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生老病死と向き合う あなたのそばに
日蓮宗新聞 平成27年10月20日号
ともに生きる
   たとえ産声をあげられなくても
吉田 尚英

一度結ばれた「いのち」の縁を感じながら

「流産・死産経験者でつくるポコズママの会」
流産・死産・人工死産・子宮外妊娠・胞状奇胎・新生児死などの理由により、小さなお子さまを亡くされたご家族の相互支援を目的に活動。
活動内容は、コミュニティーサイトの運営、流産・死産に関する情報発信、勉強会や交流会の開催、流産・死産後の心のケアに関する調査及び研究機関への協力など。
詳しくは「ポコズママ」で検索してください。
 先日、流産・死産・新生児死などで大切な赤ちゃんを亡くされたご家族のために活動をしている「ポコズママの会」の方々のお話を伺う研修会に参加しました。
 「ポコズママ」という言葉には「あなたはポコポコと懸命に生きていた赤ちゃんのまぎれもないお母さんですよ」というメッセージが込められているそうです。
 母親のおなかの中でその短い生涯を終えた命、その家族の悲しみと絶望の大きさは周囲にはなかなか理解されません。毎日おなかをさすり、将来の夢を描いてきた対象が突然消える喪失感、親として命を守ってやれなかったことに対する自責、それらを背負って生きる辛さはどれほどのものであるかなど、母親たちの体験談を伺い、どんなに短くても生を全うしたまぎれもない命があったということを教えていただきました。
 その研修会では赤ちゃんの「供養」に関するアンケートの結果も報告されました。その中で気になった意見を紹介します。

●「おなかの中で過ごす時間も数えるので享年一歳」と僧侶から聞いた。子どもの存在を認めてもらえて救われた。
●丁寧な供養と気持ちに寄り添う僧侶の言葉に救われた。
●「水子」という言葉に違和感がある。
●知人に赤ちゃんの葬儀のことを話したら「そんなことまでするんだ」と言われ傷ついた。
●早世した子どもは三途の川で石を積むという話は辛すぎる。

 お寺や僧侶に救われたという意見がある反面、偏見に傷つけられたり、お寺の閉鎖性ゆえに供養してもらおうと思わなかったなど、考えさせられる声も多数ありました。
 リビングに赤ちゃんコーナーをつくり、位牌や遺骨とともにエコー画像や母子手帳などを貴重な思い出の品として飾り、お花やお水をあげているお母さんもたくさんいるそうです。形にとらわれず、赤ちゃんを身近に感じていたいという思いが伝わってきます。たとえ産声をあげなくとも、ともに生きていくということ。それが何よりの供養であり、赤ちゃんがこの世に生を授かった大きな意味であると思います。
 また、何らかの理由で人工死産の選択せざるを得なかった方の中には、その事実を心に秘めて
きていかなければならない場合もあるでしょう。目に見える形としての供養はできなくても、一度結ばれた「いのち」の縁を心に感じながら、ともに生きていくことが一番の供養であると思います。
 (日蓮宗ビハーラ・ネットワーク会員、自死・自殺に向き合う僧侶の会共同代表)
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