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生老病死と向き合う あなたのそばに
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日蓮宗新聞 平成25年2月20日号
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医療現場における「希望」の光
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村瀬 正光
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絶望の淵で見えてきたこと
今日の仏さまは私に優しく微笑んで…
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過酷な運命を感じるとき、「希望」は生きる力となり、新たに進む道を指し示す光となります。現代においては、生まれるのも病院、亡くなるのも病院という時代であり、生老病死の苦悩を最も感じる場所は医療現場かもしれません。
私は僧侶と医師の資格を持って、病院内に仏堂がある、緩和ケア病棟で勤務していました。そこでの経験を、お話したいと思います。ご本人やご家族からは了承を得ていますが、仮名とさせていただきます。
山田明子(仮名)さん、七〇代の女性。消化器系の悪性腫瘍の手術後、抗がん剤治療を行うも他臓器に転移、抗がん剤を中止。しばらく在宅で過ごされていましたが、食欲が低下し入院となりました。離婚歴があり、在宅では一人暮らし。子どもは二人いますが、何十年も会っていません。
入院された初日だけ仏堂にお参りをされましたが、その後は行かれませんでした。しばらくして、下腹部痛のため医療用麻薬が開始。徐々にベッドで過ごす日が多くなってきたある日、山田さんが「一緒にお参りについてきて。一人だと怖いから…」と言われ、一緒に仏堂に行くと、お釈伽さま(仏像)のお顔を見上げた後、長い時間祈られていました。しばらくすると「こんな病気になったのも、全部自分のせいだと分かっているのです。子どもたちにひどいことをしたから…。入院したとき、すがるような思いでお参りしたら、仏さまは怒っておられたのです。それからは、怖くて…。時々起きる痛みは罰なんだって…。時間さえあれば、心の中で子どもたちの幸せばかり祈っていました。もう、私長くないのでしよ。なんとなく最近そう思うの。そう思ったら、どうしても仏さまのお顔が見たくて。今日の仏さまは、私に優しく微笑んでくれている。やっと、赦してもらえました。安心して逝けます」。話し終えた山田さんの顔は、微笑んでいるように見えました。
病室に大切に置かれている「お札」や「お守り」、手首などにつけている「念珠」、治りたい・奇蹟が起きて欲しいとの「祈り」、医療現場における最後の「希望」の光が宗教なのかもしれません。
絶望に押しつぶされそうになった時、仏さま(久遠実成の本師釈尊)に祈り、心からお題目を唱えてみましょう。きっと、仏さまが優しく微笑み、あなたを「希望」の光で満たしてくださると確信しています。
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(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク世話人、医学博士)
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