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日蓮宗新聞 平成22年6月20日号
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藤塚 義誠
68 
 弔 う まる5
 「墓」の文字は草むらの彼方に日が沈んで見えなくなる様子を表し、死者の上に土をかぶせて見えなくすることを意味しています。
 民俗学では、はてか(果処・いのちの果てたところ)、また、はふりか(葬処・葬ったところ)が短くなったものと解説しています。
























 墓地で思い起こすのは、寺から五百メートル程に住まいしていたT氏のこと。夫人に先立たれた後の三年八ヵ月、自身が病臥するまで墓前に日参をされました。尺余の新雪の朝も、慕搭に向かって屹立した跡が残っていました。あるとき「毎日の墓参に、感じ入っています」と話すと、「なあーに、近いもんでね」という一言でした。いくら近くても気持ちがなければ続くものではありません。
 「びっしりと予定書かれし 子の手帳 墓参とありき 父の命日」は新聞歌壇の一首。ふと目にした息子の手帳、多忙なスケジュールに墓参の二字。ああ、この子は父の命日を忘れていないという母親の感慨が詠まれています。
 よい墓とはどのような墓でしょう。立派な墓地が必ずしもよい墓とはいえません。一言でいえばよい墓とはお参りの多いお墓です。
 寺にある墓地は本堂に一礼して向かうのがマナー。境内墓地の利点は、寺に参れば墓地に、墓地へ行けばご本尊を拝することができる幸せです。
 ところで墓参は何をお供えしますか。花、線香、水のほかに供物を添えることもあります。それだけでしょうか。お題目が聞こえない墓参が見られます。お題目の功徳を手向けることで最上の供養となります。花や線香の持ち合せがなくてもお題目があれば立派なお参りです。
 『千の風になって』が多くの人にくちずさまれています。原詩は一九三〇年代初頭、ナチスの圧政から米国に逃れたドイツ系ユダヤ人の女性が、故国に残しか母の死を知って、「墓参りにも行けない」と嘆きました。それを見た友人が一気に書き上げたものといわれています。打ちひしがれた心が癒され、明るく前向きになれると歌われています。しかし「お墓の前で泣かないで…そこに私はいません」などの歌詞に違和感を覚える人も少なくありません。
 墓地の通路で草を技いていると、風に乗って人の声が聞こえてきました。お婆さまがしきりに何か話しかけています。邪魔をしないよう遠回りして帰ったことがありました。
 私はサトウ・ハチローの次の詩が好きです。
 雑司ヶ谷[ぞうしがや]の墓地
 母がいる 姉がいる
 妹がいる 弟がいる
 −雑司ヶ谷の墓地
 でかいけやき
 大きいかしの木
 カラスをみる
 むくどりをみる
 風をみる
 −雑司ヶ谷の墓地
 弟と泣き 妹と笑い
 姉と歌い 母を呼ぶ
 −雑司ヶ谷の墓地
 雑司ヶ谷は東京都豊島区の南東部。ここに雑司ヶ谷霊園があります。この詩は日本人の墓地に寄せる情感が余すところなく表現されています。
 日蓮聖人が身延に入山されて三年目、五十五歳の建治二年(一二七六)三月十六日に師の道善房[どうぜんぼう]が亡くなられました。その知らせを受けた日蓮聖人は『報恩抄[ほうおんじょう]』をしたため、弟子の日向[にこう]上人を差し向け、房州清澄山の墓前に捧読されています。「彼の人の御死去ときくには、火にも入り、水にも沈み、はしりたちてもゆひて、御墓をもたたいて経をも一巻読誦せんとこそをもへども」とあります。この「御墓をもたたいて」のお言葉は日蓮聖人の真情と思いの丈が吐露されています。
 墓とは供養はもちろん、亡き人と語らい、自らを問い、死者と生者が三世を安んずる場です。そこに参る人もまた安らぎを得、救われているのです。
 「千の風 とはいうものの 墓参り」の一句に共感を覚えました。手を合わすときお題目の忘れ物をなさらぬように。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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