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全国社会教化事業協会連合会
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短詩型文芸にみる死別の悲しみ
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日蓮宗ビハーラ・ネットワーク世話人
長野県大法寺住職 藤塚義誠
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人生は出会いと別れの二つに尽きるといわれます。齢を重ねるにしたがい、さまざまな縁に結ばれた人々との別れを経験します。人はまた死別の悲しみに向きあって、いのちのはかなさを知り、いのちのいとおしさに目ざめます。そして、別れの悲しみは人の心を強くも優しくもしてくれます。
私は少年期から俳句、短歌に関心がありました。住職になって仏教伝道協会主催の実践布教研究会に参加し、松原泰道師から「ポエム(一篇の詩)を味わいなさい、大事にしなさい、教化の場に活かせます」とご教示をいただきました。十数年前からはアルフォンス・デーケン氏(現上智大学名誉教授)の主宰する生と死を考える会に出会い、死別体験を話って悲嘆を分かちあう会や、愛する人を偲ぶメモリアルサービスの運営に聞わっています。活動の中で新聞、雑誌等の文芸欄の作品を共に味わいながら、悲しみを癒す機縁としています。これらは葬儀や中陰、年忌法話にも用います。
以下は「俳句朝日」一一二号、逝きし夫よ妻よ「つまを恋ふ」より拾い出したものです。亡妻、亡夫、夫、いずれも「つま」と読みます。
夢のごと一人身となり目刺し焼く 小川 辰也
髪刈ってくれし妻なき日向ぼこ 富士谷洋治
妻逝きて何んの余生ぞ枯尾花 南館 信也
捨てがたき九文七分の亡妻の足袋 小林 輝司
魂迎え亡妻の布団も干して待つ 日高 二男
似たひととみてふり返りたる薄暑かな 宮本 正男
亡き妻のたたみし折目更衣 中林 嘉也
年用意妻の遺影に尋ねつつ 小坂 武
仏壇の妻に味問う雑煮かな 石川 賢吾
まなうらに妻まだ生きて青さ踏む 藤田 茂雄
次の世も伴侶となさむ星月夜 深瀬 忠之
夫逝きて叫びたくなる春の宵 後藤 芳子
ハ畳の居間に一人の夜寒かな 尾関美称子
夫逝きて寝間の広さや夜鷹啼く 中村 清子
押し寄せる淋しさ粉雪舞っており 荒川恵美子
夫逝きて色なき風の重さかな 小野田京子
遺されてキャべツ半分買う夕べ 佐原カツエ
うなずいてくれる人欲し長き夜 柳 良子
秋灯や帰る人なき門を閉づ 小林 リエ
表札は在りし日のまヽ冬に入る 渡邊喜久江
亡夫打ちし釘へ背伸びし注連飾る 森 英恵
ふれる足なくて今年の冬炬燵 稲葉 茂子
仏壇を開く夏場所見せたくて 渡辺 いく
夫逝きて夫の大きさ夏の海 築樋たつみ
水仙を夫に手向けて凛と生く 武内 慶子
捨てきれぬ夫愛用の夏帽子 中村千代子
亡き夫の部屋の匂いや春の風 岸森 昌子
想い出に生きると決めて桐の花 斉藤とし子
夫の忌の夫を語りてあたたかし 坂本たか子
亡夫よりも生きるも供養石蕗の花 甲谷 佳子
「どちらかが必ず座る通夜の席」の川柳を見ましたが、夫婦の別れは生木を裂かれる思いだと訴えられたことがあります。死別の悲しみは経験者でなければ理解できない点があるものです。
悲嘆のプロセスには、ショック 喪失に気づく 引きこもり 癒し 再生 という段階があり、これを行きつ戻りつして立ち直っていきます。
グリーフケア(死別の悲嘆を支える)は宗教家がその役割を担ってきましたが、これからは葬儀社がカウンセラーを養成しとってかわろうとしています。ラジオでタレントの永六輔氏と医師の鎌田實氏が紹介した「よい坊主の十ヶ条」の一つに「死んだ人より生きている人を大切にする」がありました。また、新聞の投書に「僧侶は葬儀や法事で私達に背を見せるだけで帰ってしまう」という一文がありました。儀式の形骸化がグリーフケアにつながらないのでしょう。教師は死別の悲しみの理解と対応を学び、ビハーラ精神をもって檀信徒に向き合いたいものです。短詩型文芸による感動の共有は救いへの第一歩として役立つものと思います。
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