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日蓮宗新聞 平成24年10月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
96 
 悲 嘆 21

愛を賛美し、悲しみ共に浸る

 「女人の御身として、をやこのわかれにみをすて、かたちをかうる人すくなし。をとこ(夫)のわかれはひゞ・よるよ ・つきづき・としどしかさなれば、いよいよこいしさまさり、をさなき人もをはすなれば、たれをたのみてか人ならざらん」
 夫との死別の悲しみを慰め「女性の身として親子の別れに髪を落してまで出家する(かたちをかうる)人は多くありません。夫との別れは一日一日、夜毎に、そして月を追い、年を追うごとに、年月を重ねれば重ねるほどに、よりいっそう恋しさがつのることでしょう。幼き子がいるのに誰を頼りとして育てられるのでしょうか」という内容です。
 この御消息(書状)は『女人某御返事』と呼ばれてぃるものですが、残念なことに十五行の断片が今日に伝わるのみです。きれぎれになって残っている文書を断簡、断片といいます。用筆、料紙、文体等の相似を見定める書誌学的研究により、この御消息の断簡は文永九年(一二七二)三月頃、乙御前[おとごぜん]母(日妙尼)に与えられたものと推定されています。
 乙御前の母はどのような思いで御消息を手にしたことでしょうか。日蓮聖人の悲しみに共感し寄り添うお心が、母の嘆きをあたたかく包んだことでしょう。母はおしいただき、あるいはその胸にいだき涙したと思われます。日蓮聖人への思慕をいっそう強くして、法華経への信を深めたに違いありません。
 母は幼児(乙御前)を連れて鎌倉よりはるばる日蓮聖人が配流された佐渡の地を訪ね、その強盛な信心と求道の志を称讃されて「日妙聖人」の名をいただいた女性です。
 日蓮聖人は夫と妻の深い絆を『上野殿御返事』で次のようにしたためています。
「夫[そ]れ海辺には木を財[たから]とし、山中には塩を財とす。旱魃[かんばつ]には水をたからとし、闇中[あんちゅう]には燈を財とす。女人はをとこを財とし、をとこは女人をいのちとす」
 私は夫婦が互いに「財宝となし、いのちとなす」というこの一節を仏前結婚式で新郎、新婦とともに唱えますが、いつも心が高揚します。しかし、永遠の愛を誓い結ばれた夫婦にもいつか永別の日は必ず訪れます。
 新婚半年足らず、思いもよらない突然の病で夫を亡くした若い女性がいました。その衝撃を周囲が推しはかるのは容易なことではありません。悲しみやつれた姿にかける言葉を失いました。度々寺を訪ねられ、その思いをただ聴いてさしあげるのみ、そして唱題行と写経によって菩提を弔うほかはありませんでした。いまも長い時間をかけて徐々に日常の暮しに立ち帰る過程にあります。陰ながら新たな幸せを願うばかりです。このような折節、日蓮聖人の悲嘆に向きあう御消息を拝して私自身が癒される思いがしたのです。
 故田村芳朗氏(元東京大学教授・日本仏教思想史専攻)には「日蓮における愛の弁証」の論考があります。ここにその一部をご紹介します。
 氏は、日蓮聖人には親鸞のような愛欲を煩悩として否定して悲しむことばが少ないこと、弟子や若い信徒には殉難の信仰から愛を含めて人生の諸事を超越することを説いていると前置して「女性信徒にたいしては、男女・夫婦の間にかわされる恋慕の情や子をいとおしむ母親の情を賛美し、その愛の交わりが死別をもって断ちきられたときには、悲しみを共にしながら限りない同情の涙をそそぎ、来世での再会という形で愛の存続を説き、慰めのことばとした」「日蓮は、かれら婦人にたいして愛は妄執であり、煩悩であるとは説かなかった。むしろ、愛を賛美し、それが死別の悲しみに変じたときは、その悲しみに共にひたった」とし、親鸞には冷徹さ、それに対し日蓮は情感的との印象を受けるとしています。多くの女性信徒に慕われた日蓮聖人を祖師と仰ぐ幸せをあらためて思うものです。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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