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日蓮宗新聞 平成21年4月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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54 | |
臨 終
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「おくりびと」もやがて「おくられびと」
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死にゆく姿は最後のメッセージ
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四年前の五月のこと、Sさんのお婆さまが九十六歳の天寿を全うされました。その臨終に周囲は驚いたものです。
若くして夫に先立たれ、残された四人の子を育て、舅姑を看取るなど、苦難にめげず懸命に生きてきた老婦人です。家は酪農を営んでおり、丈夫なお婆さまは九十を超えても家族の手助けにと、這うようにして畑や家の周囲の草取りをしていました。
昼下がりのことです。家族に「わしは明日逝くでな。長いこと世話になった。あとはたのむなぇ」と語りかけました。三度の食事もいただき、普段と変らない生活にお婆さまの言葉を誰が信ずるでしょうか。「そう簡単にお迎えは来ないよ」と応えたといいます。ところが翌日、朝食を済ませたお婆さまが、自分の部屋の縁側で拝むようにうつ伏せになって事切れている姿を曾孫が見つけました。
家族は親しみを込めて「ばあば」と呼んでいました。息子は「えらいばあばた、伏し拝むように亡くなった先は、身延山の方角だ」と。牛飼いの作業を息子や孫娘にまかせるようになってからは、寺の年中行事に欠かすことなく参詣していました。「あらかじめ死期を知る」「成すべきを果し言うべきを伝える」ことを、絵に描いたようなお婆さまの臨終は関係者の語り種となりました。
いのちの極み、臨終。そのドラマは人さまざま、似たようでありながらみな違います。私たちの誕生はおおよそ似通うものの、その最期は「時を選ばす、所を定めず」です。
予測できる緩徐の死、突如やってくる死。枯木の倒れるような死、年若いまま逝く夭折。家族に看取られる死、孤独のうちに迎える死、安らかな最期もあれば、断末魔と呼ぶ息を引き取るまぎわの苦しみもあります。思うようにならない、願い通りに叶わないものの一つが臨終の有り様だといいます。それゆえにこそ人は最期の安らぎを求めるのでしょう。
人間の最期などわからない、なるようにしかならないと言う人がいますが、迷いを除き道理をさとる臨終の覚悟を養い、その日を迎えるまでの過程が重要なのです。こうありたいと切に願い、祈るところに大きな意味があるといえます。また成すべきこともせず、ただ延命を図ろうとするところに尊厳ある死はありません。
『これからの老い』(託摩武俊・講談社)を読みました。最終章は「自分の最後の姿を見せること」と題し、次のように結びとしています。引用がやや長くなりますがその一部をご紹介します。
「高齢者が自分の子どもや孫、あるいは親しくしていた人に最後に示すものは、死ぬときの姿であると私は考えている。どのような経歴の人の、どのような経過による死であっても、生を終える瞬間というものはきわめて荘厳なものである。
死にゆく姿を見せるということは、そこで生きることの意味、死ぬことの意味を考えさせることになる。お互いに好きであり、多くの共通体験や思い出がある場合には、そのときの感動はさらに大きくなる。
なかには長い病気でやせ衰えた姿を他人には見せたくないという人もいる。他人に対してはそうだろう。しかし子どもや孫、それにごく親しい人には、ひとりの人間の生命の果てる姿をみてもらったほうがいい」と。
「最後の姿を見せていく」の言葉に共感を覚えるとともに襟を正さずにはおれません。
どのような姿を後の者に残していくのでしょうか。またどのような臨終も、周囲に無言のメッセージを届けているはずです。見聞きし、また立ち合う臨終を他人事とみなしてはなりません。「臨終」それは送る者、送られる者にとってこの上ない大事。「おくりびと」はやがて「おくられびと」です。さて私自身の最期の姿は?お題目を唱えるほかはありません。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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