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日蓮宗新聞 平成20年11月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
49 
 看取りまる7

人は死に直面し、いのちに目覚めます
  看取る者、看取られる者が
最期のステージをどう生きるか  

 看取りに関する二つの話題を紹介します。
 先年のことです。家族と近親者のみで執り行った葬儀がありました。初めて会う方々でした。兄と妹二人の三人がよく心を配り、力を合わせて父を送りました。ただ母親と覚しき人は一歩引いた様子が見受けられ、いぶかしく思いました。会話の中で、父母は十数年前に離婚し、子供たちは父とも母とも交流を重ねてきたことを知りました。そして父の余命が告げられたとき、兄と妹は相談して、父の病室へ母を連れてきました。これが機縁となり、その後の三月余りを母子四人で病床を見舞い、看取りをはたすことができたのです。
 夫婦としての両親の暮らしや離婚の原因が何であったかわかりません。また最期に父と母がどのような言葉を交わしたのか知りません。そこまでは聞きませんでした。兄は子供として、父の臨終に母が立ち会い、こうして葬儀に参じてくれたことは本当にありかたく、うれしいことでしたと話しました。
 過去には愛し合ったときがあり、三人の子をなした両親です。私はさまざまな思いを超えて、子供たちの父である元夫を看取った母に心を動かされました。「お母さん、母子でお父さんを見届けることができ何よりでしたね」と声をかけると、二度、三度うなずかれました。父と母と子のそれぞれの看取りのドラマ、その心中に思いを寄せたのです。
 小さな葬儀でしたが、忘れられません。悲しみを分かちあう母子の背にぬくもりを感じました。
 ターミナルケアの研修で傾聴ボランティアの女性から聞き及んだことです。プライベートなことに触れるため一部事実を違えて綴ります。
 Aさん(患者)は七十代の男性、ガンに冒され、別れの遠くないことを互いに知っていました。長らく病院を訪ねており信頼関係が築かれていました。二人だけになったときです。「死ぬまでに、できたら成し遂げていきたいことがある」とAさんが口を開きました。その事情とはおよそ次のようなものです。
 いまの妻と出会う以前、まだ二十代のころ。愛しあったBという女性と同棲し、女の子が生まれました。しかし、事情があって彼女を裏切るような形で縁を切りました。若気の至りといってしまえばそれまでかもしれませんが、母子の人生に大きな痛手を負わせてしまい、悔恨の思いがつのるばかり。このままでは死んでも死にきれない、許されることなら、最期に詫びの一言を述べたい。何とかならないだろうか。
 胸の内を明かされボランティアの女性は、どこまで関わっていいものか戸惑いました。するとさらに、いまの家庭は壊したくない、どうか内密にと添えられました。彼女は、恐らくこれは最後の願い、何とか叶えてあげたいと考えました。
 しかし、どこに住んでいるかわからず、手がかりはなく途方にくれました。それでもかすかな記憶をたどり、昔の職場の同僚からさらに幾人かの人を介し、Bさんの娘の住むマンションが判りました。しかし娘さんは「母はもう会うことはないと思います」と拒否したのです。それでもあきらめず懇願し、母であるBさんの住居を知ることができました。
 Bさんは死の床の切なる希望と聞いて心を動かされ、再会に同意しました。ボランティアの女性はBさんを、病室へ迎え入れ、あとは二人だけの大切な時間とその場を辞したということです。
 二人はどのような思いを抱いて再会したのでしょうか。何を語りあったのでしょうか。読者の皆さんと推察するほかはありません。その後、娘さんとも面会を果たしたAさんは、数日を経ずして安らかな臨終を迎え、旅立っていきました。その後に、家族はことの経緯を知り、異母姉妹・弟そろって父の墓参ができたということです。
 人は死に直面しいのちに目覚めます。人生を回想し、大自然との関わり、人との絆に深く思いを至らせます。有終の輝きのために看取る者、看取られる者が最期のステージでどう生きるか問われています。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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