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日蓮宗新聞 平成20年3月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
41 
 生と死まる6

よりよく活きるためにも
法華信仰の姿を継承
日蓮聖人のお言葉を深く味わいたい

 太陽と死は直視できないといわれます。太陽はともかく、自らの死と向き合う日が当来します。死に対する恐れや不安には次のようなものがあげられます。死に至るまでの苦痛、一人で立ち向かう孤独感、未知であることの不安、心地よい体験ではないという恐れ、すべてを放棄して生をまっとうできない不安、愛する家族や社会に及ぼすことへの不安、私がこの地上から消え失せること、死後におもむく世界への不安などです。
 誰しも安らかにこの生を終えたいと思っています。宗教学を東大で、医学を千葉大で修めた村尾勉氏の著した『死を受け容れる考え方』(人間と歴史社)があります。死を安らかに迎えるための五ヵ条が提示されています。
一、自分がこの世に享[う]けた生の任務を充分に果たすこと。
二、自分がやがてあとにするこの世に、気にかかるものが何もないように始末しておくこと。
三、自分の死後、自分の仕事を引き継いで立派にやってゆく後継者を養成しておくこと。
四、身体を大切にし、なるべく長寿を保ち、死ぬときは老樹が枯れるように生を終えること。
五、心の痛みをつくらないこと。
 これらを思うと、老境に達している場合は別にして、年若く、また壮年の齢で死に臨まなくてはならない心はいかばかりでしょう。人としてこの世に生まれ得たこと、これまで歩んだ人生の意味付け、折り合いをつけある程度の納得がなければ、死を受け容れることはたやすいものではありません。私たち凡夫にとって、悔いのない人生だったと言い切れる人は多くないでしょう。
 『一億人のための辞世の句』(蝸牛社)は広く一般募集をして出版した句集です。辞世とは、この世に別れを告げることであり、また死に臨んで残す詩歌をいいます。実際のものと、自らの臨終を想定し作句したものが掲載してあります。印象深いのは、[馬鹿が付く堅さ一代悔まれる](岐阜・瀬尾勝美氏)の一句です。作者のコメントが添えられていて、戦前の小学校教育で、正直で堅くと教えられ、真面目に守り通した一代、はたして私の人生はよかったのだろうか、とあります。これには選者(坪内稔典氏)の評があり、心惹[ひ]かれるものがあります。「馬鹿が付く一代梅咲いて」とでも直して、馬鹿のつく一代を自祝すべし。と記しています。「祝う」には大切にするという意味があります。自らの人生に祝福できる何ものかを持ちたいものです。誰のものでもない、かけがえのない自分の人生だからです。
 死ぬということは最後に残された大仕事であると教えられました。「死に光り」という言葉を知ったのは数年前で、死にぎわの立派なこと。死後に残る光栄という意で、死に花に同じ、とあります。
 よりよき死は子どもや後に残す者への最高の贈り物です。生を終える事実は重く深いものがあり、その姿は荘厳そのものです。私たちが最後に示すものは死にいく姿です。そのモデルは立派な死、納得のいく死とは限りません。どのような死に方にもメッセージがあり、見せていただくものは少なくありません。生と死について、いのちのありようについて考えさせ、また感動させられるものがあります。よりよく生きるためにも、目をそらさず、愛する者の死を看とり、死の文化や法華信仰の姿を継承していきたいものです。
 私たちは幸いなことに死への恐れや不安に対処できる最上の手立てをいただいています。法華経・お題目に値遇[ちぐう]した、出会えたことは何ものにもかえがたい喜びというべきです。
 「只[ただ]得難[えがた]きは人身、値い難きは正法なり」(聖愚問答鈔)です。「願くは現世安穏後生善処[げんぜあんのんごしょうぜんしょ]の妙法を持つのみこそ、只[ただ]今生[こんじょう]の名聞[みょうもん]後世の弄引[ろういん]なるべけれ。須[すべから]く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え、他をも勧めんのみこそ、今生人界[にんがい]の思い出なるべき](持妙法華問答鈔)
 日蓮聖人のお言葉の趣[おもむむき]を深く味わいたいものです。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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