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第11回「心といのちの講座」
「仏教とこころの深層 〜物語の心理臨床的意味〜」
Part 2 「キサー・ゴータミー尼の物語」
淑徳大学名誉教授
金子 保(かねこ たもつ)
平成27年1月30日(金)
於:日蓮宗宗務院(5階講堂)
スライド1(表紙)
ご参会のみなさま、またお目にかかれまして、ほんとうにうれしく思っております。さて、本日は、昨年11月18日の「鬼子母神の物語」に続きまして、「キサー・ゴータミー尼の物語」と題しまして、講師を務めさせていただきます。よろしくお願い致します。スライド変えてください。
スライド2(Part1/Part2)
ご承知のように、第11回「心といのちの講座」は、「仏教とこころの深層〜物語の臨床心理学的意味〜」をテーマといたしまして、本日は「Part 2 キサー・ゴータミー尼の物語」でございます。Part 1は、「鬼子母神の物語」でございましたが、それは「母性の否定的なネガティブな側面」が主題となっておりましたて、その否定的側面を鬼子母として知られている「鬼」の物語としてご紹介いたしました。当日のご質疑では、「鬼とは何か?」といたご発議もあったかと思いますが、私は「これは宿題だ」と思いまして、早速に、白川静の『常用字解』で調べました。『常用字解』の96頁、「鬼」の項を見ますと、「人は死んで人鬼になる。大きな頭の形がこの世の人の姿とは異なることを示している。「ム」はのちに加えられたもの。雲気(云)を示すものであろう。のちに魂の字となる。人鬼に対して、自然神を神といい、合わせて鬼神という。」とあります。また、臨床心理学の立場から河合隼雄は、講談社発行の『子どもの本を読む』の中で、「心と体を超えた第三の領域を『たましい』と呼んでいる」とありまして、鬼は「たましい」のような霊魂、霊性をあらわしていると考えられます。人間は何からできているのか? 私は、学生達には、「心」と「体」と、そしてこの二つを超越した「魂」の三者からできているのだ、と答えております。
さて、本日、これからご紹介いたします「キサー・ゴータミー尼の物語」ですが、鬼子母神の物語が母性の否定的なネガティブな側面を主題としているとすれば、キサー・ゴータミー尼の物語は、「母性の肯定的なポジティブな側面」が主題となっております。スライド変えてください。
スライド3(「キサー・ゴータミー尼の物語」の柱立て)
本日の講演内容の柱立てを申し上げます。最初に、「1.はじめに」、研究の機縁に関連して、「科学と物語の相違」が「説明と解釈の相違」であることを指摘しておきたいと思います。次に、「2.研究資料」ですが、1976年、昭和51年大法輪閣発行の木津無庵(編)による『新訳仏教聖典』(改訂新版)の第六編のうちのキサー・ゴータミー尼の項を使用します。これのほぼ全文を引用しながら、「3.『キサー・ゴータミー尼の物語』の概要」につきまして、この講演のために準備いたしました水彩画風の絵をご覧いただきながら、長者の嘆き、 キサーの悲しみ、対機説法、覚り、出家など、物語の展開に沿って、ご紹介いたします。「4.考察」では、愛とは何か、釈尊の対機説法、キサーの回復過程、ハッと気づくということ、両界曼荼羅にも、触れてみたいと思っております。そして、「5.むすび」となっております。スライド変えてください。
スライド4(研究の機縁)
私が、キサー・ゴータミー尼の物語に興味が惹かれるようになった機縁は、いろいろ考えられますが、今あらためて考えてみた時、私の母の名が、たまたま「金子キサ」と申しまして、「キサー・ゴータミー」の「キサ」でございまして、これが機縁になったと思っております。これは、私に限った話ですが、「キサー・ゴータミー尼の物語」を読むたびに、私は、私の母を連想してしまいやすいのでございます。スライド右の写真は、敗戦の翌年、昭和21年の夏、どういう事情があったのか? 自宅の庭先で町内の写真館の主人の出張撮影によるものです。背後のオイラン草が花盛りであったことをよく記憶しております。
私の母「金子キサ」は42歳で私を出産しております。高齢出産であります。また、私が35歳の時、77歳で亡くなっております。なぜ死んだのか? 脳梗塞が原因だったのですが、今でも、その説明で、私は、納得し切れずにおります。スライド変えてください。
スライド5(科学と物語:説明と解釈)
私事(わたくしごと)の話の続きです。なぜ、私は高齢出産で生まれたのか? また、なぜ、私が35歳の時、母は脳梗塞で死んだのか? 生まれた事実の説明、死んだ事実の説明、これはよくわかるのですが、いまだに納得できないことがございます。
科学は、事実を示して説明します。事実を示しての科学的説明はよく理解できます。しかし、我々の実生活におきましては、説明されても、納得できない事実があります。この場合、問題は科学的説明にあるのではないのでして、今、私が知りたいのは、事実と私自身とのかかわりについて、その意味について知りたいのです。河合隼雄は、臨床心理学の立場から、岩波書店発行の『ユング心理学と仏教』の中で、次のように書いております。
「自然科学では、個人と現象を切り離して研究がなされます。これに対して、この人は、個人と現象とのかかわりについて答えを要求しています。」と、このように書いております。私が知りたいと思うのも同じです。個人と現象とのかかわりをテーマにした物語が知りたいわけです。事実に関する科学的説明ではなく、私の母が42歳の時に私が生まれ、私が35歳の時に母が死んだという、その事実の意味に関する筋道だった「解釈」がほしいのです。私の母にまつわる、その事実は、私の生涯にとって、どのような意味があるのか? 河合隼雄は、岩波書店発行の『深層意識への道』の中で、次のように述べています。
「僕は自分の人生というのを『僕の物語を生きているのだ』と思っているわけです。皆、それぞれの物語を生きている。」と、このように述べています。昔、私が出会った乳児院の赤ん坊も、今、私が毎週出会う児童養護施設の子どもたちも、あるいは特別養護老人ホームの入居中の高齢者も、あるいはまた寺院に参詣・墓参においでの人々も、さらにまた道行く人々の一人一人も、皆、誰でも、それぞれの「物語」を生きております。
ところで、心理相談室を訪れるクライアントの多くは、「個々の人間がいかに自分の人生を生きるか」という問いを抱えております。それは、臨床心理学的な実際的な問いでありまして、これに答える物語は、仏教経典にも、多数見出すことができます。私が仏教経典に親しみ始めたのは、19歳の夏の8月、私の父の死がきっかけになったように思います。仏教に関する啓蒙書を手始めに、仏教経典をはじめとする関係の文献を渉猟していて、私は、死んでしまったわが子を抱えて放そうとしなかったというキサー・ゴータミーという古代インドの女性の物語を発見したわけです。スライド変えてください。
スライド6(研究資料)
スライドは本日の講演で使用する文献類でございます。臨床心理学あるいは臨床発達心理学の視座からの考察で使用するものでございまして、スライド左端に、キサー・ゴータミーが登場する『新訳仏教聖典』の見開きが映っております。この仏教聖典の460頁から62頁のわずか3頁ですが、キサー・ゴータミー尼の物語を読むことができます。本日は、これから、この3頁のほぼ全文を使用して、物語の概要を、私の解釈を差し挟みながら、ご紹介いたします。スライド変えてください。
スライド7(祇園精舎の遺跡)
さて、キサー・ゴータミー尼の物語の舞台は、釈尊在世の時代、中インドのコーサラ国シラーヴァスティー、漢訳の「舎衛城」であります。舎衛城は、仏教経典にも登場するプラセーナジット王、漢訳の「波斯匿王」と、その王子で後に釈迦族を滅ぼしたとされるビルーダカ王「毘琉璃王」の王国があったそうです。その舎衛城の南方、王の宮殿に隣接して、スダッタ長者が釈尊の教団に寄進したとされる「祇園精舎」があったとされております。スライドは「祇園精舎の遺跡」の写真です。わが国では、平家物語の冒頭の
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、聖者必衰の理をあらわす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
という、「平家物語」の冒頭の一節で有名な、あの祇園精舎でございます。わが子を亡くしたキサー・ゴータミーは、その祇園精舎で、釈尊の説法に親しく接したのでございます。スライド変えてください。
スライド8(キサー・ゴータミー尼の物語)
それでは、「キサー・ゴータミー尼の物語」に入ります。スライドは『新訳仏教聖典』からの引用ですが、「舎衛城には、波斯匿王が特に尼達のために建てた王寺という寺があった。吉舎喬答弥(キサー・ゴータミー)も、そこに住む尼の一人であった。」とあります。
「彼の女は、舎衛城の貧しい家の娘で、痩せ細っているために、人々は吉舎喬答弥(痩せたゴータミー)と呼んだが、前(さき)の世の善根(よきたね)によって、福徳(さいわい)に恵まれた女であった。そのころ、舎衛城に住む名高い長者(ものもち)で、かつ慳(お)しみの強いことで知られた或る長者に、ふとした機会に見いだされ、その長男の嫁に迎えられることとなった。」のでございます。それでは、「ふとした機会」とは、どのような機会であったか? スライド、変えてください。
スライド9(物語の発端:長者の嘆き)
「ふとした機会」とは、どのような機会か? 『新訳仏教聖典』からの引用を続けます。「それは、その長者(ものもち)が大事に蔵っておいた黄金(こがね)の延棒が、ある日調べて見ると、いつの間にかただの炭にかわっているので(1)、大いに驚いて、『これはひとえに、自分の福運(さちのめぐり)のないしるしであろう、もしこの炭を、福運(さちのめぐり)の多い人が見出せば、或はもとの黄金(こがね)にかえるかも知れない』、そう考えて諦めのなかに、執着(こころがかり)の思いから、その炭を籠に納めて、近くの市場にさらしておいた。」というのでございます。スライド変えてください。
スライド10(【解釈1】長者の嘆き)
さて、物語の途中ですが、引用文の中の、下線部1)「黄金の延棒が、ある日調べてみると、いつの間にかただの炭にかわっているので」という箇所についてですが、ここは、ちょっと解釈が必要ではないかと思います。この下線部の意味は、経済的に裕福になった長者の家では、だれ一人、炭の真価が分からなくなってしまった、ということではないかと思うのです。長者は、嘆きに嘆いていたのではないでしょうか? 昔、貧しい時代には、炭をおろそかに思う者は誰一人いなかったのです。しかも、その炭が黄金を生み出して、舎衛城一の長者になったわけです。ところが、長者になってみて、今、貧しい時代を経験しない若い世代は、炭をごみのように扱う、実に嘆かわしいことです。この長者の嘆きに、家族の誰一人、耳を貸す者はいない。長者はくどくどと、おそらく嘆きに嘆いていたに違いないのです。スライド変えてください。
スライド11(まあ、なんと沢山の黄金でしょう!)
ところが、長者にとって驚くべき出来事が起こります。『新訳仏教聖典』からの引用によれば、「すると一日、その前を通り過ぎたのが彼の女であったが、拙(つまら)ぬ籠に盛られた一杯の黄金が、店頭(みせさき)にさらしてあるのに驚いて、思わず「まあ、何という沢山な黄金(こがね)であろう」と呟いた(2)。これをものかげで聞いていた長者は、喜びのあまりに踊り出して(3)、のぞいて見れば果たして炭はもとの黄金(こがね)に立ちかえってきらきらと輝いて居る。長者はかつ驚き、かつその女の福運(さちのめぐり)に憬(あこが)れて、さては強いて請うて、ついにその長男の嫁とするに至ったのである。」というのでございます。スライド変えてください。
スライド12(【解釈2】長者の長男の嫁となった)
下線部2)の「まあ、何という沢山な黄金であろう」というキサー・ゴータミーの呟きの意味についても解釈が必要ではないかと思います。長者の家族の誰一人、長者の嘆きに耳を貸す者はいなかったわけですが、この危機的状況を打開するには、新たに、家族の一員として、炭の真価の分かる人を求めるしかない。そう考えた長者は、詰まらぬ籠に盛られた炭を店先にさらしておいたわけです。すると、まさかの出来事が起こります。「まあ、何と沢山の黄金だろう!」という呟き声が、長者の耳に聞こえてきたではありませんか。「喜びのあまり踊り出た」というのですから、それまでの悲嘆が、歓喜に変貌したのであります。キサーは長者の眼鏡にかなった女性であったわけです。長者はいわばリクルートに成功し、長男の嫁候補を発見したわけで、それで、嘆きは喜びに変わったのです。スライド変えてください。
スライド13(【解釈3】キサーの呟き声とエディット・ピアフの歌声)
下線部3)の「これをものかげで聞いていた長者は、喜びのあまり踊り出た」の箇所ですが、私には、フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの物語が思い出されます。それは、1935年、ピアフが二十歳の時のこと、生活のために街角を流していたピアフの「歌声」は、高級クラブの経営者ルイ・ルプレによって見出されたというのです。時代も状況も違いますが、貧しく痩せっぽちの娘、キサー・ゴータミーが、街角の店先の炭を見て、思わず放った「呟き声」は、舎衛城の長者によって見出されて、「強いて請うて」というのですから、強引に、無理を承知で、その長男の嫁として迎えられることとなった、ということです。実に、ピアフも、そしてキサーも「ふとした機会」が人生の転換点になったわけです。スライド変えてください。
スライド14(しあわせなキサー・ゴータミー)
スライドをご覧ください。幸せいっぱいの、母となったキサー・ゴータミーです。『新訳仏教聖典』によれば、「こうした奇(く)しき縁に導かれて、一夜にして富家(ものもち)の室(つま)になった彼の女は、夫からも愛されて、まことに平和な楽しい家庭(まどい)を結ぶこととなったが、そのうち、子供も出来て、家庭は益々その楽しさを増すこととはなった。」というのでございます。スライド変えてください。
スライド15(思いがけない出来事)
「ところが、こうした運(めぐり)のよい福運(しあわせ)な家庭にも、いつも幸福(さいわい)の風のみは吹いて来なかった。可愛ゆいひとり子が、ようようにして這うようになり、立つようになったころ、ふとした病がもととなって、ついに還らぬ旅へさらわれてしまった。」のでございます。実に、思いがけない出来事がキサーに降りかかって来たのでございます。スライド変えてください。
スライド16(キサー・ゴータミーの悲しみ)
キサー・ゴータミーは、この思いがけない事態の中で、どうなったでありましょうか? キサーは、『新訳仏教聖典』によれば、「冷たい骸を抱いて泣き叫び、はては家人(いえびと)の隙をねらって戸外(かど)に飛出し(4)、戸毎(いえごと)を訪れ道行く人を止(とど)めて、可愛ゆい嬰児(あかご)の助かる道を聞くのであった。彼の女はもう正気(こころ)を失っているのである。」という状態になったのであります。スライド変えてください。
スライド17(【解釈4】家人の隙をねらって戸外に飛び出し)
下線部4)の「はては家人(いえびと)の隙をねらって戸外に飛び出し」という箇所についての解釈ですが、なぜ、キサーは家人の隙を狙ってまでして、戸外に飛び出して行ったのか? おそらく、わが子の亡骸を抱きしめて離さず、泣き叫ぶキサーに、夫は慰めたに違いないのであります。「子どもは死んでしまったのだよ」と涙ながらに話して聞かせたにちがいないのであります。繰り返し、繰り返し、夫は言い聞かせたはずです。夫の涙声が聞こえる。しかし、その声もキサーには届かなかったのであります。家の人は誰も、キサーが我が子の亡骸を抱えて放そうとしない、その本当の意味がわからなかった、と思うのです。スライド変えてください。
スライド18(気の狂ったキサー)
『新訳仏教聖典』に戻ります。「人々は憐れには思うが、既に息絶えたものを蘇らせる術(すべ)もないから、ただ同情の涙を与えるより外なかった。それから幾日(いくひ)か、憐れに気の狂った彼の女の姿の、巷(まち)から巷へとさまようて行くのが、人々の眼を曇らせていた。」とあります。スライド変えてください。
スライド19(祇園精舎)
「ある日のことである。熱心な仏の信者(よろこびて)である一人が、とうとう見るに見かねて、彼の女を呼びとめて教えた。『妹(いも)よ、その子の病は重い、どうして世間の医者(くすし)の手におえるものではない(5)。ただ一人、ここにその病を癒したもう方がある、それはいま幸に、祇園精舎に滞在(みとまり)しておられる御仏であらせられる』」。スライド変えてください。
スライド20(【解釈5】祇園精舎の釈尊)
下線部5)「その子の病は重い、どうして世間の医者の手におえるものではない」の箇所の解釈です。これこそ、対機説法の「対機」、キサーの心に対応した助言と考えられます。仏の信者は、この子は「死んでいる」とか、「亡骸である」とか、「埋葬しなさい」とか、いった助言や指図をしておりません。「病は重い」と言っている。しかも、「世間の医者の手には負えない」と、つけ加えております。キサーの身になって、思わず発せられた、この一言は、キサーのこころ、「機根」に対応した言葉であって、正気を失ったキサーのこころに届くものであった、と考えられます。仏教カウンセリングが注目すべき重要な要件と思います。スライド変えてください。
スライド21(釈尊の受容)
『新訳仏教聖典』に戻ります。「彼の女はこれを聞いて、もう救われたように踊り上がり、直ちに祇園精舎に馳せつけて、世尊にお遇い申して、ひたすら愛児(めでしご)の病を救わせ給わんことを、お願い申し上げた。世尊は、静かに彼の女のいう所を聞かせられ、やがて優しく仰せられるよう。」というのですから、釈尊は、直ちに、しっかりと受容されたのでございます。臨床心理学では、これを受容、アクセプタンス(acceptance)と申しますが、私はホールディング(holding)と言っております。あくまでも優しく、しっかりと受け止めること、ホールディングが、仏教カウンセリングの、これも要件であり、カウンセラーとしての基本中の基本の心得と思う次第です。スライド変えてください。
スライド22(釈尊の対機説法)
釈尊による対機説法が、本格的に始まります。釈尊は、次のように仰せになったそうです。
「女よ、この子の病は癒し易い、然しそれには、芥子の実を五六粒呑ませねばならない、急ぎ巷に出て、貰って来るがよい。」スライド変えてください。
スライド23(世尊はそれを制(とど)めて)
「彼の女は、余りに容易(ことやす)い仰せに、急ぎ立ち上がって巷へ駆けようとした。 世尊はそれを制(とど)めて、『然し女よ、その芥子の実は、まだ一度も葬式(とむらい)を出したことのない家、人の死んだことのないところに行って、求めて来ねばならない』と仰せになった。」というのであります。スライド変えてください。
スライド24(芥子の実を求めて)
「彼の女には、その意味(わけ)はとくと呑みこみかねたが、いま愛児の危急(さしせまり)の場合に、そのことを深く考えて見るほどの余裕はなかった。仰せを受けて、急ぎ巷に出て、戸毎家毎(いえごとやごと)に、芥子の実を乞うのであった。」スライド変えてください。
スライド25(ついに得られなかった!)
「けれども、奇(あや)しいことには、乞われて芥子の実をくれない家とてはただの一軒(ひとや)もなかったけれども、死人(しびと)があるかと聞かれて、一度も死人を出さないと答える家は、全城(まちじゅう)の隅々に求めてもついに得られなかった。彼の女は、最初は奇(く)しく思ったが、しかし次第に、その奇しげな意味が解けかけて来た(6)。」スライド変えてください。
スライド26(【解釈6】その奇しげな意味が解けかけて来た)
下線部6)「最初は奇(く)しく思ったが、しかし次第に、その奇しげな意味が解けかけて来た」というのですが、それでは、どのように解けかけてきたのか? その事情は、次のスライドに示されております。スライドお願いします。
スライド27(身に粟の生えるような戦慄を覚えた)
「人、生まれて死なぬものはない。家に死別(しにわかれ)の悲しみの訪れぬものはない。愛しき妻、可愛ゆきわが子、大切な両親(ふたおや)、頼り要の夫、いずこにも、人の世の悲哀(かなしみ)はつきせない。そして最後(しまい)は、その無常をわが身の上に受けねばならない。彼の女は、身に粟の生(お)ゆるような戦慄(おののき)を覚えた(7)。」というのです。スライド変えてください。
スライド28(【解釈7】ハッと気づいたキサー)
下線部7)の「身に粟の生えるような戦慄を覚えた」という箇所は、どのような意味でありましょうか?それは、鳥肌の立つような感動の経験のことでありまして、直観的に分かったということであります。キサーは、ハッと気づいたのであります。何に気づいたのか? 何が分かったのか? スライド変えてください。
スライド29(愛児の骸を墓場において)
「もう芥子粒を乞う愚かさを、続ける勇気(ちから)も消え失せた。仏の御語(みことば)を待ち受けないで、彼の女の心には、もう法(のり)の眼(まなこ)が開いているのである。」とあります。人は、生まれて死なぬものはない、という事実が分かったのです。死別の悲しみの訪れない者はいないことが分かったのです。しかも、わが子の死を直視する勇気(ちから)が湧いて来たのです。そうして、「そのまま、幾日かを抱き通して愛児(めでしご)の骸(むくろ)を墓場において、精舎(みてら)に急ぎ還って、世尊の御傍らに跪いた。世尊は、静かにこの有様を眺め給うて」、次のように問い給うた、というのでございます。スライド変えてください。
スライド30(キサーの出家)
「『愛児はいかが致した、芥子の実は求められたか』と問い給うと、彼の女は、御方便(みてだて)によって夢から覚め出ることの出来た喜びを申し上げ、何とぞ今日より以後、御弟子の一人に加え給う様にとお願い申し上げた。」というのでございます。スライド変えてください。
スライド31(悪魔の誘惑)
「かくて、はからずも御弟子の列に加わった彼の女は、つとめつとめて、次第に覚(さとり)の日に近づいて行ったが、ある日、悪魔(まがかみ)は、彼の女を誘惑(かどわか)そうとして、彼の女の前に現れて、歌うよう。」とあります。悪魔の誘惑とは、男性の修行者であれば、「妄念」に相当するものでありましょう。妄念の「妄」は、「亡き女」と書きますが、まさしく己が作り出した想像上の産物でありますが、そのエネルギーは強烈至極なものと言わなければなりません。スライド変えてください。
スライド32(悪魔誘惑の歌)
それでは、悪魔(まがかみ)は、どのように誘い惑わすのか? それは、甘く、囁くように、やがては力強く歌うように、偈文、つまり詩歌によって、歌いかけて来ます。それは、心の防衛機制(ego defense mechanism)を突破して、心の奥底にまで届きやすい、そうした内容と形式なのです。『新訳仏教聖典』によれば、悪魔の歌とは次のようなものであります。
「愛し子に、別れし汝よ、泣きながら、ただひとり、などやいる。森にとさまよい入るは、よきつれを、求むるならめ。」と、悪魔は歌います。森に走り行けば、夫はきっと待っている。夫のもとに走るこめば、可愛い子どもを再び抱きしめることができる、森へ、森へ、急ぎ走れ! というものです。スライド変えてください。
スライド33(【解釈8】悪魔誘惑の歌)
下線部8)の「悪魔誘惑の歌」は、それは、それは甘く、心地よく、魅力的で、修行の道を踏み外す危険に満ちております。しかし、キサー・ゴータミー尼は悪魔(まがかみ)の誘惑(かどわか)の歌に対して、決然として、偈文、詩文をもって、歌い返したのであります。スライド変えてください。
スライド34(キサーの歌)
キサー尼は、決然として、キッパリと歌い返した、その歌とは、どのような歌であったか?
「愛し子に別れたる 母の日過ぎぬ よきつれと いうものも無し 悲しみはせじ 汝をば 恐るることもなし なべて世の 仇(あだ)し楽しみは 消え失せぬ 闇を破り 悪魔の戦に勝ちて 悩み無く われ 静かに坐れり」 スライド変えてください。
スライド35(【解釈9】エディット・ピアフの「愛の賛歌」)
フランスのシャンソン歌手ピアフは、16歳の時に出会った少年と同棲し、長女マルセルが生まれますが、2歳で病没しています。後年、ボクシングの世界チャンピオンで、ピアフの最愛の恋人セルダンが飛行機事故で亡くなった時、ピアフは気が狂ったようにマルセルの名を叫び続けます。私は、エディット・ピアフの生涯の物語「ラ・ビアン・ローズ愛の賛歌」を映画館で鑑賞したのですが、気が狂ったようにマルセルの名を叫び続けるピアフの、実は、恋人の名前もまたマルセルだったのです。しかも、ピアフは気持ちを取り直して、劇場のステージに立ち、「愛の賛歌」を歌い上げますが、その場面は逆抗戦の中の後姿なのです。そこに、逆境をかろうじて切り抜けて、その後、名曲として世界中に知れ渡ることになる「愛の賛歌」が生まれた物語を読み取ることができると思うのです。奈落の底に引きづりこもうとする悪魔のエネルギーを、歌をもって断ち切ることができたのです。スライド変えてください。
スライド36(考察1「愛」とは何か?)
それでは、考察に入ります。考察しておきたいテーマは、いろいろと考えられますが、臨床心理学、臨床発達心理学の現場実践、とくに仏教カウンセリングの立場から5点選んで、考察します。まず、「愛」とは何か? キサー・ゴータミー尼も、鬼子母神も、ともに母性愛がテーマではないかと思います。その「愛」とは何か? 白川静の『常用字解』で「愛」を調べてみますと、興味深い説明を読むことができます。
「愛(アイ/いつくしむ・したしむ)■(あい)と心とを組み合わせた形。後ろを顧みてたたずむ人の形である■(あい)の胸のあたりに、心臓の形である心を加えた形。立ち去ろうとして後ろに心がひかれる人の姿であり、その心情を愛といい、『いつくしむ』の意味となる。」(白川静『常用字解』4頁)とあります。伏字■(あい)は、漢字の「愛」の中の「心」を抜いた形であります。(「旡」と「夊」を組み合わせた形。)
以上のように『常用字解』によれば、愛という漢字の成り立ちは、亡くなったわが子や、姿を隠したわが子に心が曳かれる人の姿でありまして、その心情が「愛」ということになります。それは、まさしく、キサー・ゴータミーと、キシモの、ともに子を思う母の心情を物語っております。すなわち、亡骸を抱いて街中をさまようキサー・ゴータミーの正気を失した行為は、わが子(=他)の病を治したい(=利)という、究極の利他物語であって、母性の肯定的側面を意味するものであります。これに対し、鬼子母神の物語は五百人の子どもを養うに事欠いて、他人の子どもを拉致して食料にするという鬼子母悪行の物語で、これは母性の否定的側面を意味するものです。いずれにしろ、姿を消したわが子を、あるいは姿はあっても死んでしまったわが子を、取り戻そうとする母性の何であるか、真髄、本質を示す物語でありまして、その母性には肯定・否定の両面があるわけです。しかし、大乗起信論の「風と水」の比喩にもとづけば、たとえ悪行を重ねた鬼子母であっても、わが子が一人でも姿を隠したなら、それまで静かだった水面が波立つように、激しく追い求めるわけでございます。ところが、風が静まれば、水の「動相」である波浪が消えますが、水の本性的様態である「湿相」は絶対に消えません。ちょうど、そのように母性の肯定的側面は水の本性的様態のごとく、消えることがないと考えられます。スライド変えてください。
スライド37(考察2 対機説法とは何か?)
次に考察したいテーマは、釈尊の対機説法とは何か? ということでございます。すでに、物語の中で解釈したテーマで、繰り返しになりますが、触れておきます。
「キサー・ゴータミー尼の物語」では、正気の人は「人は死ぬ」という事実が真実として受け止められますが、正気を失ったキサーには、当初、愛するわが子の死が信じられなかったのであります。ここで、対機説法の「対機」の「機」とは、「器(キ/うつわ)」の意味でありまして、「素材、機根、器質」の意味であります。正気を失ったキサーの「機」、器質とは「心の状態」と考えられるわけで、それに対応した言葉は、死ではなく「生」であろう、と思われます。「熱心な仏の信者」は、「病は重い」といい、「世間の医者の手に負えるものではない」といい、しかも「その病を癒したもう方はいま祇園精舎に滞在中の御仏であらせられる」と確かな情報を与えています。
釈尊も、子どもは死んでいるとか、亡骸であるとか、埋葬しなさいとか、死を意味することばは避けています。あくまでもキサーの身になって、助言し、方便を、手がかりを提供しておりまして、キサーの心に届く言葉を選んでおります。
プラトンの対話編によれば、プラトンの師ソクラテスは、大工には大工の言葉を使って対話したと伝えられています。釈尊は「狂気のキサー」に対して、いわば「狂気の言葉」を使って語りかけたのです。また、出家したキサーの耳に、悪魔の歌声が聞こえてきたとき、キサーは悪魔の言葉、すなわちキサーも歌声をもって、いわばキッパリと歌い返すことができたわけです。スライド変えてください。
スライド38(考察3 対機説法によるキサー回復の体験過程)
3番目に、対機説法によるキサー・ゴータミーの回復の体験過程を考察します。キサーが芥子の実を貰って歩くうちに、法の眼が開けたというのですが、それは、わが子の死を受け入れることができるようになったということであります。そのプロセスは、興味深いことに、心理臨床の治療段階、回復過程と符合しております。それは、苦悩の再体験、苦悩からの解放、そして苦悩体験の再統合に至り、社会復帰が可能な状態となります。
まず、「苦悩の再体験(Re-experience)」では、キサーは芥子の実を貰って歩くとき、葬式を出したことのない家からもらってこなければならなかったわけで、ここがポイントかと思います。わが子の亡骸を抱えて歩くキサーを城中で知らぬものがない状況の中で、訪ねて来たキサーに対し、どう対応したらよいものか? しかも、「葬式を出したことがありますか?」と尋ねられて、思わず、わが身を振り返り、自身も幼子を亡くした体験を語りながら、泣き崩れる女性もいたに違いないと思うのです。キサーはその話を聞く度に、苦悩を再体験したに違いありません。しかも、泣き崩れる女性を目の前にして、キサーもまた泣き崩れたかも知れない。泣くこと、それは「苦悩の解放(Release)」の効果を生み出します。こうして、葬式を出したことのない家を探す中で、キサーには「苦悩体験の再統合(Re-integration)」の準備が整ってきたと考えられます。繰り返し食物を咀嚼して、自分の体内に摂取するように、苦悩の体験を反省する機会が繰り返し重ねられて、その意味の分かる瞬間がキサーに、突如として訪れたのです。それが、「粟の生ゆるような戦慄」の体験であります。ハッと気が付いたわけです。スライド変えてください。
スライド39(考察4 動物器官と植物器官)
「ハッと気づく」とは、どのような体験でありましょうか? 解剖学者・三木成夫(1925〜1987)は、築地書館発行の『内臓のはたらきと子どものこころ』の中で、「精神を支える二本の柱」について書いております。それは、「切れるあたま」と「温かいこころ」の二柱で、前者は「判断とか行為といった世界に君臨」し、後者は「感応とか共鳴といった心情の世界を形成」していると述べております。前者が解剖学用語の「動物器官」であり、後者は同じく「植物器官」の支配下にあるということになります。動物器官はこれを「体壁系」と申します。外皮・神経・筋肉の機能をつかさどり、植物器官は「内臓系」といって、腸管・血管・腎管の機能を支配しております。そして、体壁系の中心は「大脳」で、内臓系の中心は「心臓」であります。
ここで三木茂夫は仏像の光背に注目し、それが大脳と心臓を光源として輝き出していて、「はらわた」にこそ「ほんとうの実感」がある。「肚の底からしみじみと感じること」が生きていく上で基本中の基本であると述べております。スライド変えてください。
スライド40(奈良東大寺の大仏)
スライドは、奈良東大寺の大仏、盧舎那仏でございます。光背は、頭部と腹部の二か所を光源としておりまして、頭光と身光とあります。頭光と身光は、大脳と内臓に対応しておりまして、大脳には中枢神経系が、また内臓には自律神経系が格納されておりまして、前者は理知的な表層意識が、また後者は情意的な深層意識が対応していると考えられます。すなわち、「あたま」と「こころ」に対応していて、それぞれ「二つの半分」でありますが、どちらかと言えば、「こころ」が重要であります。スライド変えてください。4
スライド41(考察5 両界曼荼羅)
五番目になりますが、本日ご参集の先生方にはなじみ深い曼荼羅について、ユング心理学の解釈をつけ加えておきたいと存じます。それは、ハッと気づくこと、直観的理解に関連して、つけ加えておきたいと思った次第です。それでは、曼荼羅とは何か? 河合隼雄による培風館発行の『ユング心理学入門』(233頁)によれば、「曼荼羅とは、本質心髄を有しているもの」であって、「自己の象徴表現」であるとされ、「人間の心の内部にある全体性と統合性へ向かう働きの存在と、自己治癒の力の存在を感じずにはおれない」と述べております。また、ユングによれば、「マンダラは(第一に)保守的な目的・・・に役立つ。(第二に)創造的な目的・・・に役立つ。第2の面はたぶん第1の面より、より重要であろう。」(C.G.ユングほか/河合隼雄監訳『人間の象徴(下)』河出書房新社120頁)と書いております。キサー・ゴータミーの物語で、キサーは「身に粟の生ゆるような戦慄」を覚えたとありますが、それは、ハッと気づいたということでありまして、「ほんとうの実感」をともなった、直観的なわかり方であります。それは、回心の瞬間を意味するもので、この瞬間が訪れたのは、両界曼荼羅のうち、仏の慈悲力による救済の表現とされる「胎蔵界曼荼羅」の働きであって、心理臨床の観点からも重要ではないかと思われます。 スライド変えてください。
スライド42(中村元訳『尼僧の告白』岩波文庫)
最後に、本日の「キサー・ゴータミー尼の物語」の要約として、中村元(はじめ)による岩波文庫本『尼僧の告白』の注記によりますと、次の通りです。
「キサー・ゴータミー(Kisagotami)尼の告白は、人生の悲惨を物語っている。彼女は、サーヴァッティ市(舎衛城)の貧しい家に生まれ、やせていたから、キサー(やせた)・ゴータミーと言われていた。嫁して男子を産んだが、死なれ、その亡骸を抱いて『わたしの子に薬をください』といって町中を歩き廻った。これを憐れんだブッダは「いまだかって死人を出したことのない家から、芥子の実をもらって来なさい」と教えた。しかし、彼女はこれを得ることができなかった。彼女はハッと人生の無常に気付いて出家した。尼僧のうちでは、粗衣第一といわれた。以上のことは、一般の人々が経験する〈死〉についての反省であるにとどまるが、その告白は痛烈である。」(上掲書108頁)
スライド変えてください。
スライド43(むすび)
「むすび」です。下手くそな詩文のような、歌のようなもので、結びとします。読みます。
人は皆、それぞれの物語を生きている。
人は皆、意味志向的傾向をもって、生まれる。
姿が消えた、わが子を、地の果てまで探して歩くキシモ。
わが子のいのちを、返してほしいと、薬を求めて歩くキサー。
ともに、狂気のごとく、正気を失くし、駆けずり回る。
その母の心に届く言葉こそ、釈尊の言葉、対機説法。
その母の心は、末那識を超えた、心の中の心、奥深い心の心髄。
荒れ狂う阿頼耶識、魂の世界、光り輝く「いのち」のゼロ・ポイント。
それが仏教カウンセリングへの道。
キシモは多聞天に導かれて、釈尊が滞在する竹林精舎へ。
キサーは仏の信者に導かれて、釈尊の滞在する祇園精舎へ。
キシモは釈尊の介入が縁で、姿を消した愛児を求め、ホントの母となる。
キサーは釈尊の方便が縁で、芥子粒を求め、死別のない家を求め、ホントの母となる。
ともに、得たるは、智慧の眼。自利から利他へ、菩薩への道。 (スライド変えてください)
スライド44(ご清聴に感謝します。合掌)
カウンセラーも、カウンセリーも、ともに歩む、菩薩への道。
それが、仏教カウンセリングへの道。
わが身の悪行に、ハッと気づいたキシモ。
深い懺悔(さんげ)の中で、母の中の母となる。キシモ大善神となる。
人は皆、死ぬものであるという事実に、ハッと気づいたキサー。
わが子を埋葬して、釈尊の御弟子となる。キサー大菩薩となる。
阿頼耶識から噴きあがる、たましいの歌声が響き渡る。
金剛石のように光り輝いて、散華して舞い降りる。
それはカウンセリングを超えた、菩薩への道。
人は皆、意味志向的傾向をもって、生まれる。
人は皆、それぞれの物語を生かされている。
以上で、「キサー・ゴータミー尼の物語」をおわります。ご清聴に感謝します。(合掌)
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