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日蓮宗新聞 平成24年2月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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88 | |
悲 嘆
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昨年十一月十六、十七日の両日、東日本大震災の被災地において日蓮宗東京四管区教化センターが主体となり、宗内諸団体による慰霊法要と仮設住宅での傾聴ボランティア活動が実施されました。引き続き十八日には日蓮宗ビハ土ラネットワーク主催のグリーフケア研修会(ホテル法華クラブ仙台)が開かれ受講することができました。その研修講義の一部をご紹介し、悲嘆の特質やケアのあり方について理解を深めたいと思います。
講師は東京福祉大学・大学院教授、悲嘆学研究所所長、東京・生と死を考える会副会長の鈴木康明先生。これまで「死と悲しみから学ぶいのちの教育」「死別体験者のための分かちあいの会」「悲嘆カウンセリング」にあたられ、現在は精神保健福祉センター、日本カウンセリング学会等で「グリーフケアに必要な人材の育成」と「学校におけるグリーフケアの教員研修」に従事されています。このたびの大震災では気仙沼において被災者のケアに取り組まれていますが、かかわる側をいかにケアするかに直面しているそうです。
本研修も被災者支援を中心にグリーフケア全般に及ぶものでした。時代がグリーフケアを必要としていること、グリーフの奥深さとケアする側の資質の問題にあらためて目を開かされた思いです。先生はおよそ次のように述べられました。
グリーフケアはあたりまえのことをあたりまえに行う。きめつけや思い込みをしないで取り組んでいただきたい。グリーフとは自然で健康的なあたりまえの反応としてとらえること。たとえば「いつまでたってもこんなに悲しみが続いていて私は変ですか」という訴えがありますが、少しも変ではありません。先ずその視点を持つことです。決して弱く悲しい人達ではないのです。問題があるとすれば起きたことが異常であってその人はごく普通の方たちです。同情などしないでいただきたい、そこから始めてほしいのです。あわれで気の毒な人たちに対してのほどこしでは因ります。かかわるあなたと被災した人は同じ人、対等なのです。
自然で健康的だからこそ悲しいのです。しかし、グリーフは人格を破壊するようなすざましいエネルギーを持っています。そして百人百様であり決して比親しないでいただきたい、「あなたはあなたですよ、人とくらべないでください」と伝えてほしいのです。そして厄介なことに枠組みがありません。その場その場で判断することになります。
ケアとは何か。起きたことが異常でその人は何でもないとすれば、ケアするというより、もともと持っている自然回復力を活性化するかかわりが必要でしょう。自己治癒力を妨げているものを取り除いていくことです。こちらが主導権を持ってこうしなさいというよりも、あたたかく見守ること、そして個性の違いを認め理解した上で、悲しみ、苦しみに寄り添うことでしょう。
震災後の四月になって被災地に入りました。すべてがグチャグチャです。いま思い出してもふるえるような怖さかあります。それでも人は生きなければなりません。自分は何ができるかではなく、自分がここにいていいのかという思いでした。
遺族には二つの意味があります。一つは災害や事故などをくぐり抜け助かった人、生存した人です。
ある方は「自分は人とは逆に海に向かって走った、横に山が見え必死でかけ登った、ほかの人は命を落とした、不思議なことだ、皆が亡くなり自分だけが助かった、それには意味があるんだろう」と。本人が懸命に意味をつかもう作ろう、自分を支えようとしているのは素晴らしいことです。しかし皆が皆、そういうとらえ方ができるとは思えないのです。周りから助かってよかった、あなたの命には意味があると言われても、こんなに心苦しいのであればいっそあのとき流されてしまった力がよかったと思う人もいるでしょう。
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(次回へ)
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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