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生老病死と向き合う あなたのそばに
日蓮宗新聞 平成26年10月20日号
輸血に代わるもの
村瀬 正光

医療界入だけが必要なものとは限らない

 私は僧侶で、医師として緩和ケア病棟で勤務しておりました。そこでの経験を、お話ししたいと思います。ご本人やご家族からは了承を得ていますが、仮名[かめい]といたします。
 伊藤花子さん、80歳代女性の方です。夫は亡くなっており、自宅では長男夫婦と同居。半年前に下血と腹痛の症状があり、大腸ガンと診断されました。積極的な治療は難しい状態のため、外来で医療用麻薬と定期的な輸血をしていました。自宅で過ごすことが困難となり、緩和ケア病棟に入院。病名は告知されていましたが、詳しい説明は家族の希望でされていませんでした。
 入院して数日後、長男が「輸血をしたりできませんか。本人には治らないことを告げていなくて、入院してから何もしていないことを母がどう思っているか考えると…。ここを紹介してくれた先生から輸血はもう意味がないと言われて、頭では分かっているのです
が」。
 「ご本人は、輸血を希望されているのですか」と私が確認すると、
 「分かりません。しかし、何かをしてあげたいのです。今のままでは母が辛いように思えて。家にいる時は、まだよかったのですが…」。
 「家にいる時は、どのようによかったのですか」と、私が質問すると。
 「そうですね、いろいろありますが、一番は一緒にお経を読んでいたことですかね。父が亡くなった後の母の日課で。一緒に読むと母が喜ぶのです。でも、病院ではお経も読めないし…」。
 部屋が個室のため、他の入院患者に迷惑にならなければ読んでよいことを私が説明すると。
 「本当に病院でお経を読んでもいいのですか。考えもつかなかったです。母も喜ぶと思います」と、長男は大変驚き、輸血の話はどこかに消えてしまいました。
 次の日、伊藤さんの部屋に伺うと、扉の向こうからお経が聞こえてきました。終わったことを確認して部屋に入ると、花子さんと長男が穏やかな表情で出迎えてくれました。
 終末期の積極的な医療介入が、患者の生活の質を低下させることもあります。よき臨終を迎えるために必要なことは何か、よく考えてみませんか。
 (日蓮宗ビハーラ・ネットワーク世話人、医学博士)
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