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生老病死と向き合う あなたのそばに
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日蓮宗新聞 平成30年8月20日号
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消えない悲しみ
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吉田 尚英
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ともに涙を流し、笑う。分かち合って歩む
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大切な人との死別は、深い悲しみと苦痛をもたらします。落ち込んで気分が重くなる抑うつ状態が続き、「もっと優しくしておけば」「あの時の一言が…」と自責の念に襲われることがあるかもしれません。
そのような時にたとえ善意からでも「いつまでも泣いていてはだめ」「もう立ち直ってもいいころでは」などと声を掛けられると、回復したかのようにふるまわざるを得なくなってしまいます。悲しみを抑え込み、心を閉さしていると苦痛がさらに大きくなっていくことでしょう。
私か所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」では、自死で大切な人を亡くした方々と「分かち合いの会」を毎月開催しています。自死の場
合、遺された人は周囲の偏見や差別に傷つけられ、思う存分泣くこともできず、日常生活の中で心が開ける揚所がほとんどありません。亡き方のことを思うと、笑うことや楽しむことさえ、罪悪に感じてしまうともいわれます。
分かち合いの会では、同じような体験をしたからこそ共感できることを語り合い、ともに涙を流し、時には笑ったりして過ごします。そしてお互いの苦しみを理解し、認め合うことが、次の1ヵ月を生きていく力になっているように感じます。 「ときぐすり」という言葉があります。悲しみは永遠に続くものではなく時間が経つにつれて悲しみも癒されていくという意味で使われています。
しかし、分かち合いの会に参加する方々と接していると「大切な人を亡くした悲しみは一生消えることはない」という現実を知らされます。時間を経て身に着いたのは、悲しみへの対処方法だけで、悲しみの大きさそのものは変わらない。それでも「消えない悲しみ」が、亡き人の生きていた証であるならば背負っていくしかないという覚悟のようなものが伝わってきます。それはある意味で悟りに向かう道だといえるかもしれません。険しい道だからこそ、重荷を分かち合って歩むことが必要になるのです。
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(日蓮宗ビハーラネットワーク会員、自死・自殺に向き合う僧侶の会共同代表)
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