日蓮宗 ビハーラ・ネットワーク
 
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お知らせ

会員限定


平成13年11月1日発行

NVN事務局編集  創刊号



「NVNが発足しました」
NVN副代表 柴田寛彦 

 アメリカ東海岸を舞台にした連続テロ事件発生以来、私の心の中の一つの時間が止まってしまいました。貿易センタービルやペンタゴン、ハイジャック機の中の阿鼻叫喚が私の頭の中でいつまでも鳴り響いています。日々多くの人々の祈りにもかかわらず、このような悲惨な不法を止めることができないのか、犠牲になった多くの人々にとって救いはあり得るのか、私はこの世界のために、この人々のために、一体何ができるのか。
 蒙古襲来を日蓮聖人はどのようにとらえておられたのか…。ああもこうも考え、どう考えても、私の心は必ずビハーラ活動に行き当たるのです。この世の中をビハーラに、人々の心にビハーラを、願わくは私自身の心もビハーラに。そう願わずにはいられません。
 ビハーラを目指したネットワーク・NVNは、このような時だからこそ生れるべくして生まれたのだと思います。同じ志を持った者が力を合わせ、励まし合いながら菩薩の行ないを積み重ねていく、そのような人たちが悲惨な事件の絶えることのないこの地球の片隅にしっかりと地に足をつけて活動していることが、きっと意味のあることなのだと思う。



ご挨拶
NVN代表 蟹江一肇 

 日蓮宗ビハーラ講座の終了者を中心にした組織・NVNが立ち上がりました。
 私達はみな長寿を願望し、病なき幸福な一生を願いますが、思うにまかせないのが人生であります。
 私達はいまNVNの場に於て、自分の生命の大切なことを感じ、多くの埋もれている能力を引き出し、多くの情報を得て、生き甲斐と働き甲斐のある人生を作りましょう。



NVN発足を祝す
日蓮宗現代宗教研究所長 石川浩徳 

 NVN(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク)の発足を心からお祝申し上げます。
 私が現宗研の所長に就任した平成7年度から始まったビハーラ講座が結実して、NVNの誕生に至ったかと思うと、感慨も一汐です。今日まで中心となって推進してきた日医研の各師の喜びは格別のものがあると存じます。
 NVN会員諸師が時代の要請に応え、法華経の教えの具現化のために大いにご活躍されんことを期待し、祝辞と致します。
合掌



設立総会の報告

 NVNの設立総会が、平成13年6月12日に、池上会館(宗務院庁舎・右横)を会場に、40人の会員が参加(設立時会員82人)して開催された。
 初めに、発起人を代表して、名古屋市道心寺の蟹江一肇師が挨拶し、続いて、秋田県能代市本澄寺の柴田寛彦師が、NVNの設立趣旨を説明した。
 次に、議長に市原市妙蔵寺の高鍋隆孝師を選出し、議事に入った。
 (1)規約の承認、(2)役員の選出、(3)ロゴ・マークの決定、(4)その他の順で議事が進行した。(1)、(2)、(3)については、本誌に別記報告があるので、参照されたい。(4)その他では、会費についての意見交換が行なわれた。会費が現行の1,000円では会の運営が苦しかろうとの意見があり、世話人事務局間で検討するよう一任された。
 議事終了後、飯田女子短大教授の藤腹明子先生の、「仏教と看護−これからのビハーラ活動を考える」と題する、記念講演があった。
 記念講演については、別記要旨の報告があるので、参照されたい。
 最後に、懇親会が開催され、現宗研所長の石川浩徳師と、会員で立正大学社会福祉学部教授の清水海隆師が祝辞を述べ、会員でロゴ・マーク作者の、栃木市妙唱寺の近澤雅昭師が乾杯の発声をし、大いに盛り上がった。
 
世話人の紹介
 NVNの世話人は下記の通りです。
世話人代表
同 副代表
世話人
 名古屋市道心寺内
能代市本澄寺
東京目黒区常円寺
東京港区長久寺
東京台東区妙経寺
京都市常照寺
大田区妙徳教会
名古屋市道心寺内
 蟹江一肇
柴田寛彦
古河良晧
渡部公容
山口裕光
奥田正叡
今田忠彰
林 妙和
 
事務局の紹介
 NVN事務局・事務局員は下記の通りです。
事務局 〒146−0091
東京都大田区鵜の木2−37
     妙徳教会 内
TEL 03(3759)5284
FAX 03(3759)5021
事務局長
事務局員(会計)
事務局員
 大田区妙徳教会
品川区清光寺
丸亀市宗泉寺内
新宿区経王寺内
埼玉県本庄市
東京都大田区
 今田忠彰
吉塚誠滋
成田東吾
互井観章
斎藤妙順
高平妙心
 
ロゴ・マークの紹介
 「NVN」のロゴ・マークが決まりました。
 NVN会員の栃木市妙唱寺住職の近澤雅昭師が起草して下さった4種類の中から、設立総会の席上、参加会員の多数意見で決まりました。表紙にありますように、NVNが楕円形の中に納まり、Vの字がハート形になっています。どうぞ宜しく!



日蓮宗ビハーラ・ネットワーク規約

第1条(名称)
本会は、日蓮宗ビハーラ・ネットワーク(略称NVN)と称する。
第2条(目的)
本会は、日蓮宗のビハーラ活動を普及・推進するとともに、会員相互の情報交換と協力連携を図ることを目的とする。
第3条(活動)
本会は、以下の活動を行う。
  機関紙の発行。
  会員相互の情報交換、協力連携。
  総会、世話人会、研修会の開催。
  その他。
第4条(会員)
本会は、本会の活動の趣旨に賛同する者をもって会員とする。
第5条(役員)
本会に、世話人代表及び副代表各一名と世話人若干名を置く。世話人代表及び副代表は世話人が互選する。世話人は、会員の中から総会において選出する。
第6条(会計・決算)
本会の経費は、会費及び賛助金・寄付金などを以てこれに充てる。
第7条(事務局)
本会に、事務局を置く。事務局に、事務局長一名及び事務局員若干名を置く。事務局長及び事務局員は、世話人会において選出する。
付則第1条
この規約は平成13年6月12日より施行する。
付則第2条
本会の会費は、年間1,000円とする。



会員の声(1)
栃木市 妙唱寺住職 近澤雅昭 

 宗教家にとって「死」を無視して活動できない、と思っていましたが、何か物足りなさを感じていました。生者にとって「死」が確実なものであるのならば、むしろ「生」を意識しなければならないと考えます。
 ビハーラの活動が、その答えを出してくれるでしょう。一人で生きていけない人間にとって、互いに支え合うことが必要ならばそうすべきでしょう。
 ビハーラ活動が、これからの宗教活動の大いなる部分を担うことは高齢化、小子化の進む我が国に於て、必要かつ不可欠のものとなるでしょう。将来に対する不安や先の見えない未来に対する希望すら持てない人々が多くなり、精神的救いを求めている現代人、それらの人々の支えになれればと思います。
 そこで、お願いしたいのは、NVN(手帳)ノートの作成。情報交換のための名簿の作成。ブロック別講習会の実施。組織維持のための財政の確立。をご検討、実施していただきたいと思います。NVNの一層の拡大と会員各聖の活躍を心から期待いたします。



会員の声(2)
上越市 善行寺内 西山妙静 

 平成13年6月12日に日蓮宗ビハーラ・ネットワーク(NVN)が発足しました。すぐさま会員の一員に加えさせて頂きました。そして今回、『NVNニュース』創刊号が発行される朗報を得、これを介して連携できる嬉しさから、感想の一端を述べさせて頂きます。
 私は、時折りビハーラ講座に参加した当時の資料を取り出し、改めて読み返しながら、諸先生の熱心なご指導と、体験を交えての実技指導など、まさに充実した濃い内容の2泊3日であった事を思い起こしております。
 地方の教師(寺庭婦人)が一人で活動するには不安があり、手探り状態なのが現状です。
 今後はNVN会員の皆様の指導を頂き、手を取り合って大聖人の教えに基づき、法華菩薩道を実践しお手伝いをさせていただき、一人でも多く真のお題目を唱えて頂くよう努力出来たら幸いに思います。未加入の皆様、一緒に手を携えて頑張ろうではありませんか。



会員の声(3)
「私のビハーラ活動」    
 −生と死を考える会の紹介−
駒ヶ根市 大法寺住職 藤塚義誠 

 上智大学教授のアルフォンス・デーケン師(神父・哲学・ドイツ生れ)との出会いがあり、地元の医療関係者と「伊那谷生と死を考える会」を発足させて10年、この4月からは代表の立場にある。デーケン師の主宰する生と死を考える会全国協議会(尼崎市英知大学内、46団体)に加盟している。 活動」
 「死を見つめて生が輝く」は山本周五郎の言葉だが、死へのまなざしは生を豊かな深いものにする。死を忘れたところに生のおごりがあり、死から眼をそむけていては、真に心安らかな最期は望めない。小子高齢社会の介護、高度医療、病名告知、尊厳死、脳死と臓器移植、終末期の医療、看取りやホスピスなどは、生と死を考える上で解決を迫る問題である。さらにグリーフワーク(悲しみを癒す作業)として、死別体験の分かち合いの会、亡き人を偲ぶメモリアル・サービス、また病床における傾聴活動を行っている。
 生と死を考える会では、多くの市民が死への準備教育として死生観を養い、限りある生を自分らしく全うしたいと、学習と実践を重ねている。私自身は「先ず臨終の事を習うて」の一つであると受けとめている。



記念講演(要旨・文責NVN)
「仏教と看護」          
 −これからのビハーラ活動を考える−
飯田女子短期大学教授 藤腹明子 

 医療看護の側から、ビハーラ活動を考える上で、気になる記事がありますので、ご紹介させて頂きます。
*最近の事例から その1
 今年の5月12日の読売新聞に、昨年の秋、膵臓ガンで58歳のお父さんを亡くした32歳のA子さんの話が紹介されています。「主治医がどんな人間か知っていたら、絶対に入院させなかった。父親は末期ガンであることを知らないまま入院。主治医は何の配慮もなく病状を説明した。その時主治医は友人に電話し、酒を飲む約束をした。食事の時、食欲のない父親の体位を変えていたら、どうせ食事が取れないのだから駄目だと言った。お腹が張ると言ったときは、腹水が溜まるからだと診察もしない素振り。ガンで人が死ぬことに慣れてしまい、心配が出来なくなったのです。」
*最近の事例から その2
 「ある内科医の手紙」として紹介されている新聞記事です。「狭心症だった50歳代の男性は、会話の最中に何度も私に握手を求めて、こう言いました。手術が成功したら、新宿の歌舞伎町で一杯やりましょうや。まだやることが山ほどあるんですよ。まるで子供のように目を輝かせてそう言った。難関の手術の向こうに患者は決まって、たわいない夢をみているものです。」
 私は、医療者側の人間として、これらの記事の内容に衝撃を受け、また、反省させられました。たとえば、後者の記事では、医者は」難関の手術の向こうに、患者は決まってたわいない夢を見ているものです」と行っています。
 『たわいない夢』とは、どういうことなのでしょうか。患者の心の奥底には、大きな手術を前にした不安と成功への命がけの切なる願いを込めていると思われるのです。医療者から見れば、その願いは叶わぬものかもしれません。しかし、それを「たわいない夢」と言い切ってしまう医療者の態度こそが、問題ではないかと感じます。
 ビハーラ活動においては、看取る側に『看取りの心得と作法の17ヵ条』の第1条と第5条の自覚と態度が必要ではないかと思います。
 
藤腹明子の看取りの心得と作法17ヵ条
第1ヵ条 看取りの最初の心得は、看取りし者も、いつか必ず死を迎えるという自覚なり。
第2ヵ条 看取りとは、死の前には無力なる、何もできない自分自身を知ることから始まるなり。
第3ヵ条 およそ看取りの対象は、末期がん患者のみならず師に臨む人すべてなり。
第4ヵ条 看取りの期間に長短あれど、およそ三月と心得よ。
第5ヵ条 看取りとは、限りなき他者への関心なり、傍らに居り、耳を傾け、語り合うことこそ基本なり。
第6ヵ条 信頼は、事実を告げることから生れるなり。
第7ヵ条 看病・看死・葬送は、切り離しては考えられぬものと心得よ。
第8ヵ条 看取りのめざすは、この世からあの世への橋渡しなり。
第9ヵ条 病者の「願い」を軸として、看取ることが大事なり。
第10ヵ条 看取る者は、医者や看護者のみならず、仲間と共に看取るなり。
第11ヵ条 看取る者、それぞれ役割を心得て、苦痛の緩和をめざすべし。
第12ヵ条 看取る者看取られる者共々に、最後の瞬間(とき)に「救い」をめざすべし。
第13ヵ条 看取りの質は、看取る者の生死観が左右する。
第14ヵ条 看取りにおける善し悪しを決めるは病者の思いなり。「あなたに出会えてよかった」と、言われて気づく評価なり。
第15ヵ条 人の臨終・死後処置にかかわるは、偶然でなく必然なり。縁あって選ばれたると思うべし。
第16ヵ条 看取る者、看取られる者共々に、心残りや憂いなく、「これでよかった」と思えるように励むべし。
第17ヵ条 看取りとは、看取りし後も続くもの、残される家族のケアも看取りなり。
 
今こそ、仏教看護論を立てるべし
 日本の看護の歴史は、仏教を抜きにしては考えられないのです。ヨーロッパにおける看護の出発点がキリスト教精神を基として行われてきたように、日本の看護も大陸から渡来した仏教の精神から出発しています。少なくとも日本の看護は仏教の精神、すなわち慈悲の心を基として、病気や貧しい人々を世話することから始まっており、時代を超えて看護と仏教の結びつきを期待した人たちがいたことが分かります。仏教が、人間の「いのち」の生老病死、人間本来の「生き方や幸せ」を考えてきた世界を持っているとするならば、その仏教が考えるところの理念、知恵、方法論を取り入れた「仏教看護論」を構築する意義は大きいのではないかと考えております。
 また、看護が人間の「生老病死」という、いのちの営みの全過程に関わる行為であるという点においても、仏教看護論は科学的看護論に価値と方向性を与えた新しい看護論の一つになり得る可能性を秘めていると思います。
 
ビハーラ僧は屑籠のような存在たれ
 我が国で最初に「ビハーラ」を提唱された田宮仁先生は、「ビハーラ」の語源や、その昔「ビハーラ」と呼ばれた仏教施設が果たした役割や機能を尋ねると、今後のビハーラに期待される姿が浮かび上がってくるとし、次のように言っておられます。
 「ビハーラのあるべき姿としては、病院・寺院・学びの三つの機能を持ち、それらの役割が渾然一体となって相乗効果を生む“場”であることが、最終的には期待される。また、ビハーラ僧については、自身の存在を主張する必要はなく、部屋の片隅に置かれた屑籠のような存在であることを期待している。辛いこと、汚いこと、何でも放り込まれ、そのことにより部屋が片付くように、人の心が整理され方向付けられたら良いのである」と提唱されています。



NVN会員の体験発表
「私のビハーラ活動」
千葉県 本寿院住職 野村妙照 

 なぜ私がビハーラ講座に参加したのかをお話しますと、自分の心が苦しかったからです。
 住職になって4年過ぎましたが、住職になってすぐに20代のご子息を突然に亡くされた檀家さんが、2件相次いでありました。
 1件は、東京で自活していた26歳の次男を、カゼをひいていたのは知っていたけれど、無断で2日も会社を休んでいたので、会社の人がアパートを訪ねて、亡くなっているのを発見したとのこと。
 もう1件は、両親の反対を押して国際結婚して、船橋で結婚生活をしていた27歳の長男が、少し体調が悪いのに妻の国に行き、急病で亡くなってしまったとのこと。
 ご両親の悔やみ、苦しみ、悲しみが痛い程伝わってきました。葬儀の際や折々の供養の時はもとより、毎日毎週のように来られる墓参の折に、顔を合わせれば少しでも元気がでればと、言葉を交わしました。
 悲しみの余り病気になってしまったのではないかと思う程、我身を責めて悔やむ母親を見て、黙ってはいられず、霊山参り(七面山)に誘い、気持ちの切り替えのきっかけになってくれればと、一緒に登山しました。
 家族の方からは「少し元気が出てきたようです」とのことでしたが、母親は、「やっぱり涙が出てきてしまいます。意気地無しです」とのことでした。それが本当のことだと私も思いました。後はそれぞれの自然治癒力を信じて祈るだけです。
 その時、他人を癒すこと、元気づけることに、自分が向いていないのではと、悩んだことがありました。
 その前にも、これは檀家の方ではありませんが、親しくしていた家族があって、その娘さん・Mさんの不幸を経験しました。
 知り合ったのは15年位前のことです。Mさんは高校を卒業して間もなくだったと思います。膠原病の診断を受け、療養中だったと思います。
 関節の痛みを訴えておりました。その痛みは、膠原病からくるもので、完治するものではありません。職業をもつこともままならず、日常生活もどうやらでした。
 でも多感な年頃で、病気のことはもとより生き方・結婚・ご両親への想いなど、沢山の会話を交わし、娘さんの愛らしき人となりを知り、このまま病気が進行しないでほしいと願うばかりでした。
 笑顔がキュートで、その笑顔を見るだけでご両親も全てを満足している様子でした。
 膠原病の原因が何なのか分かりませんが、尿が尿管を逆流するという症状もありましたので、結婚はできても出産は無理と思いました。そのことで断念しなければならない結婚話もありました。私が相手方の親族に聞かれて正直に話してしまったからです。私も辛い思いをしました。反省しております。
 その後、25歳になって、すべてを承知の上でMさんを愛してくれる人が現れ、結婚しました。心から喜びました。一生病気と付き合って行かなくてはと、謙虚に生きていましたから。
 そして、妊娠したのです。一度は医師の指示に従って堕ろしたのですが、その後に妊娠した時は、もう誰にも止めることが出来ず、出産に臨み、29歳で我が子を命と引き換えに亡くなってしまいました。
 ご両親の悔やみ、悲しみには、言葉がありませんでした。Mさんが精一杯生きて、子供を残したことを誉める以外には。
 その子ももうすぐ5歳になります。きっとその子の成長がご両親の心を癒してくれると信じています。
 以上のようなことがあり、ご両親たちの苦しみや悲しみと対する私の言葉が噛み合っているのかと心配だったので、ビハーラ講座に参加させていただいたのです。
 講義の中で、「こちらから答えを出さなくてもよい」と聞き、納得しました。
 無理して背伸びもせず、接しようと思います。負担に思わない為にも。



平成12年度第5回ビハーラ講座の報告

 平成13年2月21日〜23日の2泊3日の日程で、清澄寺研修会館を会場に、第5回日蓮宗ビハーラ講座が開催された。
 東京駅と羽田空港にバスが送迎し、参加者31名を迎えた。会場が清澄ということで、環境が良い、聖地だ、と歓迎する声と、遠隔地で不便だ、という声と、参加者の感想は賛否両論だった。今後の検討課題だろう。
 講師陣はおなじみの日医研の各師と、外来講師として、立正大学の庵谷行亨教授とアウン施設長補佐の林妙和師であった。また、普通救命講習と介護実習も行なわれた。
 各講師に担当講座の紹介をして頂きました。
 
臨終教化のあり方
蟹江 一肇 
 人は一生の中で、色々な出来事に巡り会って生きていくものです。日蓮聖人は「生命というは珍宝なり」といわれております。私たちも、「珍宝」を頂いています。釈尊はこの珍宝は、四百四病の入れ物であると示されております。四百四病の入れ物をいかに理解し、正しく生きるかを説く、臨終教化こそ、大切な僧侶の役割だと信じております。
 
お見舞いの基礎知識
柴田 寛彦 
 病気をした人というのは、どのような心理状態におかれるものなのか、お見舞いをする時にはどんな注意が必要かといった点について解説しますが、これからは、経験に基づいた症例検討的な内容も取り入れられればと考えています。
 
『千代見草』に聞く看病の心得と臨終行儀
柴田 寛彦 
 科学の日進月歩でも、人間の心の構造は不変であり、病める人のケアについては古典から学ぶところが多いことが、『千代見草』を読んで実感させられます。現代語訳を早く世に出したいと頑張っているのですが、……、もう少しお待ち下さい。
 
仏教の生命観とビハーラ精神
古河 良晧 
 私たちのいのちとは何か、どこから来て、どこへ行くのか、生きる目的とは何か…。ビハーラ活動への取り組みは、このような「いのち」に対する確かな理解から始まります。
 この講座では、法華経はもとより仏教の諸教典に説かれるビハーラ活動の基本的な精神を学び、あわせて仏教一般の生命観と法華経に示された独自の生命観を考えます。生老病死の四苦を免れ得ない私たち。どうか支え合い、それぞれのいのちを輝かせましょう。
 
「心理相談の基本」
「ロール・プレーイング」
渡部 公容 
 この講義および実習のめざすところは、一言でいうならば「人の話を聴くことの訓練」であるといってよい。病める人を前にして、私たちはどのような態度で臨み、どのようなことばかけができるのだろうか?私たち僧侶は、日頃から「人を教化する」という立場にあるためか、常に人に対して「教えてやる」「答えを出してやる」といった気持ちを持ちやすく、そのことに何らの疑問も抱いていない。
 しかしそこには、相手の話を聴く、その人の心に耳を傾けるということが忘れ去られてしまう現実がある。この講座での体験を通じて「話を聴くこと」の大切さに気付いていただけるものと考えている。
 
御遺文に見るビハーラ精神
山口 裕光 
 日蓮聖人の書状類には病者や死期に近い方に安否を尋ね、病苦の克服方法を教示し、そして信心を励ます内容が多く見られます。
 御遺文を 喜び 励まし 安らぎ 安心の四つに分類して、聖人のビハーラ精神を探究する講座です。お見舞いの時や、手紙、文書伝道等に活用し、更に皆さんの会得された法華経、御遺文を加えて頂きたいと願っています。
 
「ビハーラ活動の歴史と現状」
奥田 正叡 
 かつて活発に行なわれていた日本におけるビハーラ活動の歴史を学び、併せてビハーラ活動の現状とその意義について学びます。
 (1) 各時代におけるビハーラ活動
 (2) 現代社会におけるビハーラ活動
 (3) 身延深敬園について
 (4) 法華菩薩道としてのビハーラ活動
 
ビハーラ活動の体験を通して
今田 忠彰 
 ビハーラ講座参加者のアンケートを見ると、「ビハーラ活動の実際の体験を聞きたい」という声が多い。確かに、講座に参加しただけで、すぐに実践に移るのには不安があるがだろう。
 私のわずかな体験談を参考にして頂るなら、これに過ぎた喜びはない。
 
看護・介護の実際
林 妙和 
 実技では、高齢者擬似体験を通して、高齢者や障害を持った方の療養上・生活上の課題の考察や理解を深めて頂きます。
 また、介護の基本知識・技術・態度についての理解と実際では、「寝返り・起こす・座る・立つ・移動・車椅子操作等」から応用生活動作まで正しく身に付けることにより、ビハーラ活動やボランティア等にお役に立てればと思います。



参加者の声
「ビハーラ講座を受講して」
厚木市妙伝寺内 宇都宮恵禎 

 初めにこの講座に参加して、その内容の深さと同時に、2泊3日という短い期間で、簡単に身に付くようなものではないと、実感いたしました。
 講義の内容も、仏教とビハーラについて基礎知識から、日蓮聖人の生命観まで幅広く、又、実践面ではお見舞いの仕方やカウンセリングの勉強まで出来て、充実した講座でした。
 そして、ロール・プレーイングは初めての経験でした。実際、演じてみるということは難しく、客観視しなくては出来ないと感じました。しかし、参加者が意見を出し合い、鋭い批評が飛び交い、良い体験をさせて頂いたと思います。
 医療が進歩しても、未だ生死の壁は厚く、これからの高齢化にともない、益々精神的な癒しが求められる時期に入ってきていると感じます。短期なので、継続して受講し、檀信徒の方々や知人のお見舞いなど、身近に出来ることから、実践していきたいです。
 
「ビハーラ講座を受講して」
高知県南国市細勝寺内 久保晶宣 

 ビハーラ講座に参加する前日、家内が「なにもこんな体が大事な時に、2泊3日の研修に行くことないじゃない」と私に言います。私は、「今だから行くんだよ」と答えました。
 今年の1月の検査で、私の慢性腎不全は悪い方へ向いておりました。そこで家内が心配しての一言だったのだと思います。
 自分の体が悪くなって初めて、健康の有り難さを知りました。そして、同じ苦しみを感じている人たちが数多く居る。だからこそ、今ビハーラ講座を受講しなければ、という気持ちが強かったのです。
 さて、ビハーラ・ネットワーク設立総会に参加し、次の日は宗務院で新聞通信員会長会議、翌日、帰高して教区の宗務連絡会議に出席と、結構ハードに仕事をさせて頂いた。お盆の季節も大過なく、秋になり彼岸を迎える頃に体調はボロボロに成っていた。9月18日とうとう透析導入。今は、人口腎臓ダイアライザーに2日に1回のお世話で生かされている。
 透析室には同じ病気の人達が20数人。病友という言葉の通り、同じ病気と闘う友が今は沢山居て、日々ビハーラの実践が自然に出来る環境に居ることを、病を与えて頂いた仏祖三宝に感謝している。
 
「ビハーラ活動に参加して」
恵庭市妙輝結社 灰野妙輝 

 2月の寒さ厳しい北海道より、初めて第5回ビハーラ講座に参加させて頂き、ありがとうございました。私には法の道の先輩である母が、平成9年に84歳を末期として他界、一昨年の5月、夫が自宅の庭で車の手入れ作業中に倒れ、そのまま帰らぬ人となり、あまりの突然のことにて、その現実を受け入れることが出来ず苦しみ、出家者の立場でありながらどうしてもそこから抜け出せずにおりました。最愛の家族との別れがどれ程辛く、切ないものかは、本当に体験しなければ判らないものです。一番大切な“いのち”について、ビハーラ講座を早く受講していたら、もしかして命が助かったのではと思って、残念です。
 これからは、自分の体験と今回の講座で学んだことを尼僧の立場から少しでも心の癒しのお手伝いが出来たらと真剣に思います。
 日蓮聖人の聖地・清澄山にて学ぶことの緊張感、各講義、擬似体験、救命実習と、内容豊かな資料と、私には何よりの癒しとなりました。
 旭が森のご来光を拝し全て洗い清められ、再出発点になり、本当に受講生の仲間入りさせて頂き、心より感謝しております。



第6回ビハーラ講座の案内

 第6回ビハーラ講座は、平成14年2月の19・20・21日の2泊3日の日程で開催予定。会場は東京ホテル浦島(東京都中央区)



編集後記

 NVNニュース創刊号が、ようやく発行出来ました。多くの方々に原稿をお願いしたのですが、正直言って、どれだけ書いて頂けるか不安でした。ご執筆頂いた諸師に、心からの感謝を申し上げたい。
 一つ一つの原稿を読んでいると、それぞれの行間に、各師の人生観がにじみ出ています。「老少不定」「人の寿命は無常なり」。驚きと涙で読ませて頂きました。人生には悲喜交々、色々なことがあるものですね。NVNニュース創刊号にふさわしい、感慨深いものになりました。



日蓮宗ビハーラネットワーク(NVN)
事務局    〒146−0091
 大田区鵜の木2−37−5 妙徳教会 内
    TEL 03(3759)5284
    FAX 03(3759)5021


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