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日蓮宗新聞 平成18年12月20日号
もっと身近に ビハーラ
藤塚 義誠
26 
お見舞い(下)

お題目への誘いは 安心への導きです
励ましや慰めのことばが支え

 お見舞いは「案じていました。いかがですか」の問いかけから会話が始まります。病状にもよりますが、見舞い人より病人の方で多くを語っていただくようにします。愚痴や不安の聞き役にまわり、訴えたいこと、聞いてほしいことに耳を傾けます。
 「話す」は「離す・放す」こと。人は心の内のさまざまな思いを話すことによって外に向かって引き離すのです。病人の気持ちに寄り添いながら、その思いを受けとめます。
 顔色がよければそのことを伝え、歩けるようになったと聞けばその喜びに共感しましょう。食欲がないとの訴えには「無理しても食べなければ駄目」というより「少しでも食欲が出るといいね」と病人の願いを見舞う側の希望として語ります。また、高齢な方は遠慮がちです。「痛みが出たらがまんしないで先生に訴えて」と話しましょう。
 病状によっては、会話が途切れたり、さらに言葉を交わすのも難儀な病人もいます。沈黙の時間は気まずさや戸惑いを覚えることもあるでしょう。しかし、傍らに居てさしあげるだけで、病人の気持ちは安らぎ、落ちつくものです。このような場面では、心にお題目を唱えて、ひたすら病気の平癒を祈ってあげてください。
 朝刊に「あじさいやスリッパ日々に重くなり」の投句がありました。重篤、あるいは悪性の場合は、病状を深く聞き込みません。辛さを自分に引き当て、少しでも希望が湧くような言葉を選びたいものです。親しい仲なら手を握ったり、お題目を低唱して手足を撫でさすることで気持ちがやわらぐでしょう。
 人はいつでも自らの存在感を持ち続けていたいものです。職場の仲間から「仕事は皆でやれるから、ゆっくり休んで」といわれるより、「あなたがいないと困るのよ、早く元気になって」の方がうれしいでしょう。また、会社のうわさやもめごと、家のいざこざは病室に持ち込まないようにします。
 心がふさぎがちになり、病気だけに向いている眼を他に転換できるとよいでしょう。趣味や好きな音楽、愛読書がわかれば話題が拡がります。
 見舞い客が善意で、民間療法などの代替療法を勧めるケースがあるようです。病人や家族が動揺し、医療者側との信頼関係をそこねることがあり、注意したいものです。
 退院が近づいた回復期には油断が生じがち。「治り際も大事よ」の一言がほしいと思います。
 また、病人は安静にしていたい時間、食事や排泄の心配もあります。お見舞いの時間は長くも短かくもなく、ほどほどを心掛けましょう。
 病人の心がわからないと、見舞われる方は負担を感じます。見舞う側に洞察力がなければなりません。励ましや慰めの言葉が支えとなって、病気と闘う気力を増進させ、自然治癒力を高めます。
 言[ことば]の語源は「口から出てくる心」。言葉遣いは心遣いです。日蓮聖人は「言をいうは、心の思いを響かして声に顕すをいうなり」と教えられました。言葉は力、言葉は心です。
 檀信徒としては、法華経の祈りが込められた御守を日蓮宗寺院よりいただいて、持参することも大きな意義があります。ビハーラネットワークにも、カード型御守の用意があります。
 病人は健康な時に思わなかった事柄、たとえば、生かされていることに目ざめる。自己中心の生き方を省みる。医師やナースをはじめ家族への深い感謝の思い。これらが自ずと湧きおこるものです。法華経に「即是道場」と示されているように、病床も修行の揚です。手を合わす心を養う機縁として、お題目への誘[いざな]いは、たしかな安心への導きです。病める人、見舞う人が互いに合掌する。ベッドサイドはそのまま仏の浄土、苦悩を克服する明日への祈りが生まれます。本仏の救いの光が射してきます。このようなお見舞いができればと念願しています。
(日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表、
長野県大法寺住職)
 ※日蓮宗ビハーラネットワークでは、お見舞いのための頒布品として「カード型御守」「お見舞い用タオル」を用意しています。御守は寺院のご祈祷を修したものを頂いてください。取次・申込みは菩提寺へ。(栃木市嘉右衛門町11−21妙唱寺内・日蓮宗ビハーラネットワーク事務局)
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