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生老病死と向き合う あなたのそばに
日蓮宗新聞 平成27年7月20日号
「見えないから、見えたもの」
今田 忠彰

障害をもつ人を差別せず、支援し、共生する

 日蓮宗全国社会教化事業協会の総会・岡山大会で、岡山県立盲学校の竹内昌彦先生の記念講演を受講した。
 竹内先生は、8歳の時に網膜剥離で失明した。幼児期の栄養失調が原因という。しかし、ご両親は健常な子どもと同じように教育をし、東京教育大学教育学部特設教員養成部を卒業し、盲学校の教師として活躍した。
 昭和20年生まれの竹内先生が成長するころは、まだまだ障害児に対する差別的な見方が強く、多くの障害児は、世間から遠ざけられて成長した。
 しかし、竹内先生のご両親は差別に負けず、障害を隠さずに育てた。そのお蔭で竹内先生は視覚障者でも、健常者と同じく教育を受け、盲学校の教師して勤務することができたのだ。
 竹内先生は、立派な両親に恵まれたと、ご両親をとても尊敬している。お母さまは優しかった。お父さまは寡黙な人だった。昭和39年秋に、東京オリンピック・パラリンピックが開催された。
 竹内先生は、盲人卓球と盲人立ち幅飛びの2種目で、日本代表に選ばれた。上京するとき、岡山駅のホームには夜の9時過ぎだというのに、大勢の見送りがあった。その時「竹内昌彦バンザーイ」と、大きな声で2度も3度も叫ぶ声が聞こえた。お父さまの声だった。
 竹内先生のご夫人は健常者で、先生が東京教育大学教育学部を受験することを聞いて、年表などを点訳してくれた女学生だった。後のご夫人が盲児施設・岡星寮の指導員として勤めることになり、交際が始まった。ご夫人のご両親は盲人との結婚に心配をしたが、ご夫人の強い意志に押され、後に理解をして下さったという。
 現在の日本では、400人に1人の割合で、視覚障害児が生まれている。先生は、「自分が視覚障害児として生まれてきたことによって、399人の健常者の身代わりになった、とも言えるのではないか。有り難いと思ってほしいとは言わない。でも、健常者の1%でもいいから、障害者に幸せを分けて欲しい」と言う。健常者がそう思えることによって、思いやりのある人間に成長するのだと言う。
 見えないからこそ、健常者の心が見え隠れするのだろう。
 皆さんのそばにも、色々な障害を持った人がいると思う。できないことは支援する、できることは同じように扱う。地域社会での「共生」の実現のため、支援の心で対応する。特別視しない、差別しない、平等・対等な関係が大事なのだ。
 (日蓮宗ビハーラ・ネットワーク代表)
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