース第5号をお届けいたします。
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NVNウェブサイト(http://www.nvn.cc/)に、「心といのちの講座」「総会記念講演」等の講演録を掲載しております。どうぞ、ご活用下さい。
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ご意見、ご感想をお待ちしております。
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