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日蓮宗新聞 平成19年8月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
34 
介護との出会いまる5

心にゆとり、持たせることも必要

介護は順送り、父や母、しゅうと、しゅうとめ、そしていずれは自分の番

 介護の想いを短歌にたくす「介護短歌」と呼ばれるジャンル(部門)が生まれました。新聞の歌壇でも介護に関する作品を度々目にします。
 この野郎覚えていやがれ忘れぬぞ母の罵声を背中に受ける
 作者は男性。対応が気に入らなかったのか、虫の居場所が悪かったのか、母は部屋を出て行く息子に思いの丈をぶつけています。私は介護を受ける者も、折々の思いを言葉に出して吐き出すことが大事だと考えます。弱音を吐いてもいいのです。べッドの暮らしが長引けば苛立つことだってあるでしょう。幸いなことに息子は作歌することによって心の浄化を得て母を受け入れています。
 恍惚の童女となりし母なれど忘れず「有難う」「きれい」「うれしい」
 認知症状を見せる母。さしのべる手にいつも決まった言葉が返ってきます。ありがとう、きれい、うれしいの三語に生きる母から、娘は今日も元気をもらっています。小さな幸せを拾えそうな母と娘がいます。
 さまざまな話題もちくる息子のありてホームのひとゝき彩りそえくる
 ホームで暮らす母のもとを訪ねる息子、今日はどんな話題を届けてくれるのか、談笑する母と子の姿が浮かぶ一首。入所して時がたち家族の足が遠のいて捨て置かれるような高齢者もいると聞きます。一度でも多く顔を見せに、また顔を見に出向きたいものです。訪ねる側が思う以上に待つ身の喜びは深く大きいのです。
    □  □
 介護には少しでも心にゆとりを持つ、また持たせることが必要です。
 心のゆとりで思い出す新聞の投書があります。介護の話題ではありませんが、おおよそ次のような内容でした。
 雨の日のバスの出来事。土地に不案内のお婆さんが運転手の後ろに座っている。このお婆さん車内の放送にはおかまいなし、バスが停まるたび「ここはどこ?」と聞く。運転手はその都度親切に答える。やがて「お婆さんの降りる所がきたら教えるから」と返事をしなくなった。するとお婆さんは持っていた傘で運転手の背中をつつき「ここはどこ?」。投書者がハラハラして眺めていると、「ここはどこ?」「そこは私の背中!」。こんな運転手さんが増えるといいね、という結びでした。心のゆとりからユーモアが生まれます。
    □  □
 「柏餅の葉っぱ」と題された一文があります。
 柏餅の葉っぱは、食べられないんだよって、小さいときに、おふくろに言われたにちがいない。この僕が、そのおふくろに向かって、柏餅の葉っぱは、食べられないんだよって、言い続けている。これも人生、これが人生。(「あなたがそばにいるだけでいい・介護する家族に贈る言葉」より)
 介護は順送り。父や母、しゅうと、しゅうとめ、そしていずれは自分の番になります。
 Aさんは農家に嫁いで三十年余、頑健だった義父も年と共に衰え、やがてくるであろう介護を心に決めていました。義父は野良で一服したとき「俺も年を拾った、厄介かけるがおたのみな」と□にしました。Aさんはその言葉を聞いてなぜかほっとしたと話してくれました。
    □  □
 加齢と共に人は案じられ、支えられる身になります。何か事のはずみがあっても「おまえたち若い者の世話にはならん」などという強がりはいかがなものでしょうか。川柳に「手を引いてくれる嫁のいる老いの坂」があります。年積もり老いを深めるさまを坂道をのぼるのにたとえています。「あぶないよ」と差しのべられる嫁の手に感謝したいものです。
 自我偈には「質直[しちじき]にして意柔軟[こころにゅうなん]に」とあります。柔軟とは「やさしい心。人生のまことのすがたにしたがって逆らうことのない心」を意味します。お題目は心を調える最善の法といえましょう。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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