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日蓮宗新聞 平成23年5月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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79 | |
悲 嘆
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信仰は悲しみを悲しみのままに
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乗り越える力を与えてくれる
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【第三段階・引き籠り】
第一、第二の段階で悲しみと向き合い、闘ってその限界やストレスから引き籠る状態です。心身の疲れがたまり体力が低下して、家事もおっくう、髪も服装も構わないこともあります。生きる目標まで見失い何もしたくありません、人中に出て行こうという気力も失せています。気分が落ち込み、誰にも会いたくありません。人に会うことが辛く感じられる時期です。スーパーへは夕方暗くなってから、時には閉店間際になって買物に行ったという人がいました。周囲はいま、本人にとってこのような生き方が必要なのだと理解したいものです。温かい眼差しで見守りましょう。
親戚や親しい友人などからの働きかけ、たとえば旅行や寺の信行会、サークル活動の誘いがあっても、気持ちに添わないときは無理をしないことです。気にかけてくださる御礼の言葉に添えて、「こちらからお願いする時がきたら頼むね」と依頼しておきましょう。
「外はさわやかなんでしょうね。この季節ですもの」
私は返す言葉を失っていました。寺の客間で三十歳の息子を急性疾患で亡くした母親と、百ヵ日忌の打合せをしていた時のことです。
大きなアルミサッシのガラス戸の向こうに、芽吹いた木々の葉が風にゆれて、ふりそそぐ日射しに若緑が輝いて見えます。お母さんにもその光景が映っているはずです。その折に交わした会話は忘れ去っても、この一言は私の心に刷り込まれ今なおよみがえります。
この段階は虚脱感が心をおおい、感情が平板化して無関心、無感動になりがちだといわれています。季節の花々が咲き誇って、その鮮やかな花の色が目に入っても美しい、綺麗だと感じられないといいます。
咲く花のいづれを見ても寂しげと心に思う妻逝きて後を 中西寿男
新聞歌壇の特選歌。選評(玉城徹氏)は「慰められぬ心もちである。それを脱することも亡き妻の鎮魂になろう」と記しています。
「引き籠り」「巣籠り」は喪の作業(グリーフワーク)に必要なものの一ツ。冬眠状態に似て、次のステップ(段階)のための充電期間です。故人やその人とかかわってきた過去に思いをめぐらす回想は、内なる支えとなり孤独が癒されます。思い出を綴ることも気持ちの整理に有効です。
頭の上が雲に覆[おお]われたようで気分が晴れないという訴えがあります。そうだろうと思います。しかし、たとえ梅雨空のように厚い雲でも、その上は限りなく広く、また明るい陽光に満ちています。雲海を下に見る機上の眺めを思い出してください。雲の上はさわやかです。その雲が切れ、晴れ間をのぞむときが訪れます。
悲しみを癒し立ち直るには時間がかかります。時を与えることです。川柳に「辛いときあったらいいな早送り」とありますが、グリーフワークにバイパスはありません。しばらくは耐えることもやむを得ません。そして必ず回復できると信ずることも、よき方向に自らを運びます。
深い信仰を持つ者も大切な人との死別は、大きな悲しみでありまた試練です。朝夕お題目を唱える習慣が、負担に感じるときは、日に三遍、十遍でも唱え続けることが大切です。どんなに辛いときもご本尊が、お祖師様が私とともにいてくださるという、信仰による支えは大きなものです。やがてお題目に力がみなぎる朝が必ずきます。
如来寿量品に[常に悲感を懐[いだ]いて心遂に醒悟[しょうご]す」とあり、悲感は「うれいにとざされること」。醒悟とは「気づくこと、本心にたちかえること」。信仰は悲しみを転じ、あるいは悲しみは悲しみのままに乗り越える力が与えられます。そのためにはたしかな「よりどころ」を必要とします。それは私たちにとり「お題目」のほかにはありません。
深い悲しみにいつか心が洗われ、真実に目覚めることになるのです。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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