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日蓮宗新聞 平成20年6月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
44 
 看取りまる2

 あたたかい眼差しで          
     真実の言葉交わしたい
心残りや憂いのない最期を

 若かった頃を振り返り悔やまれてならないことがあります。寺の総代を務めていたTさんが入院していたときのことです。重篤と聞いて案じていたところへ、息子さんから「お上人、会ってやってほしい、面会時間にかかわらず都合のいいときに来てください」という電話がありました。病室に入ると、息子さんが父の上半身を起こし、べッドに上がり、後ろから抱きかかえました。全身痩せ衰え誰が見ても臨終の近いことがわかる状態です。Tさんは手を合わせ、私に何か語りかけるのですが、声にも力がなく聞き取れません。口もとを見つめていた息子さんが、「ありがとう、ありがとうと言っています」と教えてくれました。そのとき、どう言葉をかければよいかわかりませんでした。口をついたのは「がんばってください」のひとことでした。若さといえばそれまでですが、看取りの知識や経験がなかったのです。悔やまれてなりません。
 今なら「私の方こそありがとう、お世話になりました」「たくさんお題目をあげましたね、もう心配することは何もありません」「後のことは私たちにおまかせください、安心していいんですよ」と伝えられたことでしょう。
 臨終が近づくと、意識が混濁したり眠りの中にあって、コミュニケーションのとれない場合があります。最後までしっかり会話ができることもあります。
 私の母は目を落とす十数分前まで言葉を交わすことができました。孫がいて家族からお婆さんと呼ばれていました。「お婆さん、言いたいことはある?」と聞くと「山ほどある」と答えました。そこへ私のいとこが見舞いに訪れ、これが母と子の最後の会話になりました。山ほどあった母の言いたかったこと、その一つ一つを探していくとが、私にとっての人生の宿題になりました。
 告知されなくても、多くの人が、自分の死が近づいていることを知るといいます。話したいこと、話しておきたいことを抱えているものです。ときに気分が落ち着き、元気になり、周囲にこの分ならまだまだと思わせることがあります。言い残すこと、してほしいことを伝えたり、和解を求めて仲直りするなど、その絆を豊かにしようと、人生をしめくくる仕事をするといわれています。
 死に赴く人がどのような思いで、何を望んでいるのか、こちらの心を近づけます。不安や気がかりは一緒になって考えます。託された事柄があればその願いを叶えることを約束し、安心するよう促します。このようなときは、何を話してもあるがままに受け入れてくる人を求めています。
 昨年秋、国際的にも著名な建築家、黒川記章氏が亡くなりました。夫人は住年の映画スター、若尾文子さん。篤信の永田雅一社長にともなわれ、度々身延山に参詣し、大映の黄金期を築いたひとりです。若尾さんは身延の祖師堂でN氏と結婚式を挙げた経過があり、黒川氏とは再婚同士だったようです。十代で学僧だった私は、白無垢の花嫁姿をまのあたりにして、その美しさに息を呑んだ記憶があります。黒川さんが亡くなる二日ほど前のこと、若尾さんが「至らない妻でしたね」と話しかけると、「そんなこと、そんなこと…本当に好きだったんだよ」と言葉を返したということです。テレビのインタビューに答える若尾さん、悲しみの中にも充されるものがあったことでしょう。人生最後のステージで交わしたふたりだけの真実の会話、本当に幸せな夫婦です。
 看取る者はその別れに臨み、たじろぐことなく、あたたかい眼差しをそそぎ、真実の言葉を交わしあいたいものです。
 お題目のあるところ必ず光がさしてきます。お互いに最期の瞬間に救いをめざし、心残りや憂いがない、これでよかったという看取りに励みたいものです。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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