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日蓮宗新聞 平成22年2月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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弔 う
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「弔」は「とむらう」。古い言い方では「とぶらふ」。人の死を悲しみ、いたみ、その喪にある人を慰めてくやみを述べる弔問・弔慰。また死者の霊を慰め冥福を祈ること。さらに葬送からその後の供養(法要)におよぶ儀礼の意味までも含みます。
看取りができる老衰や闘病などの一方で、言葉を交わすこともできない急逝もあります。予想できる別れには悲しみの先取り(予期悲嘆)があり、突然の死は激しい衝撃に打ちのめされ混乱に陥るものです。いずれも比較しがたい死別の悲しみであり深い嘆きをともないます。遺族は長期の介護や看護による心身の疲労、あるいはにわかに生じた事実(死)を信じられぬ呆然自失の状態の中で周囲の支えを得て、通夜や葬儀に向け連絡調整を行ない、段取りを定めなくてはなりません。
人が愛し依存する対象失って生ずる感情をグリーフといいます。その悲しみを受け入れ、新しい生き方に気づき再出発するまでの作業をグリーフワーク(喪の作業)、また、悲しみの人を周囲が支えることをグリーフケア(悲嘆援助)と呼びます。故人に対する怒りや憎しみ、恨みの感情を徐々に許しや和解へと変化させ、その人に対する愛の気持を育み、遺された者が明日に向かって生きていくところにその目標があります。この章では、こうしたグリーフワークの視点から一連の葬送儀礼を見てみます。
死者を葬る儀礼は宗教や民族、都市や地方などで様式が異なり、また数多くの習俗、民間伝承が今日に残されてきました。しかし近年になりその多くは消滅したり、本来の意義を喪失しています。私たちは通夜、火葬、葬儀や納骨、四十九日等の儀式を遺族や親族、近隣、縁者が寄り合って執り行う過程で、互いに悲しみを分かち、慰め励ましあってきました。
通夜は原始社会において、野獣の襲撃から死者の亡骸を守ったことに始まるようです。また、釈尊がクシナガラの沙羅の林で入滅されたとき、弟子たちはその別れに臨んで、師が折々に説かれた教えを、夜通し語り合い心に刻んだことが仏教の通夜の起りといわれています。
通夜は徹宵ともいい、また伴夜[ともや]ともいいます。「伴」は同伴、伴侶の語があるように、故人と最後の一夜をともにすることを意味します。私も母を亡くした時は広い部屋に母を移し、三人の子どもと私ども夫婦の家族五人が添い寝をしました。
通夜はご本尊を枕辺に掲げ、お題目の功徳により故人がこの世の罪や汚れを洗い清め、生死の苦しみより解き放たれ、安らぎの境地に導かれることを祈ります。一人ひとりが故人と出会って以来、これまでの交流をできる限り想い起こし、その絆を確かめます。お題目を唱える中で、故人に詫びて許しを請うたり、また感謝の歯葉をかけるなど様々な思いを届け、心に背負う荷を軽くすることが、悲しみを乗り越えていく道につながります。
通夜の席思いしことは ありし日の 心に残ること多かりき
新聞の投稿歌。あの時○○しておけばよかった、もっと○○してやりたかったなど、精一杯の看護をした後でも、あらためて故人と向き合えば少なからぬ侮いが残るもので、まして突然の別れはなおさらのことでしょう。故人の枕辺に関係者が馳せ参じる通夜の席でとり交わす弔問や慰撫が悲しみを癒し、やわらげる大きな働きをしています。
最近は儀礼を簡略化する傾向にあり、時にはまったく行なわないケースが増えています。死を見つめ生の尊さを学ぶ機会を失うことにもなります。またグリーフワークの過程において、そのステップを抜くこととなり心身に及ぼす影響を懸念する学説がみられます。また思わぬ不運に出遭いその原因を尋ね、このことに及んで思い悩むこともあるようです。家族のみで行なう場合、周囲からの働きかけはなく、家族、あるいはひとりで悲しみを背負うことになります。人との関わりを遮断して失うものは少なくありません。「無縁社会」と呼ばれる世相をどう考えたらよいでしょうか。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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