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日蓮宗新聞 平成21年10月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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60 | |
臨 終
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安心は平素の信行の積み重ね
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どんな臨終にも法華経の徳
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新聞歌壇に次の一首を見て、眼が動かなくなりました。
「死ぬなんて初めてだから面白い」鶴見粕子と笑う弟
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近藤こずえ
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永田和宏氏は「姉の言葉も常人では言えないが、笑って応じる弟(俊輔氏)もただ者ではない。凄い知の姉弟」と選評を記しています。『鶴見和子病床日誌』(妹の内山章子・著)にある死の六日前の発言。弟は著名な哲学者です。未知の体験に期待を抱くことは誰にもあります。しかし、こと死に関しては不安に戦[おのの]く方が先でしょう。
入院中の父の傍に、長女(姉)と長男(弟)そしてその母が寄り添っていました。弟が「お父さん、今日は大切な話をしたい」と切り出し、「お父さん、死んでいく覚悟はできている?」とさりげなく聞きました。
しばらくして父は「できているようで、できていないような」と答えました。そして「何もしなくてよいから皆が傍にいてほしい、眠るように逝ける気がする」と返してきました。さらに「会っておきたい人はいないか」と尋ねると「家族と話せるだけ話したい、それが一番いい」と応えました。姉と弟は仏教徒。死後について書かれた本も読んでいました。弟はあたかも見てきたようにその一部を話し始めました。「いよいよあちらへ行くようになると、意識というか魂が体から出たり入ったりして、向こうへ行く練習をするらしいよ。また、お父さんがベットに横たわっている自分の姿を眺めるかもしれない。ひょっとして家に帰っていて、親戚が集まり、自分の写真が祭壇にある光景を見るかもしれない。その時は死んだんだと自覚して、次の世界へ行ってほしい」とまで話しました。父は「ほうか、ほうか」と聞いていました。
後日、姉は「八十を超えていたのでこのような会話が自然にできたと思います。弟が心残りはないか、望むことは何かと尋ね、その最期の願いを聞き入れ、父は父なりに看取られる心得を持てたと思います。そして父の望みどおりの臨終を迎えることができました」と語りました。
映画「おくりびと」の一シーンを想起します。それは銭湯の女主人が急逝、火葬場の炉を前に、常連客であった火夫が彼女の息子に述懐する場面です。
「つくづくこの仕事を続けてきて思うことは、死は門だな。死ぬっていうことは、終わりってことではなく、そこを通り抜けて、次に向かうまさに門です。私は門番として、多くの人を送ってきた。いってらっしゃい、また会おうのと言いながら」。原作の『納棺夫日記』を著わした青木新門氏が自らの死生観を彼の口を通し言わしめています。
「安心[あんじん]」は「知」によって得るのではありません。「信」の一念によって信得するのです。ここに凡愚の私たちに救いの門が聞かれています。「仏教の門を以って三界の苦、怖畏[ふい]の険道[けんどう]を出でて、涅槃[ねはん]の楽を得る」(譬喩品)と。
お題目を唱えていた農家のお婆さまが、何ら恐れることなく「さようならだよ」と言いながら従容として死に赴いていく、また、お爺さまが「お前達は気をしっかり持て」と家族を力づけ、毅然とした姿で瞑目したという話も聞きます。何ともうらやましい臨終です。
信行会で臨終正念を説く私自身が、どのような臨終を見せることになるのでしょうか。
お題目どころか、前後不覚で生死もわからぬ臨終かもしれません。しかし、それでもいいのです。
日置聖人の「法華経を信ずる者は設[たと]ひ臨終の時、心に佛[ほとけ]を念ぜず、口に経[きょう]を誦[じゅ]せず、道場に入らざれども、心無[な]くして法界[ほうがい]を照し、音[おと]無[な]くして一切経[いっさいきょう]を誦じ、巻軸[かんじく]を取らずして、法華経八巻を拳[にぎ]る徳[とく]之[こ]れあり。」(『守護國家論』)というお言葉に安心[あんじん]を覚えます。ただし、平素の信行の積み重ねによってのみ得られる果報です。お題目を唱えようではありませんか。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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