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日蓮宗新聞 平成23年6月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
80 
 悲 嘆 まる5

信仰によって来世での再開を確信
お題目の力が心に慰めと安らぎを

【第四段階・癒し】
 過ぎ去ったことに眼を向けていたのが、次第に前向きになっていく段階です。現実受容、また見直しの時といえます。常に頭から離れなかった故人を、時折忘れることに気づきます。また故人を思い起こすと、ただただ辛かった気持ちが次第に薄らいで、懐かしさや喜びを覚えるようになります。友人など周囲からの働きかけに応えることができ、かつて取り組んだ習い事や新しいことにも意欲が湧いてきます。ときに「記念日反応」と呼ばれる命日や誕生日、また結婚記念日などに気分が落ち込み、不安定な状態になっても揺れが少なくなり、気持ちの切替えができ回復期へと向かいます。
 息子たちが家庭を持ち、折々に孫たちが顔を見せる夫婦の暮し。夫がそれこそ急に亡くなり、食事をつくる張合いもないと沈み込み、ひとりを嘆いていたAさんが、公民館の講座や観劇などに出向くようになりました。「元気になったかな」と声をかけると、「友だちが誘ってくれるの。七十の手習い、けっこう忙しいに。またお寺へもお参りに行くで。こんな自由気儘な時間をおじいさんから貰えたと思えるようになったの」と、明るい言葉を返してくれまし た。プラス思考でものを見、また考えて、新しい生き方を試みることができます。
 死別の悲しみから立ち上がる機縁は人それぞれに違います。夫婦の場合、亡き夫(妻)とこの人生で出会えたこと、喜びも悲しみも共に分かちあえた幸せに眼が向いて、気持ちの転換ができたという人もいます。
 悲嘆のなりゆきは故人との関係、またどのような別れ方をしたかで変わってくるものです。思い残すことのない看取りができ、「さようなら」「ありがとう」などの言葉を交わし合えた最期のステージ(舞台)は、遺[のこ]された者の悲嘆を癒すこととなり、よき思い出として心にいつまでも生き続けます。日蓮聖人の「先ず臨終のことを習う」は、グリーフワーク(悲しみを癒す仕事)においてもキーワード(重要な鍵となる語)です。人生の最期は与えられるのではなく、自らの手でつくり上げるものでしょう。
【第五段階・再生】
想い出に生きると決めて桐の花   斎藤とし子
水仙を夫[つま]に手向けて凛と生く  武内慶子
 悲しみの中にもりりしさ、生き生きとした思いが伝わってくる二句。悲しみに打ちひしがれ、あの人がいない中でどう生きていくのか思い煩[わずら]ったところから抜け出し、これからは自分のために「新しく生き直す」再生、新生のときを迎えます。「故人の生き方を受け継ぐ」「遺[のこ]された思いを抱えて生きる」と決め、大切な人がいない現実に立ち向かうことができています。
 何をもって悲しみを乗り越えた、回復したといえるのでしょうか。臨床心理の専門家は、その一つの目安として「故人を思い出すことが痛苦でなくなること」としています。ただし、悲しみは消え失せるものではありません。亡き人への思慕がある限り、悲しみもまた添い続けるものでしょう。
 故人とこの世で再び相見[まみ]えることは叶いません。しかし、信仰を待つ人は死が氷遠の別離ではなく、しばらくの別れにすぎないとして、来世における再会を確信することができます。このことにより人の心は深い慰めと安らぎに包まれるのです。お題目の力、功徳といえましょう。
 悲嘆の段階のあらましをご紹介しましたが、注意したい点はすべての人が必ず同じように、この段階をたどるわけではありません。重複、飛び越しがあり、行きつ戻りつするもの。また人により悲しみの感じ方、表し方も様々であることを理解してください。
 なお、うつの症状が重く、また長引くときは、かかりつけの医師や精神科の受診をおすすめします。自殺志向などが潜んでいて周囲が細心の配慮を必要とする場合があるからです。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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