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日蓮宗新聞 平成20年5月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
43 
 看取りまる1

心にお題目を唱えながら…
 臨終の際の心得          
     ひたすら傍にいてあげたい

 私事になりますが、十年ほど前に九十九歳の母を在宅で看取りました。死に逝く母の思いを真に理解することなど、死に直面したことのない私にわかるはずはありませんでした。しかし、母の死を前に謙虚になっている私がいました。私もいつか母と同じようにターミナルのステージに横たわる日がくるのだと、自分を重ねていました。その思いが母への優しさを引き出してくれた気がしています。そして山に向かっても、空を仰いでも、最後の日々が安らかであってほしいと祈らずにはおれませんでした。母もまた数日の後に死を迎える人とは思えない透き通る声で、日に幾度となくお題目を唱え、私たち家族の幸せを祈ってくれました。母を看取ることによって、人生を眺める眼が深くなったように思います。
 Kさんの父親の葬儀がありました。参列者に謝辞を述べる中で「久しぶりに親父と話ができました。こんなに親父の傍にいたのは今までになかったことです」というくだりがありました。私はいぶかしく思いました。父親は脳溢血で倒れ意識が回復しないまま亡くなったと聞いていたからです。Kさんは急ぎ休暇をとって帰郷、妹と交代で入院中の父に付き添っていました。Kさんは「父の寝顔をじっと見つめていると、物心ついてからの父との思い出が呼びさまされ、幼い日や少年の頃に返ったようでした。そして言葉にならない会話を随分交わすことができました。手を握り足をさすりながらの数日間を父の傍で過ごすことができ幸せでした。父が最後に私や妹のために用意してくれた時間のように思われてなりませんでした」と話しました。別れの悲しみは尽きないが、充分な看取り、お別れの時間が持てた安堵の思いがみてとれました。父親は息子の見守りがわかっていたにちがいありません。
 釈尊のご在世、人々はそのお姿を拝し、そのお声に接したいと、遠くより歩いて釈尊の許、説法の旅先を訪ねています。釈尊は遠方より会いにくる弟子や信徒に道中のこと、食事や仲間の様子などを聞かれています。道路は今よりはるかに悪く、盗賊も出没し、食事に事欠いたり、病人が出ることもあったでしょう。釈尊の伝記を見るとけっして頑健なお体ではなく、病む者にはことさら心を寄せておられます。
 釈尊が一団の弟子や信者に声をかけられたときです。
 仲間に病人が出たこと、そして私にかまわず行ってくれ、帰りに連れ帰ってほしいと言われ、お目にかかりたい一心で病人を道沿いの木陰においてきたことを告げました。そのとき釈尊は「皆が私に会いにきてくれたことはうれしい、しかしそのために、病人をひとり残してきたことは心配でならない、両人の傍にいてくれる者は私に会いにきたと同じことである」とお話しになったと言います。そのときのお言葉は経典(梵網経、四分律など)に記されています。「病める者をみとるは、われをみとるなり。いささかも異なることなし」と。
 身近な者にとって看病は辛いこと、きわめてエネルギーを要することです。それでもなお、重篤な病人、ことに終末期の病人の傍にはできる限り誰かがいてほしいものです。病人をひとりぼっちにさせないことです。何もすることができなくてもそこにいる、そのことに大きな意味があります。
 私たちは愛する家族と死別したことを知ると、死に目に会えたの?と聞くことがあります。これは死に逝く人を孤独にさせないことをいいます。看取りの心得、そのもっとも基本的なことは、ひたすら傍にいてあげることです。最後の息づかいに心を寄せ、その場の空気と一つになり、一刻一刻の時の流れを包み込む思いで寄り添いましょう。心にお題目を唱えながら…。それが釈尊のお心に叶い、釈尊のお傍に給仕するのと同じことなのです。看取られる人の魂はどんなに安らぐことでしょうか。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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