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日蓮宗新聞 平成24年7月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
93 
 悲 嘆 まる18

物事を前向きに「妻も喜んでいる」
垣添氏講演「妻を看取る日」3

 最愛の夫人と死別し「どん底の三ヵ月」を過ごした垣添忠生氏(対がん協会会長)の心に、桜の花がほころぶころ、やっとやわらかな光が差しこんできます。
 納骨に際し「賢媛院妙昭大姉」の戒名をいただき、妻らしい文字で嬉しかったといいます。心にはずみがついたのは百ヵ日法要でした。「これも先人の知恵か、悲しみぬいた百日を過ぎたころのタイミングに意味があるように思われた」「これまでの酒浸りの生活を立て直した。情けない私の姿を妻はどんな思いで見てるだろうか、きっと悲しんでいるに違いない、と考えるようになった」。規則正しい生活をしようと運動も始め、食事をきちんととるように心がけたが、「自分ひとり台所に立っても張り合いがなかった」と振り返っています。
 「妻が喜ぶことをするのが一番」と、休暇のたび夫婦で通った奥日光へ出かけたことも、生きる自信になりました。ガイドの案内で分け入った山中の滝を訪ねたときのこと。一羽のアサギマダラが美しい羽を広げ、高く低く、そして離れてはまた戻りとしばらく周囲をめぐり、その優雅な飛翔がふっと妻の舞い姿に重なりました。「普段なら気にも留めなかったろうが、私には特別な意味があるように思え、妻も念願の滝を見て喜んでいると感じました。近親者を亡くした知人の『奥様はきっと烏や蝶、何かに姿を変えて現れますよ』という言葉を思い出していました」。
 この一部始終は著書の中に「蝶になった妻」という一章を設けて記されています。「妻の化身としか考えられなかった。勝手な思い込みだとわかっているが、私は実際に励まされたのだ。妻がどこかから見守っている感覚が確かにある。癒され、気力を取り戻すきっかけとなった。非科学的な話であっても、当事者には特別な意味を持っている」と。
 こうして夫人と楽しんだ山登りや、カヌーでの川下りを再開。また新たに武道の居合を始めるなど、体を鍛え心を練るうちに、少しのことでは傷つくことなく、物事を前向きに考え「妻も必ず喜んでいる」と心から思えるようになったのでした。
 夫人は絵や写真など多彩な才能の持ち主。好きだった裸婦像は力強い筆致で迫力があったといいます。銀座の画廊で開催した遺作展の準備は、夫人と一体感を味わう充実した時間になりました。
 喪失感に打ちのめされ、そこから回復し、再生し、未来のことを考えるまでに一年を要しています。人によっては何年もかかるところです。
 「日中の公務以外は人と交わることなく、悲しみにどっぶりと浸っていたことが、結果的に回復への近道になった」といいます。
 「妻を喪[うしな]った悲しみは永遠に癒されることはない、悲しみを抱いたまま、別な生き方ができるのでは…と『悲しみを抱いたまま生きていく術[すべ]』を少しずつ身につけてきた感がある」「最終的にはやはり自分自身の足で立ち上がるしかない。とことん落ち込んで、死にさえしなければいいのである」と述べ、医師として「長年死を身近に感じる場所で働いてきたが、妻を亡くした喪失感はこれまで経験したことのな、また想像をはるかに超えるものだった」と回顧しています。
 夫人を亡くし初めて実感されたのが、グリーフケアの重要性でした。診療報酬が支払われる医療プログラムとして整備し、悲嘆を少しでも軽く、短くしたいと念願されています。「がんで苦しむ患者と遺族をひとりでも減らすことが私の望みであり、そのことに残りの人生を活かしたい」と語りました。
 ビハーラネットワークの記念大会の講演を拝聴し、さらに著書『妻を看取る日』(新潮社)にめぐりあい、深い感銘を覚えるとともに、悲嘆の思いを読者の皆さんと分かちあえたことを感謝いたします。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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