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日蓮宗新聞 平成21年12月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
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 臨 終 まる10

その日が近づいたならば…

 前回に続いて、「千代見草」(伝・心性院日遠上人著=身延山二十二世、寛永十九年・一六四二年、七十一歳遷化)に目を向けてみます。「臨終の心得」として一項を設け、次のように記されています。
 死期が近いと知れば、沐浴して身を浄め新しい着物を着せます。ただし、このようにできれば結構ですが、できなくてもさしさわりはありません。まずご本尊を掛け、明りを灯し、香をたき、しばし鈴をならし心を落ち着かせます。そして「大勇猛[ゆうみょう]の信心にて、だいもくをとなふべき也。是[これ]肝心の事也」と、お題目を唱えることが最も大切であるとしています。
 信心をもっていても、臨終が近くなれば十人のうちの九人までが、気も弱り、頼みとするものもなく、もろもろの他事に心を引かれてしまうもの。お題目をすすめられても顔をそむけてしまい、看病人が気が弱ると思いすすめることをやめてしまえば、菩提心も薄くなり、妄執も強まり、空しく命が果ててしまい、誠に残念なことになります。
 臨終近くなればお題目を唱えよう、唱えたいと思っていても、病苦、死にさえぎられてつい忘れてしまうものです。看病の人はそばにいてお題目をすすめて、成仏の証[あかし]を手にしてください。死期は思いがけず突然に訪れるもの。身近な人たちに「死が急に迫ったならば、お題目をすすめてください」と頼んでおくべきです。「誰によらず、すすむる人こそ、臨終の知識なれ」としています。平素から誰でもよい、周囲の人に「私がもしものときはお題目を唱えてください、お題目をすすめてほしい」と依頼しておきなさいと。ここでいう知識とは、正しい道を教え示し、導いてくれる人(指導者、よき友人)のことであり、善知識ともいいます。
 日蓮聖人は「夫れ木をうへ侯には、大風ふき候へども、つよきすけ(扶介)をかひぬればたうれず。本より生[おひ]て侯木なれども、根の弱きはたうれぬ。(中略)されば仏になるみちは善知識にはすぎず」(『三三蔵祈雨事』)と示されています。臨終の善知識とはお題目をすすめる人、すすめてくださる人なのです。
 次に、臨終には何を念じ、何を唱えたらよいのか。この問いに対し、事の善悪をわきまえることができない状態になれば、いずれも皆、大勇猛の信心をもってお題目を唱える以外にありませんと。南無妙法蓮華経には法力[ほうりき]、仏力[ぶつりき]、信力[しんりき]という 「三力」の功徳が余すところなく備わっています。三力とは、お題目には三世十方の諸の仏の功徳が納まっていること(法力)、釈迦如来は妙法受持の者に仏身を成就させようという大願を持っていること(仏力)、法華経の経力を疑わず仏に成るという大信心を起こすこと(信力)をいい、お題目を唱えることの一事に、あらゆる修行が成就すると記されています。
 さらに日蓮聖人の『法華初心成佛鈔』の「譬ば籠[かご]の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我身の仏性もよばれて必顕はれ給ふ」を示して、誠に尊い文章であり、繰り返し拝読すべきものとしています。臨終のとき、心中の妙法である鳥が飛び出して、お題目をさえずれば、諸仏、諸菩薩が来集して、籠の鳥を連れ伴[ともな]って、寂光浄土の虚空を飛翔していくと述べています。
 このように「千代見草」では法力、仏力、信力がそなわるお題目の功徳、その素晴しさを繰り返し強調し、「是好良薬[ぜこうろうやく]には、何の加減もいらぬ事なれば、臨終にとりて服すベし。煩悩[ぼんのう]の病[やまい]の、いゑずといふ事なき也」としてこの項の結びとしています。
 「千代見草」は臨終をどう生きるか、また身近な人の最期をいかに支えるかを考える上で、法華経信行の手引書といえましょう。
 臨終にお題目をすすめ、お題目の声があること、そして、安らぎに導く、導かれることが法華信仰者としての尊厳ある姿といえましょう。
 なお、現代語訳「千代見草」の出版計画が進められています。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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