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日蓮宗新聞 平成21年1月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
51 
 看取りまる9

今日一日に祈りをこめ
 最善を尽くしていく…
お題目の力、限りなく大きなもの

 人は真の幸福を求めるために神や仏を拝し祈らずにはおれません。私たちには実に様々な苦悩があり、それらは幸福の妨げ、不幸のもとにもなります。どのような苦悩が生じても、それを解決する方法、また見方、考え方があれば人は救われます。いかなる境遇にあっても生きる意味を見出す人は幸いです。苦悩を克服する道や生きる力をもたらすものが宗教、信仰の力です。
 宗教とは何か。宗教学者の三枝充悳氏は「宗教とは、人間がみずからの有限性を自覚し、しかもその自覚を徹底した有限者(人間)のはたらき、そして、その有限性からの解放・脱出・救済・超克・超越を追求する有限者(人間)の営みである」と定義しています。
 神さま、仏さまどうかお助けください、病気を治してくださいという祈りだけでよいものでしょうか。どのような困難にも立ち向かう勇気と平静さをいただく祈りと誓いをたてたいものです。
 私の寺は市街地より総合病院へ向かう道すじをはさんで神社と並ぶ位置にあります。家族の病気平癒を願い、お堂の前で手を合わせていく方がいます。ある日、姉妹とおぼしき二人が入院中の父の祈願をしてほしいと訪ねてきました。病状を伺うと誰が聞いてもその死の近いことが想像されるものです。奇跡を願っているが、覚悟もしています。病気が冶るというより、苦しむことなく旅立ってほしい、父はもとより私たちも少しでも平穏な心でいたい、そのことを祈っていただきたいというものでした。鬼子母神さまのご宝前に案内してしばらく読経祈願を申しました。覚悟のほどを尊く思うこと、一日一日が貴重であり、出来る限り傍にいてほしいこと、苦しみが軽くなるよう共に祈ることを伝えました。
 看取る者は、先々を思い悩むより今日一日に祈りをこめ最善を尽くしていく、それが心残りのない看取りにつながります。心を尽くすとき、支えとなるのは祈るこころです。祈るという行為は看取る者を内から支えます。
 「祈り」それは看取られる側にとっても重要なことです。他者の幸せを祈るという点において、それは何にもまして尊いものです。「何もできなくてごめんなさい」という人がいますが、そんなことはありません。何もすることができなくても、親ならは子のために、最愛の家族のために祈ることができるはずです。その祈りは重く、つらい思いを抱いている周囲の気持ちを軽くし、また看護の日々を明るくするものです。病床、看取りの場も修行の道場。在宅なら、遠慮なくお題目を唱えることができます。お題目をすすめてください。父が唱えて息子が唱和、また、姑が唱え、嫁がその声に和したという家庭があります。お題目はあらゆる思いを浄化し、私たちを包み、安らぎと力をもたらします。寺の信徒の先達として日曜勤行の会をリードしたMさんのことが思い出されます。信行を重ねて教学に精通し、また歌人でもありました。病床を訪れると常に日蓮聖人のご遺文について問われ、求道者の立場を最期まで貫きました。病室でも祈ることを欠かさず、ナースステーションでは「ナンミョウホウレンゲキョウのおじいさん」と呼ばれ、その祈りは「お父さんは観音さまになる、みんなを見守るからな」という言葉に凝縮され、娘たちに伝えられました。私たちには、体のいのちと心のいのちがあり、移ろい、滅びていくのが体のいのちです。心のいのちは決して滅びることはありません。
 私たちは幸いに法華経・お題目という、心のいのちを養う手立てを持ち合わせています。お題目の力、その功徳、真価は凡夫の私たちが考える以上に限りなく大きなものです。釈尊ご自身が「此の経(法華経)の功徳を説かんに、なお盡(つ)くすこと能わじ」(神力品)と述べている通りです。
 お題目はどのような定め(運命)も積極的に受け入れる力をもたらし、苦しみをあやつる心の技をみがいてくれます。日蓮聖人はお題目の意味を知らなくても「小児乳を含むにその味を知らざれども自然(じねん)に身を益(やく)す」(四信五品鈔)と述べておられます。お題目に生き抜く力と安らぎをいただこうではありませんか。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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