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日蓮宗新聞 平成21年8月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
58 
 臨 終 まる6

法華経を知己友人に──
宮澤賢治最期≠フ生き方

 塵点[じんでん]の劫[こう]をし過ぎていましこの
 妙[たえ]のみ法[のり]にあひまつりしを
 身延山の三門を抜け菩提梯[ぼだいてい]の石段へ到る道筋、小さな橋のほとりにこの歌碑が建っています。「雨ニモ負ケズ」の詩で親しまれる宮澤賢治が病床で綴り、死後に発見された「最後の手帳」の紙片に記されていたものです。塵点劫[じんでんごう]という途方もない長い長い時を経て法華経に出遇うことができたという無上の喜びを歌いあげています。
賢治が花巻農業高等学校退職後に設立した「羅須地人協会」を復元した「賢治先生の家」(同校敷地内)。協会には農学校卒業生や農村青年たちが集い、賢治の講義や農業相談など多彩な活動が行われた
 この歌碑が賢治の妹しげさんの手で除幕され、身延山八十六世藤井目静法主さまにより開眼供養が営まれたのは、昭和三十八年十月のことでした。その数日前、法主さまが随身の学生達に宮澤賢治に関する本を持っている者はいないかと問われました。たまたま私に『宮沢賢治と法華経』(普通社、既に絶版)があって、しばらくの間お手許に置かれました。法主さまが万年筆で誤植を訂正され、古びて赤茶けていますが、今も宝物のように書架に置いてあります。
 賢治の生涯や業績、法華経との出通い、そして父との信仰上の対立などについて触れるスペースはありません。ここでは『宮沢賢治と法華経』の記述にもとづいてその最期の生き方をご紹介します。
 昭和八年(一九三三)、三十八歳。岩手・花巻の鳥谷崎[とがやさき]神社の祭礼の頃、病は小康を保っていました。九月十九日の夜は母が案ずる中で、山車や神輿を拝礼するため門口に出て立っていました。三日間の祭礼が終わったこの日、絶詠となった次の二首を残しています。
 方十里稗貫[ひえぬき]のみかも稲熟れて み祭三日そらはれわたる
 病[いたつき]のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし
(稗貫は故郷の稗貫郡。くちんは朽ちん。みのりは御法で法華経をさす。)
 翌二十日の夜はひとりの農夫が訪れ、稲作や肥料の相談を受け、家人の心配をよそに病をおしてねんごろに応対をします。その夜、弟の清六氏が床を並べて休みますが、電灯を見つめて「こんやはばかに電灯が暗いなァ」と声をかけています。
 二十一日午前十一時半。二階の居室からりんりんとしたお題目の声が聞こえ、家族が階段をかけ上ると、床に端座し合掌してお題目を唱える賢治の姿がありました。
 父が「賢治、今になって何の迷いもながべ」とよびかけると「もう決まっております」ときっぱり答え、父は言い残したいことはないかと、母に巻紙と硯箱を持ってこさせます。賢治は国訳の法華経千部を印刷し知己友人にわけてほしいことを告げ、お経の後ろに「私の一生の仕事は、このお経をあなたのお手許にお届けすることでした。あなたが、仏さまの心にふれて、この上なき、正しい道に入られますように、ということを書いてください」と伝えました。父が賢治に向かって「立派だ」とほめると、弟の清六氏に「お父さんにとうとうほめられたもや」と言い、心から嬉しそうだったといいます。父や弟妹が昼食に下った後、母に吸呑の水を求めて、おいしそうに飲みました。「ああ、いい気持だ」と自ら、オキシフルを含ませた消毒綿で手から首、体を拭くと横臥して、再び「ああ、いい気持ちだ」と言いました。母が階下に降りようとして振り返ると、眠りに入る人のようにオキシフルの綿をポトリと手から落としました。母が「賢さん、賢さん」と呼びかけたそのときが、臨終でありました。賢治は花巻市日蓮宗身照寺に眠っています。一度訪れてみてください。
 聖トマス大学のホアン・マシア教授(神父、スペイン)は、毎年授業で宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」を取り上げています。「生命倫理のすゝめ」の講話で、ソウイウ者ニ私ハナリタイ」とありますが、仮に「そういう人に皆さんなるべきだ」とあれば詩ではなくなります。「そうありたいものです」「なかなかそうなれない私たちですが、努力しようではありませんか」「それにはどうしたらよいのでしょうか」と考えるところが人としての道ですと述べています。
 お題目をいただく私たちにとって、最期はこうありたいと願うこと、そのためになすべきこととは何でありましょうか。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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