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日蓮宗新聞 平成20年7月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
45 
 看取りまる3

患者の人生を理解し信頼を深める
人生を納得することが次の世に向かう一歩

 先年、仏教看護・ビハーラ学会で柳田邦男氏がご子息の死と向きあった体験を語りました。その中で「人は物語らざるを得ないもの」だと述べられ、このことが強く心に残りました。
 四半世紀以上前の私の古びたノートには市井の歌人の作品が記してあります。

病む妻を 看とりする夜に聞く雨は 二人はるかに歩みきし音
タイプ打つ 妻の夜なべを病む床に 聞きつつ思う遠き日の出会い

 感動を覚えて、新聞の文芸欄から書き写したものです。看とりまた、看とられる夫たちが、夜半の雨音や今は見かけないタイプを打つ音に耳を澄ませ、妻との出会いや共に歩んだ歳月を回想する愛のうた、相聞歌です。喜びや悲しみを紡ぎあい織りなした二人の物語、その豊かさがうかがわれます。
 最近、終末期医療の現場で、スタッフや家族が患者のアルバムなどを整理しながら、その生活史を共有しようという試みが報じられています。人は人生を歩む過程で、それぞれ固有の物語を綴っています。その物語に周囲が気付くことで信頼関係が深まるといいます。病気以外は知ろうとしなかった反省から、患者の人生を理解することで、新しい看とりの文化をつくろうというものです。
□Sさんの枕辺で
 もう十数年も前のことです。特養ホームから電話が入りました。「入所のSさんが、住職さんに会いたいと言っています。大分弱ってお別れはそう遠くないと思います。来てあげてくださいませんか」という依頼でした。Sさんとは晩年の三、四年という短いおつきあいでした。縁あって寺に参るようになり、ご宝前で祈りを捧げる後姿は敬虔であり、純真そのものでした。
 ある日、これが最後のお参りです。近々ホームに入ります。お世話になりましたという挨拶をされ、幾度も会釈をして境内を後にされたのです。身寄りはなく、人づてこ苦労の多い半生だったと聞いていました。
 ホームを訪ねるとすでに個室に移っていて、顔を見るなりすぐ分かり喜んでくれました。小柄だったSさんがまた一回り小さくなって休んでいます。会話は次第に間があいて、やがてそれも途切れました。難儀そうです。あとはベッドの横にただ座っていました。時枡目を開けては天井の一点を見上げ、また閉じています。窓からは初夏の日射しを受けたさわやかな緑が目に入り、あたりは静かです。Sさんのかすかな息遣いが聞こえるだけになりました。
 どれほどの時が流れたかわかりませんが「私はねえ…」とつぶやくと、途切れ途切れに言葉をつなぎました。「私はこれまで…」「人の情けというものを…」「大事にしてきました…」と口にされたのです。私は「人の情けは仏さまの慈悲の心に通じます」そして「Sさん、どんなところに行っても、どんなことがあっても、人の情けを忘れないでね」と応えました。すると、それまでになかった大きな声で「ハイッ」と返事をされました。
 静かな部屋に響いたその澄んだ声は忘れられないものになりました。その横顔は童女のように輝いて見えました。自らの人生、その物語を回想していたのでしょうか。Sさんの物語を引き出すことはもう叶いませんでしたが、このような会話とともにしっかりした返事をいただけて、私の方が救われる思いがしたのです。臨終が近づいた枕辺に私を呼んでくださったことに感謝しました。Sさんの手に手を重ね、お題目を唱えホームを出ました。その後、施設長さんの来訪があり、納牌と永代供養の希望があったこと、七十八歳の眠るような臨終であったという報告を受けました。
 人は最期にその人生(物語)に満足し、納得さえすれば、安心して次の世に向かって歩み出せるのだと思いました。そして私たちはお題目によって生死の苦しみより解き放たれていくのです。
 今年もお施餓鬼にはSさんの法名を言上します。もうすぐお盆です。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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