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日蓮宗新聞 平成18年11月20日号
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もっと身近に ビハーラ
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藤塚 義誠
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癒しと安らぎもたらし 力づけるもの
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心したい深刻な病気の場合
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今回から日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、長野県伊那谷「生と死を考える会」代表を務める藤塚義誠師(長野県大法寺住職)=写真=が担当します。
今回と次回は“見舞い”をする際の心がけについてお話します。
病気はわたしたもの生命を脅かし、心身を苦しめ、経済的不安を生じさせ、本人はもとより家族の人生まで狂わせます。入院や在宅療養中の見舞い人の訪れは、その生活に癒しと安らぎをもたらし、力づけるものです。
お見舞いの心得について考えてみたいと思います。
お見舞いといえば、仏教看護ビハーラ学会代表の藤腹明子先生が、信行会の講演でお話された一言が印象に残っています。それは「お見舞いに行かないといけないかなあ、後々のために行っておいた方がいいなあという、いわば自分のためのお見舞いと、本当に相手の気持ちを思う見舞いとでは、病人の感じ方は違ってくるように思います」という指摘でした。以来お見舞いに伺うときの自戒としています。
自分が病気のときにどのようなお見舞いを受けたいか考えてみます。自分の身に引き当てて見えてくるものがありそうです。
病状、間柄、親疎、高齢、若年、男性、女性、お見舞いの時期、時間帯、品物、べッドの上か、病人が歩けて談話室のお見舞いか、交わされる話の内容など。やはりお見舞いはケースバイケース、病人との関係をよく確かめて配慮するしかありません。
病室でとりわけ心したいのは、深刻な病気や予後不良で家族だけが承知していて、本人には告知されていない場合です。このようなときは細心の注意を要します。差し障りのない話題と偽りの演技をするしかありません。
立ったまま見下ろす姿勢は威圧感を与えます。椅子に座るか、腰を低くして、なるべく目の高さに近づいて話を交わします。正面から向き合うより、斜め九十度の位置が視線の逃げ場ができ、病人は安らぐそうです。
べッドや掛け布団の上に無闇に物を置きません。一声お断りして邪魔にならないところに置かせていただく。ベッドの上は病人の宇宙であり、領分です。
病人の体調にこちらが合わせ、発熱や激しい痛みの時は遠慮し、ナースや家族を通じメッセージを託します。病状は家族やナースステーションで聞くことができます。病人の方が見舞い客を気遣って、無理して応対し、回復をそこねたケースを聞きました。
病人は抵抗力が弱っているので、見舞う側が体調不良の時はさしひかえます。お見舞いの前にも後にも手洗いを心がけたいものです。当然のことながら、面会謝絶、面会時間など、病院の指示や規則に従うことは最低限のマナーです。
大部屋では、病人に関するプライベートな話題は要注意。誰が耳にするかわかりません。また、同室の人にも入退室の一礼や声かけ、会話の声量まで、いたわりの心遣いが欲しいものです。
急病で入院した場合や術後はしばらく静かにしてほしい時があります。また長引くような場合は人の足が遠のきます。そのような時期のお見舞いは喜ばれるものです。
心のこもった便りや一枚の絵手紙は、幾度となく読み返され、枕辺に飾られることもあり、足を運ぶだけがお見舞いではありません。
病人の家族も視野に入れてください。周囲が想像する以上に疲れています。親しければ「私にできることがあれば声をかけて」の一言。人手が不足なら家事や買い物などの手伝いを申し出てはいかが。手作りの一品料理やレトルト食品が届いてうれしかったという話も耳にしました。周囲からの支えは忘れられないものです。
次回は病人を見舞うときの会話について触れてみます。
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