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ウイルスは悪者なのか
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新型コロナウイルス感染症が日本を含め全世界で猛威を振るい、医療システムの混乱、経済活動の沈滞、社会不安が広がっている。それらの混乱が疑心暗鬼を生み、科学を、医療を、経済を、政治を、他国を、すべてを疑いの目で見るようになり、混乱に一層拍車がかかっている。
多くの人が、感染者の軽率な行動を非難し、行政の緩慢な対応を謗[そし]り検査体制や医療体制の不備を批判し、生活の糧を失った原因を政治の責任にし、やりどころのない不安を他者にぶつけて留飲を下げている。そういう人たちの心の中にこそ知らないうちにウイルスが感染し蔓延しているのではないか。
有史以来、感染症は人類の生存を脅かしてきた。天然痘、ペスト、赤痢、インフルエンザ、はしか、マラリア、結核等々、枚挙に暇がない。つい近年まで国民病であった結核はBCG接種で予防し薬剤で治療できるようになり、幼小児期のワクチン接種でジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ、はしか、風疹、水ぼうそう、日本脳炎などの感染症がかなりの部分で予防できるようになった。しかし、ここにきて昨年来の新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、人類の感染症との闘いが終わっていないことを思い知らされる事態となった。
それでは、ウイルスや細菌など、人間の命を脅かす病原体は、悪者なのか。本来ウィルスや細菌などの病原体は、悪魔や悪鬼のようにあわよくば人間の体と心を犯そうと虎視耽々と狙っているような存在ではない。存在そのものに善や悪の性質があるのではなく、様々な経路で人間の体に入った結果として病気を引き起こし、時には死に至らしめる場合もあるものの、腸内細菌のように人間にとって有益な働きをしている場合もある。
『九横経』は、寿命が尽きないうちに横死することの9つの原因を挙げ、できるだけ行いをつつしみ、定業として与えられた命を息災に暮らすように勤めるべきであると説く。9つの原因に、食事や生活の不摂生に関する8項目の後で、9番目として「避けるべきことを避けないこと」が挙げられている。その内容は、「牛が角を突きあったり、馬が脚を跳ね上げあったり、車が通る道端、工事現場や、酒に酔った人や、人に噛みつく犬など、避けて近づかないようにするべきところに近づいて死ぬことを横死と言う」と説明されている。現代のように病原体の性質や感染経路についての知識が普及している時代に、敢えてそれらに近づくような行動をして感染し、自ら生命の危険に至ること、他人に感染を媒介することは、『九横経』の教えに反することになる。3つの密(密閉・密集・密接)を回避すべきとの社会的要請は、『九横経』の教えに合致している。
日蓮聖人は『立正安国論』の中で、世の中に正しい教えが行われていないと様々な不幸な現象が起こるとする経典を引用して、次のように述べられている。「『仏法が滅びようとするのをみて、見捨てて護ろうとしないならば、その国に3つの不吉なことが起こるであろう。3つとは、飢饉、戦乱、疫病である』(大集経[だいじっきょう])。災難の原因は正法を護らないことにあるとする経文の証拠である」と。現今の疫病の蔓延に伴う社会の混乱を見るにつけ、この現象は単にウイルス感染症による混乱とみるのではなく、その根底に混乱を増長する人間社会の思想的混乱があるのではないかと熟慮を巡らす必要がある。
ウイルスそのものに善悪はない。人間の対処法の良し悪しによって、善にもなり悪にもなるのである。人間のありようが今問われている。
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(論説委員・柴田寛彦)
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