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生老病死と向き合う あなたのそばに
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日蓮宗新聞 平成26年9月20日号
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人生の後始末
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今田 忠彰
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亡くなった後のことを考えていますか?
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今年のお盆の棚経に伺った時のことです。
80代独身の女性Aさんから、神妙な面持ちで相談されました。
Aさんは、勤勉な両親のもとで育ち、仲の良い親子で評判でした。年頃になると、おみ合いの話がいくつも来たのですが、「私かお嫁に行ったら、両親は誰が見るの」と、すべて断ってしまいました。月日が経過し、段々と両親が高齢化すると、両親の介護が始まりました。
献身的に介護をし、両親を最後まで看取りました。
晩年、自身も癌を患い、手術を経験し、長い闘病生活の末、加齢とともに体力に自信がなくなってきました。
そこで相談です。「ご住職さま、私はこの家を売って、施設に入ろうと思っているのです。そこで、お墓をどうしようかと悩んでいるのです」と。
自分の人生の後始末。こんな相談が多くなっています。
結婚しなかった人、結婚しても子どもがいない人。自分の後を託すことができるのは、幸せなことです。でも、子どもがいても、後を託すことができるとは限りません。自分の人生は自分で整理して行くんだと考えれば、少しは気持ちが楽になります。
色々と試行錯誤した結果、両親のお骨はお寺の無縁墓に入れることにしました。もちろん、Aさんも両親と同じ所に入ることになります。
次に、お仏壇はどうするか。お仏壇は仏具屋さんに引き取ってもらって、お位牌だけはお寺の位牌棚に預かることになりました。
お墓の整理とお仏壇の整理はAさんが自分でするとして、Aさん自身の葬儀や遺留品の整理などは、自分ではできないので、甥や姪に頼むことにしました。
お金で迷惑をかけることはないから、というAさんの言葉を信じて、甥や姪が承諾しました。
私も菩提寺の住職として間に入りました。かく言う私も、いつこの世を去ることになるかも知れません。ならばと、最近は、この類の話は、若い副住職を頼りにする方が増えてきました。
人生の後始末。血の繋がった身内に後を託すのではなく、契約で他人・業者に後を託すケースが増えてきています。
古い言い方かもしれませんが、日本人の感性として、桜の花のように、散り際は美しくありたい、と願うのでしょう。
幸い、私には後を託す弟子がいますが、日本人の美意識をもって、自身の散り際を美しくするべく、人生の後始末の準備を始めるとしましょう。
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(日蓮宗ビハーラ・ネットワーク代表)
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