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日蓮宗新聞 平成20年1月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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39 | |
生と死
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最後の拠り所は
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家族の温もりです
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お題目に優る尊いものはありません
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前回はアルフォンス・デーケン氏(死生学)の「死の前になすべき六つの事柄」をとり上げました。
さらにアメリカのホスピス医、スコット・エバリィ氏の「死を迎える心の仕事五つ」を紹介いたします。
@人生の意味を見直す A自分を許し他人を許す B「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える C「大好きだよ」と愛する気持ちを伝える D「さようなら」を告げる というものです。
Aはデーケン氏の「許すこと、和解することを身につける」と重なります。
四十九日の法要と墓参がすみ、会食が始まった席のことです。施主の夫人にとって、姑の供養の日です。
一年有余の在宅介護は、五十半ばの夫人が支えてきました。その間に嫁と姑が交わした言葉やエピソードを問わず語りに話し始めました。このようなときは、ほとんどよき看とりと別れができた場合が多いものです。
ある朝のことでした。食後のお茶を下げるために部屋へ入った夫人に、「お母さん、まあそこへお掛けな」と椅子をすすめました。孫たちの母親であり、お母さんと呼ばれていました。あらたまったその声にいぶかしく思った夫人が姑と向き合うと、「お母さんが家[うち]に来てくれてから、随分きついことを言ったよね。この家の人になってほしかったの。ごめんね」「あとはお母さんにおまかせ、もうすっかり安心しているの。いろんなことがあったけど、許してね」と手を合わせました。予期しない姑の言葉に思わず「おばあちゃん、私の方こそごめんなさい。至らない嫁で………」の一言が□に出たそうです。
あとは込み上げるものがあって言葉になりません。姑のベッドの布団に顔を埋めた夫人の肩に姑の手の温もりがありました。
法要のさなか、遺影に向かって、素直に手を合わせることのできる仕合わせに感謝しました、と。姑の言葉は夫人の心にいつまでも生き続けることでしょう。自らを許し、他を許し、こだわりから解き放たれる、身軽になることは、仏教でいう懺悔です。
朝刊の歌壇に次の一首がありました。
最期まで腕の時計を見ておりし国鉄マンが身につきし父
いのちの極みにあってなお生きてきた日常を見せています。至上命令は乗客の安全と正確な運行。大都会の朝夕のラッシュ、タイムテーブル(時刻表)の励行に心を砕いたことでしょう。職責を果たし、人生を全うしようとする父を思う娘のまなざしは、尊敬といたわりに満ちています。「育てたように子は育ち、生きたように人は死ぬ」のです。
人生の意味を見直す、少しずつ手放すことで思い浮かぶ話があります。
ひとりの男がいました。オレのものはオレのもの。人のものもオレのもの。ほしいものはくれ、くれと手を出す。そんな日常を送っていました。年老いてこの世を去る日が近づくと、あの世へは何ひとつ持って行けないと思い知りました。そこで身内に命じ、棺の両側に穴を開けさせ、腕を伸ばし、手を広げて死んでいきました。何ひとつ持っていけないのだと言いたかった男の意志に反して、集まった村人は、□々に見ろやい、死んでもまだ、くれ、くれと手を出しているぞ」と。寓話に出てくる男の最期です。
人は誰しも人生を振り返り、その意味を自分に問うのです。よりよき死は、よき生き方に根差します。急によい死に方を手に入れることは不可能です。棺から手を伸ばした男は、そのまま私たちの姿です。よきにつけ、悪しきにつけ、それまでの生を切り捨てることはできません。
ところで、私たちは何ひとつ持っていけないのでしょうか。そんなことはありません。お題目の功徳を携[たずさ]えていくのです。
日蓮聖人は、蔵の財[たから]、身の財より、心の財を積みなさい。お題目は後生を導く灯火であり、杖となり、柱ともなると示されました。
最期の拠り所、頼りとなるものは何ですか。布団の間にしのばせた貯金通帳ですか、証券ですか。それ以上に大切なものは家族の温もりです。またお題目に優る尊いものはありません。お題目の功徳を積もうではありませんか。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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