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生老病死と向き合う あなたのそばに
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日蓮宗新聞 令和3年8月20日号
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平穏死・自然死を選ぶ
−最後の日々を、家族と共に−
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今田 忠彰
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残された日々を安らかに過ごしてほしい
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私が所長をしている訪問看護ステーションでは、がん末期の患者さんを担当することがしばしばある。「在宅で最期を迎えたい」との希望で、病院の緩和病棟などから退院をしてくるのだが、余命は1週間の時もあれば、1〜2ヵ月の時もある。
抗がん剤治療を受けて、疲れ切っての場合や、始めから抗がん剤治療を避けて、緩和治療を求める場合もある。
最近は「平穏死」「自然死」という考え方が広まりつつあるようで、始めから抗がん剤治療を望まない人が増えている感じがする。「平穏死」「自然死」という名称は不完全なもので、確かな定義はない。平穏死とは、抗がん剤治療など積極的な治療を行わないでの、死のこと。自然死とは、胃ろうなどの過剰な延命治療を行わない、自然な経過の先にある、死のこと。「尊厳死」とも言う。
しかし、何もしないわけではない。緩和治療は、着実に進歩している。
がん治療を専門にする医師に聞いても、抗がん剤治療は諸刃の剣で、多少の延命効果があるかもしれないが、吐き気や嘔吐、食欲不振など、さまざまな副作用がある。途中で、耐え切れずに、止めてしまう人もある、という。
一方、「平穏死」を勧める医師は、「平穏死」の目標は“命の質の向上と寿命を延ばすことにある。残された日々を、安らかに過ごしてもらいたい”という。確実に迫ってくる死期を前に、住み慣れた在宅で、家族と共に過ごす日々は、大切なものになるだろう。家族にとっても、掛け替えのない時間になる。
今日も、1人を見送った。両親は、親より先に逝った息子を、親不孝者などと言わずに、お疲れさま、と手を合わせた。
この1ヵ月半ほどは、長いようで短かった。私たちは、遺族へのお悔やみの言葉、クリープワークを忘れない。親は、自分たちの医療の選択が間違っていなかったか悩む。自分を責めることもある。何事も、最善はない。良かったですよ、と支持することにしている。
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(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク世話人)
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