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生老病死と向き合う あなたのそばに
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日蓮宗新聞 平成25年7月20日号
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いのちの輝き
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村瀬 正光
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愛する家族に守られた、いのちの炎
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いのちは、ローソクの炎にたえられることがあります。その炎は何を照らしているのでしょうか。
私は僧侶であり、医師としても活動しております。医師として活動するなかで、忘れられない経験をしたので、お話させて頂きます。ご本人には了承を得ていますが、仮名といたします。
加藤さん(仮名)、40歳代男性の方です。商社で働くエリートサラリーマンで、検診で肺に悪性腫瘍が見つかり、死も覚悟しなければならない難しい手術が必要な方でした。その方には小学校高学年の2人の男の子があり、お見舞いに来ても病室には行かず、病院のロビーでゲームばかり。
そんなお子さんに、少し違和感を感じながら加藤さんの部屋を訪れると、相談したいことがあると。「子どもたちに自分の病気のことを言った方が良いかどうか迷っているんだ。今まで仕事人間で子どもたちのことは家内にまかせっきり。子どもだちとどう接していいか分からないんだ。子どもたちも部屋にきたら、すぐ出て行ってしまうし…。私は子どもたちに、病気のことは伝えたい。でも、聞いてくれるかな、分かってくれるかな。ショックを受けないかな。でも、言わずに今のような状態で、もしものことがあったら…」長い沈黙のあと、「聞いてくれてありがとう、もう少し考えてみるよ」と、寂しげな笑顔が印象的でした。
数日後、部屋に伺うと「先生に話をして、心が少しすっきりして、思い切って子どもたちに自分の病気のことを話しました。自分は肺に悪いものができて手術しても助からないかもしれないと。今まで、ごめんな、仕事を理由にかまってやれなくて…。寂しい思いをさせて…。そこまで言うと、子どもたちが涙を流しながら抱きついてきて。そこから言葉にならなくて…。親子で一生分の涙を流したと思います。止まっていた親子の時間が動き出した気がします」と、涙声で話してくれました。加藤さんは無事に手術を終え、一ヵ月後、元気に子どもたちに手を引っ張られながら退院していかれました。
生まれてから、いのちの炎は揺らいだり、弱くなったりする時もあります。しかし、時には家族に、時には友人など多くの人に守られながら、ひかり続けています。そして、自分の大切な人を、照らしているのです。感じませんか、慈愛に満ちたそのひかりを。
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(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク世話人、医学博士)
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