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日蓮宗新聞 平成19年5月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
31 
介護との出会いまる2








    
『お母さんをたのむね』

年老いた父母の身を手厚く扱い、
尽くすことの大切さは数多くの経典に

 「曜日が消えました 日付が消えました 月が消えました 季節が消えました 残っているのは 朝からはじまる現実」(「あなたがそばにいるだけでいい・介護する家族に贈る言葉」より)
 義母の介護をした人が、深夜の対応に備え、パジャマを着たことがない、枕元にはカーディガンを置き、ズボンのまま床に入って休んだといいます。
 介護する立場になると四六時中、念頭から離れることがありません。時間的にも精神的にもゆとりを欠き、本人が気づかぬうちにストレスが溜ります。
 介護に全力をそそぎたいという思いは尊いものです。しかし、がんばりすぎないことです。上手に手を抜き、いい加減にすること、そうしないと共倒れになります。また、がんばりすぎると、周囲のがんばっていない人を許せなくなるものです。これはお互いに不幸なことです。さらに認知症などの障害が伴うと、世話をする側の優しさや誠実さだけでは抱えきれません。介護のストレスから殴る蹴るの暴力、「いつまで生きとる気だぁ」といった暴言、介護放棄や経済略取などの虐待が行われます。高齢者虐待は発見が遅く深刻化の傾向にあります。介護家庭を孤立させない配慮が必要です。
 幸いにして介護の社会化が進み様々なサービスがあります。行政の窓□や介護支援の施設等に相談し、上手に活用しましょう。それらは私たちの権利です。
 ある介護家庭の主婦の嘆きです。義姉たちが母の見舞いにきては、シーツがしわだらけ、枕カバーが汚れていると言って帰っていく。介護と家事の合間には家業を手伝う末っ子の長男の妻です。このような外野席からの言葉はいかがなものでしょう。見舞客ではなく、ヘルパー、サポーターとして手を差し伸べ声をかけてほしいものです。
 私事になりますが、九十を越えた母の在宅介護五年四ヵ月の時期があります。近隣、知人からの励ましや支援は忘れられません。ことに介護を経験した人の労[いたわ]りの言葉はうれしく、「お婆(お母)さんをたのむね」と言われると、素直にうなずき、元気づけられました。母の話し相手になった方も幾人かいて肋かったものです。顔を見たい、会いたいという声に、多少乱雑な部屋へも入っていただきました。家族以外の人と交わることは刺激になり、母は楽しみと生きる力をいただきました。
 川柳の「老いた母持てる幸せ不幸せ」の一句は、思わずハッとさせられました。優しくしてあげたいのに、それができない時と場合があります。介護には二律背反や葛藤が生じやすく、嫌な自分と向き合うこともあります。
 母の最期のステージで日に日に衰弱していく様を見守って、その時がきたのだと胸迫るものがありました。
 「衰えた厳しき母の手母の足に頬ずりをする一人なるとき」。新聞の歌壇の一首。作者は五十代の男性。妻や子のいない時、そっと頬を寄せるという男の情念に共感を覚えました。もう一首、「いずれ行く道と知るべしし尿取る霜月の朝父の肌温[ぬく]し」。作者は女性。娘なのか媛なのか。いずれ行く道として、自分の将来を重ねる優しさと温[あたた]かさは何ものにもまさります。
 老親介護は孝養にほかなりません。年老いた父母の身を手厚く扱い、尽くすことの大切さは数多ぺの経典に見ることができます。増支部経典の次の一節に目が動かなくなりました。
 「比丘[びく]らよ、われは二人には報いを尽くすことあたわず、誰をか二人となす。母と父となり。(中略)一肩にて母を荷[にな]うべし。一肩に父を荷うべし。父母を塗身、揉和、沐浴、按摩によりて看護すべし。父母は肩の上にて放尿遺棄するも、なお父母に恩を報い尽くすあたわず……」と。比丘とは男子の修行僧。両肩に荷う年老いた父と母が失禁しても、父母のめぐみには報じなくてはならないとしています。
 日蓮聖人の「親は十人の子をば養えども、子は一人の母を養うことなし」(刑部左衛門尉女房御返事)のお言葉は厳しい少子高齢化の条件のもと、介護現場にどう生かしたらよいでしょうか。
 (日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
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