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日蓮宗新聞 平成20年4月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
42 
 生と死まる7

看護の公開講座
心のざわめきが消えた 読経の功徳

 棺の中に入ってみました。闇の空間は不思議な安らぎがあり、譬えようのない気分でした。
 I女子短期大学の看護学科の公開講座に入棺体験があると聞き、興味を覚えて受講しました。「いつか必ず迎える日のために」というテーマ。女子高生から八十代までの三十余名が机を並べ、最初に生と死についての講義を受けました。
 やがてセレモニーホールの部長と社員が、棺を持って教室へ入ってきました。休憩時間に担当教授が受講者名簿から私が住職とわかったようで、最初の入棺者のために枕経をあげてほしい、あなたの宗門で一番有難いお経を短くてよいのでぜひと依頼され、二つ返事で引き受けていました。
 授業再開。「一番はじめに棺に入る方、少し勇気がいるかな。さあ手を挙げてください」と声がかかりました。ことがことだけにみんな尻込みをして、挙手がありません。教授は私に入棺をうながし、想定外のトップバッターになりました。じゅうたんの上に棺と真新しいふかふかの布団が敷かれ、指示されるまま横になり、胸の上で指を組み、目を閉じました。興味半分のおどけた気分は雲散霧消、本気で死んだふり、死んだつもりになりました。しかし、内心穏やかなはずはありません。模擬体験とはいえ未知のこと、それも死にゆくこととなれば不安にかられて当然でしょう。帰り道で事故に遭ったら、それみたことかと言われそうだ、大丈夫かななどと考えていました。枕経をあげる役が棺に入ることになって、代わりに在学中の韓国の尼僧が呼ばれ、経机も置かれ舞台装置は整いました。
 透き通るハングルの読経の声が頭上間近で心地よく流れていく、ふと気がつくと妙に落ち着いた気分、あの心のざわめきはすっかり消えていて、これが読経の功徳だと得心しました。
 やがて受講生が黒水引の袈裟掛けをして棺の周辺に集まりました。足袋、脚絆、手甲と足許から旅支度をととのえ、部長が一つ一つその意味を解説していきます。数珠、杖が添えられ経帷子[きょうかたびら]で身が包まれ、みぞおちの辺にドライアイスの模型が置かれました。これは胃液の逆流を防止するものという説明です。日本人は一生の通過儀礼に三度、白を身に着けます。それは産着と婚礼の白無垢とこの経帷子で、いずれも死と再生を意味しています。
 いよいよ納棺です。全身をゆだねるとシーツごと持ち上げられ、あっという間に納められました。花で飾られる自分の顔を見たいと思っても、叶うはずはありません。やがて静かにふたが閉められて、このときばかりは家族の顔がまぶたに浮かびました。目を開けてみるとそこは漆黒の闇、物音一つしない静寂そのものの空間です。想像していた気味悪さ、怖さといったものは全くありません。不思議な安らぎに包まれていました。ああ、これが永遠の眠りなのだと再び目を閉じました。
 「棺を蓋[おお]って事定まる」は杜甫の漢詩にあります。生きている間は公平な評価ができません。軌道修正も可能です。生前の真価は死によって定まるという、いつの日か周囲は私にどんな評価を下すのだろうかと思いました。
 闇の中にいたのは、わずか数分のことです。それにしても狭いところ、何としても窮屈です。いつかこんなところに入るのだ。いや、入るのは亡骸[なきがら]なのだ、魂は果てしない天空を飛翔していくに違いないと思ったことでした。
 ナースを目指す学生たちの入棺体験は、臨床の場で看取った患者(死者)の人権と尊厳を守るためのものだといいます。私には、死の恐れを緩和するイメージトレー一二ングになり、また、死から生を考える機縁となりました。棺から生還?し、いかがでしたかと感想を求められ、「人生には終わりがあるという自明の理をあらためて思い、賜った今日一日を意義あるものにしなければ…それにしても不思議な安らぎを覚えました」と答えたものです。
 かけがえのない人生のために、日蓮聖人の「命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ」(『法華證明鈔』)のお言葉を深く心に刻み、お題目を唱えましょう。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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