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日蓮宗新聞 平成20年8月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
46 
 看取りまる4

死生観を暮らしの中で養い    
 終末期に臨む希望を伝えておく
お題目は看取る者・看取られる者に最後の安らぎをもたらす

 近くの町に住むKさんから、久しぶりに電話がありました。Kさんとは数年前に家庭問題の相談が機縁となり交流が始まりました。忘れた頃に「また愚痴を聞いてやってください。先生ならわかってもらえると思って」と電話が入ります。その日は「主人が突然亡くなりました。四十九日を済ませたところです」という衝撃の一言から始まりました。
 働き盛りの五十代半ば。クモ膜下出血で手の施しようもなく、もはや回復不能という状況になりました。そのことの説明を受け、機器を装着するか否か家族は選択を迫られることになりました。医師の説明は丁寧で、家族の立場になって共に考えてくれました。しかし、年老いた母親はどうしても、息子の容体を理解できない様子でした。私と三人の子供たちが出した結論は、普段のたくましい日焼けしたありのままの、このお父さんとお別れしようというものでした。もはや主人の意思を確かめることはできません。四人の思いがこの方向にまとまるまでは言葉に表しがたい苦渋を味わいました。それでも家族が一つになってお父さんに寄り添い看取ることができました。田畑や果樹は家族の事情など待ってくれません。親類の助けを借りて今日も夢中に過ごしています。いまでもこれでよかったのだろうか、いや、これでよかったのだと、どこかで自問自答しています、という話でした。

 喉頭に垂直に管差しこまれ言葉失いし父生きている
 ある朝の新聞の投稿歌です。最先端の機器に繋がれ囲まれる医療の現場。作者のとまどいと胸をしめつけられる思いが伝わってきます。科学の恩恵がもたらす生命の延長は、私たち一人ひとりが何に価値を置くのか、これまでになかった選択を迫っています。
 簡単には死なせてくれない、嫌でも生かされる、と嘆きともとれる発言があります。一方、どのような形であろうと最後まで生かしてほしいと考える人もいるでしょう。息をしているだけ、それだけで充分とする家族もいるに違いありません。
 在宅で介護を受けていた九十近い老母が急変しました。息子である主が、救急車を呼ぼうという家族を制し、もう皆で最期を見届けてあげようと、ホームドクター(家族医)に家族の思いを訴え、その指示を受けて看取りを成し遂げたという手記を見ました。
 その前提となったのは、老母が折りにふれて口にしていた言葉でした。「自然のままで逝きたい。苦しむのはごめんだよ。もう充分生かしていただいて思い遺すことはない。みんなにありがとうを言うよ」。息子は本人の希望に添うような選択に、母も満足しているでしょうと綴っていました。
 これは、本人の生前の思いや意思表明がなければ、非情な行為として受けとられがちです。終末期に臨む希望を述べていたことが後ろ盾になり、家族の決断を促しています。
 回復の見込みがなければ延命治療を望まない人が増え、医療スタッフや家族が板挟みになるケースがあります。患者の周辺が治療費や介護の負担から延命を望まないとすれば、命の切り捨てにつながります。医療のあり方や死主観が問われる重要なテーマです。患者の意思が生かされるようであってほしいものです。
 地域の高齢者クラブで死についての話題を向けると、「なるようにしかならない」という言葉を返してくる人がいます。はたしてそうでしょうか。
 誰もが命の尽きる日が来ることを知っています。雨の確率何lいう予報には、雨具を用意して出掛けるでしょう。健康なうちに夫婦で家族で考えておきませんか。終末期の選択に直面しないという保証はありません。認知症が進み、意思表示ができない状態も想像できます。呼吸ができなくなった時どうするのか、せめて病名を告げられた時、きちんと話し台っておかないと家族が後悔することにもなりかねません。先に行く者が果さなくてはならない責務であり、人生の完結へ向かう積極的な姿勢です。それは看取る者への心遺いであり、看取りの質や死別の悲嘆からの回復につながるものです。そのために一人ひとりの死生観を日常の暮しの中で徐々に養い育てることが重要になります。
 日蓮聖人の「先ず臨終のことを習うて他事を習うべし」のご教示は、いつの時代にも蘇り、新たな切り口をもって迫ってきます。真摯なお題目の信行は死生観の骨格をつくりあげるものです。私たちがいただいているお題目は、看取る者、看取られる者に最期の安らぎと輝きをもたらしてくれるでしょう。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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