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日蓮宗新聞 平成23年11月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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85 | |
悲 嘆
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女優・夏目雅子。三十代から下の若い世代はその名を聞いても知らないかもしれません。
「瀬戸内少年野球団」「鬼龍院花子の生涯」など映画やテレビで輝いていた彼女が、二十七歳の若さで亡くなって二十六年が過ぎようとしています。美しく清楚なその容姿は、今なお脳裏に鮮やかによみがえります。
作家である夫の伊集院静氏が四半世紀を経た昨年になって、初めて「真っ白な壁・夏目雅子と暮した日々」と題した、出会いから別れ、そして残された日々について、手記を発表しました。ふたりの結婚生活はわずか一年余りという短いもので、死別後はしばらく荒[すさ]んだ生活を送られたようです。その手記の次のくだりは強く印象に残りました。
「人間の死というものは残った者に大きなものを与えます。特に親しい人の死はどこかに、自分の力が足らずに死なせてしまったと、悔やんでいる人は多いはずです。私もずっとその気持は消えません。それに親しい人の死は思わぬ時によみがえって人を狼狽[ろうばい]させます。
死んでしまっているのだから片付いてもよさそうですが、死ですら片付かないのですから囚ったものです」
身近な愛する者を亡くす喪失体験を作家の感性で捉[とら]え、「死ですら片付かないのですから困ったもの]という表現に、悲嘆の様相、その特性が示されていると思います。
配偶者や子どもとの死別は強く烈しい衝撃にみまわれます。それをひとりで背負いきれる人はそう多くないはずです。悲しみにからめとられ、自分がどのような状態にあるのか分からない人もいます。近年、深い悲しみと嘆きを癒す場として「分かち合いの会」が各地で開かれるようになりました。
私が関わる分かち合いの会は、参加資格が死別体験者(遺族)に限られます。会で聞く話はここだけ、他言しないというルール。お互いが聞き役となって、つらい思いを受けとめます。話すことを強制されることもありません。その場に身を置くことが耐えられなければ退席も自由、名前を告げる必要もありません。集う顔ぶれは毎回異なり、また四、五名のときもあります。会の進行役はいても指導者はいません。なかには講義を聞いて、悲しみの処し方が習得できると思って来場し戸惑う人もいます。
故人の思い出をなつかしく語り涙ぐむ人、思い出すそのことがつらいと訴える人、病名を告げずにいて、真実の会話ができなかったと悔む人、年齢、間柄、病気、事故など死別の背景によって語る内容は千差万別。死別して聞もない人から五年、十年を経た人までさまざま。うつむいたまま終始一言も発しなかった女性が、会が終わりスタッフに、「来てよかったです」と告げて帰ったこともありました。
「ここでは安心して涙を見せることができます」「この悲しみは私だけではないと知っただけでも、どこか軽くなりました」という感想や気づきを述べた人もいます。話が途切れる沈黙のときも、お互いに言葉なき思いが交わされています。重苦しい雰囲気を想像しがちですが、むしろ静かな安らぎがその場を包み込んでいます。
分かち合いは心に居座った悲しみを見つめ、他人[ひと]にその胸のうちを話すことによって、悲しみを解きほぐしていく作業といえます。
分かち合いの会にあって思い出すのは西欧の寓話。それは様々な心の苦しみを抱[かか]えて集った者同士が、その痛苦を訴え、次々とテーブルの上に苦悩を置くのです。やがてその中の一つを自由に選びとるというもの。その結果、手にしたのは誰のものでもない、自分が抱えてきた苦悩を再び持ち帰ることになったという話です。
人生において与えられるものにはすべて意義があり、そのことを問い続けるためにも自分が引き受けるほかありません。意味のある形で悲しみを消化することが、「立ち直る」ことにつながっていきます。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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