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(ハワイ開教時報 第271号 2006年3月)

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  ハワイ開教時報より
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研修修了を目前に
開教師養成研修生 高 崎 哲 堂

 長いようで短かった開教師養成研修が、残すところ数日となりました。おそらく、この開教時報が発送され皆様方のもとに届いている頃には、私の研修は修了し開教師研修生ではなく、開教師としての新しい生活が始まっていることと思います。と言うよりも、そのようになっていることを願っており、研修期間最後の最後で何か問題などを起こし、日本に強制送還させられるようなことがあってはならないと思っております。現時点では、研修修了後の予定は決まっておりません。このままハワイに配属、または違う国に配属、場合によっては研修を1からやり直しだったりと、忙しい研修生活に追われながらも、研修修了後のことをいろいろと想像してしまいます。
 私が初めてこの開教時報の記事を書かせていただいた時、ハワイに赴任してから五日目に集中治療室(ICU)で療養しているメンバーのお見舞いに行った経験を書かせていただきました。その時点では、そのメンバーのお見舞いがそれまでに経験したことのない、最も精神的に過酷な経験でした。しかし半年という時間の中で、それ以上の経験をさせていただき、それは私の人生の中で決して忘れることのできない日となりました。一月初旬、その日は平井先生がプウネネ教会に出張でしたので、別院には小川開教区長と私の二人でした。そして、ある一本の電話からその出来事は始まりました。それはあるメンバーの方からで、家族が危篤だと言う連絡でした。そのような電話の応対は初めてだったので、小川開教区長に応対を代わっていただき、指示を待ちました。電話の内容は、その日の朝に突然容態が急変したらしく、ICUに運び込まれ緊急処置を受けていたようですが、助かる望みがとても低いというので臨終正念のお経をお願いしますとのことでした。電話を終えた小川開教区長のお言葉は「僧侶としていい経験になるから行ってきなさい」でした。正直なところ、日本に居た頃でも臨終正念のお経や枕経の経験はなく、それに加え英語という言語の壁も私には大きなものでした。私一人でそこに行くことを考えると、一瞬にして体中が不安に包まれました。
 最初の不安は、病院に着く前から始まっていました。一人での病院訪問は初めてだったので、私の未熟な英語で無事にICUまで辿り着けるかが不安でした。しかし、ハワイ(米国)では様々な宗教の聖職者が病院を訪れるのは日常的なことなので、病院の受付の方が衣を着た私を見ると懇切丁寧に案内してくれました。ICUの前に着くと約20人の家族の方たちが私のことを待っており、日本語の話せる方が数人いたので、ICUの中を案内され緊急処置を受けているメンバーに会うことができました、その方にお会いした瞬間、私は言葉では言い表すことのできない感情に襲われました。助かる望みがとても低いと聞いていたので心の準備はしていたつもりでしたが、やはり冷静さを保つことはできませんでした。その方はすでに植物状態で、体中に呼吸を維持させるものなどのたくさんの管が付けられており、それらの装置によってかろうじて生きているということが誰の目から見ても解る状態でした。そしてすぐに担当医らしき人が来て、家族にこれから全ての装置を取り外すので一旦ICUから出て下さいと言ってきました。装置をはずすという事は、「死」を意味することでした。ハワイではもう助からないと判断されると、家族の承諾によって生命維持装置を停止するそうなのです。
 体中に付けられていた管などの生命維持装置がすべてはずされると、家族と私はICUの中へと戻りました。先ほどまでとは違い、すべての装置がはずされてすっきりした状態でベッドに横たわり、かすかに呼吸をしているようでした。私は家族が手を合わせる中、その方の横に立ちお経を唱えはじめました。装置をはずしたからと言っても、すぐに臨終を迎えるわけではありません。段々と呼吸と呼吸の間が長くなっていき、臨終へと向かっているということがはっきりと解り、私は溢れ出しそうな涙をこらえながら、お自我偈をお唱えしました。その時、小川開教区長の言葉を思い出しました。「一番大事なことは、手を握ってあげて心からお題目をお唱えしてあげること。」お自我偈を唱え終えると私はその方の手を握り、何遍も何遍もお題目をお唱えしました。その手はもう二度と動くことはなく、私にはとても重みのある手でした。お題目をお唱えしている時、その方は時々かすかな声で「うーっ」というような発声をしました。そのかすかな声はお題目に合わせるように発声されていたので、私にはその方がすぐにでも臨終を迎えようとしている無意識の中でも、お題目をお唱えしようとしているんだと思わずにはいられませんでした。そして、お題目、回向とすべてを終えた時、その方はすでに臨終を迎えていました。そして、親族の方たちが私に涙を浮かべながら「ありがとう」や「Thank you」と声をかけて見送ってくれました。充分な会話もできなかったはずなのに、感謝の言葉をかけてくれた親族の方たちには申し駅ない思いでいっぱいでした。
 半年という研修期間の中で、日本ではできないことをたくさん経験しました。特に印象深かったことが以上のような経験でした。私がハワイに赴任してからの半年間で、3回同じようなことがありました。オアフ島と言う小さな島の中にも、お題目、そして日蓮宗の僧侶を必要とする人がまだまだたくさん居ます。私のような弱輩の僧侶でも必要としてくれることに大変ありがたく思いました。今後もその時の気持ちを忘れず、国際的な布教活動に携わり続けたいと思っております。ご愛読いただいている各聖各位に於かれましては、海外布教活動について今後とも温かく見守っていただきたいと思います。そして更なるご指導ご鞭撻の程どうぞ宜しくお願いいたします。
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