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生老病死と向き合う あなたのそばに
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日蓮宗新聞 平成25年6月20日号
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死の準備教育
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今田 忠彰
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住み慣れた自宅で家族に看取られたい
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いま在宅医療の分野では、5年から10年後に迎える「多死時代」に対応する準備に追われている。団塊の世代の方たちが、多く死期を迎えることになる。全員が病院や施設に入院(所)することは収容能力から困難。そこで厚生労働省は、在宅で死を迎えることを想定して対策を練っている。
日本では、昭和45年頃を境にして、在宅での死から病院での死に転換してきた経緯がある。家族が在宅で死を迎えれば、必然的に家族は看取りをすることになる。大家族の時代は、祖父母や叔父叔母などの死を通して、「死」というものを体験してきた。
しかし、病院での死の場合は、家族は立ち会うことはあっても、看取っているのは主に看護師であろう。急に「在宅で親を看取る」と言われても、誰も経験していないことになる。自他共に「死」は未経験なのである。
いきおい、自分の死は初めてのこととなり、不安も大きい。看取る家族にとっても、どうしてよいのか分からない。
多くの人は住み慣れた自宅で、家族に看取られて死を迎えたいと願う。そのためには、死の準備教育が必要になるであろう。
末期の肺がんで入退院を繰り返していたが、最期は自宅で迎えさせてあげたいと、退院してきたA子さんの例を参考に考えてみよう。
A子さんには息子娘が5人おり、孫を含めると総勢30人近い家族がいる。それぞれ独立しており、夫の死後独居であったので、子どもや孫たちが交替で泊まっている。
モルヒネなどの緩和治療に、酸素、点滴などさながら病室のような様子。点滴の針が抜けた、痰が詰まった、酸素の機器の調子が悪い、などの連絡がある度に、訪問看護師や医師が訪問する。
何かちょっとでも変化があると、訪問看護ステーションに連絡がある。家族にとっては、不安で不安でどうすれば良いのか分からない状態。でも1週間2週間と時が経過するに従い、慣れてきたのか、家族たちだけで、対応ができるようになった。
「状態からみて、この週末でしょうね」と訪問看護師からの報告。土曜日の夜中に、多くの家族に看取られて最期を迎えた。
家族から、「いま息が止まったようです」と連絡があった。
「家族で看取って良かった。皆に来てもらって、お祖母ちゃんも満足だったと思う」と。
A子さんは、自分の死を通して、子どもや家族や孫たちに、「死の準備教育」をして逝ったのだと思う。
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(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク)
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