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日蓮宗新聞 平成22年9月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
71 
 弔 う まる8

夫婦死別のとき──
「いつかまた会える」
と言えますか?

 夫[つま]逝きて寝間の広さや夜鷹啼く    中村清子
 うなずいてくれる人欲し長き夜       柳 良子
 夫逝きて夫の大きさ夏の海        築樋たつみ
 日常の暮らしにいて当り前だった連れ合いが先立つことは、大きな衝撃をともないます。ことに夫婦二人だけの生活を続けていた場合、一人残された悲しみは深く、孤独感と寂寥[せきりょう]感にさいなまれます。連れ合いを失うことは生木[なまき]を裂かれるようなもの、また片腕をもがれるようだと訴えられたことかあります。このような思いは、その境遇に立ち至った者でなければ、決してわかるものではありません。何はともあれ残された者は生きていかなければならないのです。
 独り身となった哀しみと嘆きに遭遇し、その堪えがたい痛苦をなめながらも、主人がこのような辛さに身を置くことなく、私の方が後に残ってよかった」と述懐する人は少なくありません。また妻を見送って同様の感慨を訴える夫もいます。そこには互いを思いやる夫婦の形と心を感じとることができます。
 夫婦の縁は不思議なもの。偶然の出会いという受け止め方もありますが、仏教ではものごとは因縁により生起するものとし、前世からのつながり、約束事という意味から「宿縁」といいます。
 また夫婦になることを「二院を契る」「二世を結ぶ」といい、現世(今生[こんじょう])はもとより来世ばかりか、未来永劫に変わることのない男女の誓いを表します。若い人なら「永遠の愛を誓う」ことになるのでしょう。日蓮聖人は「是[こ]れ偏[ひとえ]に今生計[ばか]りの事にはあらず。世世生生[せせしょうじょう]に影と身と、華と果[このみ]と、根と葉との如くにておはするぞかし」(兄弟鈔[きょうだいしょう])と述べています。
 新盆の棚経[たなぎょう]を終え、Aさんと来世で夫に再会する話題になりました。「本当に会えるんでしょうかねえ」「私のことを思って待っててくれるかしら」「浮[うつ]り気の主人だから、向こうで女の人をつくってるかも』などと言いながら、言葉の端々に亡夫によせる思慕の情が感じられたのです。そこでAさんに「来世また夫婦となってね花月夜」のほのぼのとした一句と、若くして夫を亡くし農事に励みながら、遺された幼子を掌中の珠の如く、懸命に育てている若い母親の手記を紹介しました。
 すでに夜半になっています。傍で寝息をたてる子等の顔をながめ、亡き夫への思いを切々と綴っています。印象深いのは「いつの日かあなたに、“よくがんばったなあ”とひとことおっしゃって頂けるのを楽しみにがんばってまいります」というくだりです。いつか訪れるであろう再会を確信して、その日を期する夫への契りと、子を想うがゆえの強固な母の情念に心打たれたのです。
 無常の世であれば「どちらかが必ず座る通夜の席」で、死が夫婦の間を別つときが到来します。愛が深ければなおのこと、死別の悲嘆はいっそう大きなものになります。愛は喜びでありまた悲しみです。しかし、心ゆたかな二人の思い出はその悲しみを内側から支えてくれるはずです。
 日蓮聖人のご消息[しょうそく](手髪)を拝すると、上野殿後家尼[うえのどのごけあま]また母尼[ははあま]と呼ばれた上野殿(南条氏)の妻、阿仏房[あぶつぼう]の妻である千日尼[せんにちあま]、また妙法比丘尼[びくに]、持妙尼[じみょうに]など、夫や子を亡くし悲しみに打ち沈む婦人が多く見られます。日蓮聖人は深い共感、同苦の思いを寄せて共に涙し慰めて、彼[か]の世での再会とお題目による弔い(供養)が、悲哀に生きる支えとなることを願いました。
 持妙尼御前御返事[ごぜんごへんじ]は次のように結ばれています。「いにしへよりいまにいたるまで、をやこのわかれ、主従のわかれ、いづれかつらからざる。されどもおとこをんなのわかれほどたとへなかりけるはなし。(中略)ちりしはなをちしこのみもさきむすぶなどかは人の返らざるらむ。こぞ(去年)もう(憂)くことしもつらき月日かなおもひはいつもはれぬものゆへ。法華経の題目をとなへまいらせてまいらせ」
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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