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生老病死と向き合う あなたのそばに
日蓮宗新聞 平成28年8月20日号
自死により命を絶つことについて
       どのように考えますか?
吉田 尚英

安心して悩むことのできる社会を目指し

 私が所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」では、会員の僧侶約50人に「自死により命を絶つことについて、どのように考えますか?」と問いかけをしました。さまざまな宗派の僧侶がともに活動する中で、「自死」についての見解や、その相違を共有したいと考えたからです。その結果を大まかに分類し、主だった意見を紹介します。

●自死の要因から
・自死念慮の激しいときは自己決定能力が正常に機能しておらず、きわめて危険だと思う。
・さまざまな因果関係によって追い込まれた結果、死を選ばざるを得ない状況になることは誰にでも充分にあり得る。
・脳が機能不全を起こしてしまう「うつ」による病死だと考える。

●援助の立場から
・良いとか悪いとかの判断はしたくない。死因としての差別も控えるべきだと考える。
・最期まで頑張って生き切ったことは尊重したい。
・一人の方の死にともない遺族の終わりのない悲しみと苦しみが始まる。遺族の方々の悲嘆の底知れなさを見聞きするたびに、何があっても生きていてほしいと思う。
・支援者が横にいて同じ場所から別の目線で周囲を見回すような相談活動は重要だと思う。

●仏教的見地から
・成仏、往生を軽々しく説くと「死んで仏になれる」「楽になれる」と思われるかもしれない。成仏には信心が前提である。信心の浅い自死念慮者に成仏を説く際は最新の配慮が必要だと思う。
・いのちは「自分のもの」ではない。仏から、親から授がったいのちを、自らの判断で絶ってしまうのはいかがなものか。
・全ては「空」である故、この世のあらゆる出来事・現象はさまざまな因や縁により顕現する。この因縁の加減によって状況は変化する。誰かに相談するなど新たな縁が得られれば、原因の1つが取り除かれ、解決の道が開ける。
・仏教の行動原理の1つは「輪廻の解脱」なので、自らも他者をも苦しめない行動を選ぶべきだ。遺族が大きな自責に永く苦しむという「業の輪廻」を防止するのが仏教の立場ではないか。

 仏教的見地にはそれぞれ相違はありますが、苦しむ人を救済したいという強い思いで結びついている僧侶の集まりです。お悩みのある方や活動に関心を持たれた方はホームページ(http://www.bouzsanga.org/)をご覧ください。
 (日蓮宗ビハーラ・ネットワーク会員、自死・自殺に向き合う僧侶の会共同代表)
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