日蓮宗新聞 平成18年3月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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林 妙和師
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最先端医療でも救えない命
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みほとけの教えによる遺族・医療者へのグリーフケア
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きっかけは僧侶の姿
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物故者供養祭の様子。新たなきずなが生まれる
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毎年三月に医療法人大雄会では「創立記念日の式典」と「物故者供養祭」が同日に行われます。
開催趣旨は「医療看護を振り返る機会」「遺された家族との交流」「いのち観を培う学びの場」。会場は看護学校の講堂でご家族と職員が一緒に「一年間に亡くなられた患者さんの追善供養」を共に析ります。
二十数年前からは僧侶による仏教の人間観・生死観の講義を組み入れ、教育に携わった僧侶が物故者法要を挙行するようになりました。法要後は、僧侶が法話を行います。
宗教系の病院ではなくとも理事長の理念で仏式の法要が行われるようになったのは、お見舞いに来院する僧侶の存在でした。
見舞われた患者さんの穏やかな最期を目の当たりにした理事長の心を動かしたのです。
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グリーフケアとして
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供養祭では「亡くなるときの姿を思い出すとつらいけど…」「病院の近くをやっと通ることができるようになった」など思いを語ってくださる方や、愛しい人を亡くした深い失望、喪失感から立ち直る兆しの言葉などから遺族の方の心境を察することもできます。
互いに亡くなった方を悼み、様々な想いを共有−傾聴・共感し合うことで癒し、癒されることもあります。
亡くなった方のご家庭ヘ一般病院から訪問することはまだ数少ないですが、物故者法要を機に継続して遺族と向き合うこともあります。遺族へのグリーフ(悲嘆)ケアヘのきっかけになり得るのです。
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くつろぎのフロアーは、時折、祈りの場≠ニ
なる。やさしく見守るお地蔵さまは医療の現場
でおこる出来事、思いを受けとめている
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○信さん
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長い聞、看病してきた夫と死別。しばらく空虚状態。病院の供養祭への姿勢を知って感涙。信さんに時折お会いして、「心のうち」を伺うようになった。
しばらくしてご主人と同室だった患者さんと再会。病院の喫茶で優しく愚者さんの話を傾聴する信さんの姿があった。
癒された自身の体験から、相手に寄り添う行動へと広げていった。
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みんなを見守るお地蔵さま
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フロアーで皆さんを温かく迎えるお地蔵さんは、手作り。折りの場となり心のよりどころになっています。
僧侶のフロアー訪問をはじめ、法話は毎月一回行われています。今月は二十二日のお彼岸法話です。
法要は諸事情で墓参や法事に外出できない方の支えにもなっています。
病院とは異なり、老人保健施設アウンでは「祈り」や「仏の教え」を聴聞する機会は日常的です。
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老・病・死はすべての人に
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科学や先端技術を駆使しても医療の現場では、医師・看護師をはじめとした人間の力ではどうにもならない限界があります。とくに身近に寄り添う看護師は、患者さんや家族の想いに応えられない蕪力さに逃げ出したい程の辛さをかかえます。
人知を超えた存在を感じたり、款いや癒しを求めるのは医療者も同じなのです。
「こんなに突然に人が死んでしまうなんて…」「あの時ああすればよかったのでは…」と悔やみ責め、急変や看取りのない病棟を希望する看護師は実際にいまず。
病院や施設は、別世界ではありません。老・病・死はいずれわが身にも訪れます。今は立場が違っても、みんな命の大切なメッセージを受け取っています。
共に一人の人間として、その人に慈しみの心で寄り添い、どう支えあっていけるのか。「いのちの尊厳」「心のケア」を見つめ直したいものです。
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(名古屋市道心寺修徒・医療法人大雄会顧問)
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