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日蓮宗新聞 平成21年2月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
52 
 看取りまる10

日頃からお題目を唱え
 死生観を養っておきましょう
法華経信仰に根ざした安心と尊厳ある死

 私たちは加齢とともに人生観を変えていくことがあります。ちょうど夏服が冬には合わないように、老境になれば、若く盛んだった頃と相違した見方、感じ方、捉え方をするものです。無宗教・不信心を誇示し宗数的な事柄にはまったく無頓着だった人から、神社仏閣の前に立つと自ずから手を合わすようになったと告白されたことがあります。まして避けがたい死が視野に入ってくれば、終末期の医療や介護、相続や遺言、葬儀や墓のことに関する話題が交わされます。
 人生を振り返って悔恨の情や罪の意識、死の恐れや死後の不安から宗数的なものを願い求めることがあります。またさまざまな困難を克服して、今なお命あることを喜びとなし、大いなるものに寄せる感謝の念を表す人も少なくありません。私たちは心の奥深いところで、いのちの拠りどころを求めているものです。
 看取られる側は看取る者に、常に関心を向け、訴えを心から聴き、苦しみやつらさを感じ、受け止めてほしいと思っています。看取る者は言葉の理解だけでなくその感情をくみとります。こちらが指示するよりも本人が望む道を選べるように働きかけます。
 Sさんは八十歳を超えて在宅介護を受ける身となり、寺参りも叶わなくなっていました。ある日、本人が話をしたいと言っていますので出掛けてきてほしいという家族からの電話です。会うのは久しぶりのことでした。体は弱ってもそれなりにしっかりした口振りでした。娘や家族に厄介をかけています、お寺には長いことお世話になり御礼の一言も述べたかったといいます。そしてぜひ戒名をいただきたいという希望でした。
 そこでSさんが歩んできた道を断片的でしたがお聞きしました。先立ったおじいさまと農事に励み苦労もたくさんあったが、子や孫達の成長を楽しみに何とかここまできました。案ずることはあるものの、安らかな最期を迎えたいと話す言葉の端々に、周囲への感謝の気持ちが感じられました。
 その後、日を改めて予修法号の授与のために伺いました。起き上がることは容易ではないというので横になったまま行うことにしました。Sさんのベッドからは次の間の仏壇が見えます。灯明を点し香炉を移動しSさんと家族が焼香して、自我偈とお題目を唱えました。Sさんが手を合わせ「今身より、仏身に至るまで、よく持[たも]ち奉る、南無妙法蓮華経」と一節ずつ復唱して、法華経の信を持つことを誓いました。
 お題目を唱え続けることが戒を持[たも]つことなのです。仏壇の引き出しに大切に納めてあった身延山の輪番奉仕で拝受した「霊山[りょうぜん]の契[ちぎり]」と法華経のお経本をかざし、御経頂戴の儀を行いました。
 日蓮聖人は戒名のことを法名といい、生前のうちに多くの信徒に授けられていること、法名は仏弟子となった信仰の証であること、Sさんの心がけの尊さを称え、法号の意味を説明させていただきました。よろこびを浮かべ差し伸べられた手を握ると、それはまぎれもなく節くれだった農婦のものでした。Sさんは純真な信をつちかいその生を全うし、家族に看取られて静かに霊山へ旅立っていかれました。
 介護や看取りの場で、本人が住職に会いたいと望んだとき、また本人に言葉をかけてほしいときはお知らせください。僧侶は檀信徒の皆さんの心に寄り添えるよう努めたいと考えています。
 法華経信仰の究極の安心[あんじん]は、肉体の身は移ろい滅びていくものの、その魂魄は仏の世界(釈尊の霊山浄土)に往き、仏になるのだという確信を抱くことです。これこそ絶対の安らぎでありましょう。送られるものはこのような思いで最期を迎え、また看取る側は別離の悲しみに耐え、身近な者を仏の世界に送り出し見送るのです。そのためにも日頃からお互いに臨終正念をめざし、お題目を唱え死生観を養っておきましょう。
 お題目は限りあるこの身を限りなき久遠の命に結び、看取り、看取られる者を生と死の境を越えて結ぶものです。そこに法華経信仰に根ざした安心と尊厳ある死(臨終)を見る思いがします。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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